[演劇] 永井愛『僕の東京日記』文学座

[演劇] 永井愛『僕の東京日記』 文学座アトリエ 8月3日

(↑写真右端は満男の母の淑子[大木惟吏杏]、本作はある意味で「母と息子」の物語、彼女と下宿屋のオバさん[中央、木下綾夏]は、実質的な主人公、二人は決してブレずに、一貫して「主体=母」として行動しており、ブレまくっている他と違う)

『僕の東京日記』は非常な名作、私は、2001年に俳優座稽古場公演、安井武演出で観たが、今回は文学座研修生公演、松本祐子演出。前回とはやや違ったところに強い印象を受けた。奥行きの深い作品で、幾つかの先進国でほぼ同時的に多発した「1968年革命」の内実を描いている。「1968年革命」は、国家権力を奪取する政治革命にはならなかったが、結果的に、若者の価値観、世界観、人生観を大きく変えた「文化革命」として、世界史的な大事件だったと思う。その意味では「1968年革命」を先取りした映画、ゴダール『中国女』1967が、中国の「文化大革命」とパリのお遊びママゴトっぽい大学闘争を重ねているのは、正しかった。本作では、どんどん過激派に先鋭化してゆく学生たちが爆弾闘争に走り、その爆弾を、ただ一回だけデモに参加してすぐ逃げ出してきた、ほぼノンポリっぽい主人公・原田満男に一時「預ける」という、てんやわんやの笑劇が描かれる。ラーメンに擬したその爆弾を↓、結局は教育ママの母が回収し、警察に届けるという展開が素晴らしい!当時の学生たちの爆弾闘争はもちろん、街頭の石投げ戦も、どこかママゴトじみた遊びに見えるが、それでいいのだ。遊びだからこそ「文化大革命」になったのだから。遊びを通じてこそ人間は自由になる!本作の主題はそれだ。

(写真↑、フーテン、ヒッピーなど、「遊び」という新しい価値観に生きる若者がたくさん登場した,。中央の男子ピータンは下級公務員なので、背広服と使い分け)

当時、この「春風荘」のような賄い付き学生下宿は実際にあり(食堂がちょっと広いが)↓、本作では、そこでの学生たちの生活ぶりが細部までよく分る。そして何よりも印象的なのは、学生たちの恋愛観、性愛観、趣味観、音楽観、文化観が、1960年代初頭(たとえば小津『秋刀魚の味』1962)とは大きく違っており、これこそが「1968年革命」の内実だということが分る。俳優はどれもいいが、若いのに原田の母を演じた大木惟吏杏、出世主義者で反1968年革命キャラの新見を演じた山田裕記が特によかった。何よりも、母や学生たち全員を、永井愛が暖かい眼差しで造形したのがいい。私自身は、1951年生まれで当時20歳、学生運動や政治闘争のただ中で彼らと同じ悩みを共有したので、本作の登場人物の誰についても、「いたいた、こういう奴いた」と生き生きと想起できる。アリストテレスの「演劇」の定義、「演劇=我々の生を必然性のある可能態で再現すること(=ミメーシス)」(『詩学』)が、『僕の東京日記』でそのまま「再現」されている!

(↑中央、戦闘服の福島睦美[舛谷マイア]は、連合赤軍永田洋子によく似ている、当時「小・永田洋子」はたくさんいた)