[今日のうた] 5月ぶん
フラスコに指がうつりて涅槃なり (永田耕衣『加古・傲霜』1934、「涅槃」は釈迦入滅の春の季語、「ねはん」という響きが美しい、「フラスコに映った自分の指」が「涅槃」という奇抜な取り合わせが、いかにも耕衣らしい) 5.1
美しきネオンの中に失職せり (富澤赤黄男『魚の骨』1940、どこにも季語はないから無季俳句だが、「美しきネオン」が効いている、東京都心の「美しいネオン」が耀いている、でも作者は失業したばかりで、「美しいネオン」と無縁の心境にいる) 2
一本の道遠ければきみを恋ふ (渡辺白泉『涙涎集』1933-41、「青春譜」と前書、たぶん大学生時代の歌だろう、秋櫻子「馬酔木」への投稿歌から出発した作者が無季俳句にカーブを切る頃だが、無季といっても、どこか抒情的な美しさがある) 3
髪五尺ときなば水にやはらかき少女(をとめ)ごころは秘めて放たじ (与謝野晶子『みだれ髪』1901、馬場あき子によれば「髪五尺」という女の美意識が歌に登場するのは「明星」が最後らしい、平安和歌の頃の美意識だったのか) 4
恋といふめでたきものに劣らじと児をし抱けば涙ながるる (原阿佐緒『涙痕』1913、原は東北の旧家の娘で美女だった、十代で上京、美術学校で学び、19歳の時そこの教師の子を産むが、彼に妻子があったことを知り、絶望して自殺を図る、これはその頃の歌か) 5
産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか (阿木津英『紫木蓮まで・風舌』1980、作者は1970年代フェミニズム短歌の主導者の一人、これは豪快な歌、後半がいい、女は「産む性」だと言われるのに対して、「女はでっかい世界を産むんだぜ」と応答) 6
人あらぬ野に木の花のにほふとき風上はつねに処女地とおもふ (今野寿美『花絆』1981、人である作者が人のいない野に立つと、木の花のにほひが風で運ばれてくる、そのにほひの清らかさから、風上は人のいない「処女地」なのだろうと思う) 7
ひとりなる時蘇る羞恥ありみじかきわれの声ほとばしる (尾崎佐永子『彩紅帖』1990、60代の作者1927~は、一人でいるとき、若い時の恋の一場面を想い出したのだろう、「みじかきわれの声ほとばしる」がリアル) 8
ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり (永井陽子『モーツァルトの電話帳』1993、作者1951-2000はオノマトペも用いて繊細な歌を詠んだ、若くして自死、スペインのアンダルシアの明るいひまはりを見たかったのだろう、歌を中央で折り返す) 9
プリクラのシールになつて落ちてゐるむすめを見たり風吹く畳に (花山多佳子『空合』1998、作者1948~は歌誌「塔」の歌人、自分の「むすめ」が映った「プリクラ」が一枚畳に落ちている、風で飛ばされそう、ギャル文化の「プリクラ」に母親はやや違和感があるのか) 10
「さかさまに電池を入れられた玩具(おもちゃ)の汽車みたいにおとなしいのね」 (穂村弘『シンジケート』1990、穂村では歌に「」が付くと、女性の発話を意味する、恋人の女性が相手に言った科白なのだろう) 11
休日のしずかな窓に浮き雲のピザがいちまい配達される (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、たしかに「ピザ」のような「浮き雲」というものはある、それが「いちまい窓の向こうから配達された」ように感じる) 12
けふどんなかほをしていた?アイシャドウを光らせたままねむりにおちる (小金森まき「東京新聞歌壇」5月13日、東直子選、「アイシャドーを落とさず眠ったことで、別の人格、又は生き物に変身したまま戻れなくなったような不穏な気配を帯びる。自己の本質を問う歌」と選者評) 13
子には子の散歩の流儀があるようで石はけるべし穴のぞくべし (吉澤信子「朝日歌壇」5月13日、佐佐木幸綱/永田和宏選、「「石はけるべし穴のぞくべし」に思わず笑ってしまった。行動的な子が思い浮かぶ」と佐々木評、たしかに子どもは大人とは違う歩き方をする) 14
ヒヤシンス咲くUFOの貨物室 (水面叩「東京新聞俳壇」5月13日、小澤實選、「UFO未確認飛行物体の貨物室のなかには、ヒヤシンスが咲いているという。ちょっとふしぎな花の形がふさわしいと言えばふさわしい」と選者評) 15
山ふはり山桜なほふうはりと (中崎千枝「朝日俳壇」5月13日、小林貴子選、「冬中縮こまっていた景色だが、春になると全体がふわふわしてくる」と選者評、たった17字のなかで「ふはり」「ふうはり」と二度浮かぶ感じがいい) 16
かミさまが留守だとてんやわんや也 (『さくらの実』1767、店か、家庭か、「おかみさん」がたまたま家を空けているので、家の者は勝手が分からず「てんやわんや」になっている、『さくらの実』は江戸期の川柳集、『柳多留』もそうだが川柳集は個々の句の作者名はない) 17
花嫁ハ湯屋で聞たい事を聞 (『さくらの実』1767、新婚ほやほやの花嫁さん、急な新婚生活で分からないことがたくさんあるのだろう、銭湯の女湯で、友人や先輩、実家の親戚などを質問責めにしているのが、なんか可愛い) 18
耳よりハさらさら娘氣にいらず (『さくらの実』1767、見合いだろう、親からみれば「耳寄りな、いい話」なのに、娘は「さっさと断ってしまった」、現代の婚活アプリでも女性はなかなか「イエス」と言わないらしいが、江戸時代も同じ) 19
仲人の道理に姑かつに乗り (『さくらの実』1767、嫁と姑の間に何かもめごとがあって、仲人が呼ばれた、仲人は姑の側に立って、嫁に「そもそもね・・」と諭すので、姑はすぐ「そうよ、そうなのよ、そうですとも」とうれしそうに相槌をうつ) 20
絵本の表紙の厚みには敵わない (兵頭全郎1969~、たしかに一般に絵本は「表紙が厚い」、子どもが持ちやすいからなのだろうか) 21
こっそりと添い寝をされる夜明けまで (竹井紫乙女1970~、彼氏が作者に「こっそり添い寝」をしたのだろう、でも、作者はそれに気づいたのだろう、だから「夜明け」に彼が去ったことも分る) 22
哲学の道で捨てるといいらしい (湊圭史1973~、京都にある「哲学者の道」だろう、「いいらしい」というのが可笑しい、何が「いい」のだろう) 23
した人もしてない人もバスに乗る (柳本々々1982~、何を「した」のか「してない」のか、それを読み手の想像にうまく委ねるから川柳) 24
吾(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの山のしずくにならましものを (石川郎女『万葉集』巻2、「大津皇子さん、うれしいわ、貴方は私をずっと山で待っていて、すっかり濡れたのね、その山の雫に、ああ私はなりたい、なれないものかしら」、まだ忍ぶ恋だが、大津皇子の求愛に応えた郎女) 25
あきづ羽の袖振る妹を玉櫛笥奥に思ふを見たまへ我が君 (湯原王『万葉集』巻3、「蜻蛉の透き通った羽のような薄物の袖を翻がえして、舞を舞っているあの娘、可愛いでしょう、私が深く思いを寄せている彼女なんです、我が君よ、よくご覧あれ」) 26
振り放(さ)けて三日月見れば一目(ひとめ)見し人の眉引(まよび)き思ほゆるかも (大伴家持『万葉集』巻6、「僕は今、夜空を振り仰いで、細い美しい三日月を見ています、それを見ると、一度だけお逢いした貴女の、あの美しい眉が思われてなりません」、16歳の家持が坂上郎女に贈った恋歌) 27
筑波嶺(つくはね)の新桑繭(にひぐわまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)しあやに着欲(きほ)しも (東歌『万葉集』巻14、「私、筑波嶺の新桑で飼った蚕の繭から作った、立派な着物を持ってるわ、でもそれじゃなくて、貴方のお召し物を床に敷いて、貴方と共寝したいのよ」) 28
夜(よ)とともに玉散る床のすが枕見せばや人に夜(よ)はのけしきを (源俊頼『金葉和歌集』巻7、「いつも夜になれば、僕の涙は玉のように飛び散るんだ、この枕の上に、それを君に見せたいよ、君のいない一人寝がどんなに淋しいか!」) 29
淵やさは瀬にはなりける飛鳥川浅きを深くなす世なりせば (赤染衛門『後拾遺和歌集』巻12、「貴方、そんなこと言うけど、飛鳥川の深い淵が浅い瀬になるはずないでしょ、浅い愛情しかないくせに、深い愛情だなんて、ごまかしてもダメよ」、求愛の手紙を叩きつける作者) 30
暮れにけり天(あま)飛ぶ雲の往来(ゆきき)にも今宵いかにと傳へてしがな (永福門院『風雅和歌集』、「ああ、夜も暮れて深夜になってしまった。貴方はまだ来ないのね。夜空を飛ぶように行き来している雲さんに、「貴方は今夜来るの、来ないの」と言づてを頼みたいわ」) 31