[オペラ] R.シュトラウス≪平和の日≫

[オペラ] R.シュトラウス≪平和の日≫ 渋谷・オーチャドホール 4月8日

日本(アジア?)初演と聞いて驚いたが、その主な理由は、戦後、この作品はシュトラウスナチス協力とみなされて、ほとんど上演されなかったかららしい。この作品は、ミュンヘン講和が成立する1938年9月の二か月前に初演され、講和の交渉中であって、多くのドイツ人が心中では「戦争にならなければいいな」と思っているその気持ちを音楽で表現した、とプログラムノートにある。その「平和」は、1年後のドイツのポーランド侵攻によって第二次大戦が始まり、あっけなく崩れたので、ミュンヘン講和はナチスの時間稼ぎでしかなかったと後世に評価され、その結果、偽りの平和を讃えたこの作品もナチス協力とみなされることになったのだろう。

 

興味深いのは、この作品は平和主義者にとってもナチスにとって都合よく解釈できる両義性があるので、1940年までに21都市で98回も上演されたことである。戦争をやりたい司令官と、平和を希求するその妻との対立が、作品の実質的な中身だが、私が見た限りでは平和を希求する方向性の方が強く、シュトラウス自身もそうなのだと思った。ただし、最後に、城門を閉ざして街を死守するカトリック軍は、街を包囲していたプロテスタント軍に負けるのだが、そのとき急に和解が起きて、和気あいあいとプロテスタント軍が引き上げるのが、唐突過ぎて、なぜそうなったのかよく分からない。突然、街中の教会の鐘が鳴りだして、恩寵のように平和が実現するのだが、これは、そうであってほしいという平和への祈りの表現なのだろうか。物語として、やや説明不足なのではないか。音楽は、重唱や合唱が素晴らしく、司令官と妻と二重唱はこのうえなく美しく、しかも迫力があった。

 

私は、ロシア・ウクライナ戦争の最中である今、この作品を日本初演した二期会のセンスに感服する。観ながら、私の中では、司令官がプーチンやゼレンスキーと重なった。たぶん二人とも、この司令官のような立場なのだと思う。今、日本人が、「早く停戦してほしい」と言うと、「それはロシアを利することになる、お前、ロシアに加担するのか!」と批判されるが、ちょうどこの作品が、後にナチス協力と批判されたのも同様な政治的・歴史的文脈なのだと思う。