[演劇] ムヌーシュキン 太陽劇団『金夢島』

 


[演劇] ムヌーシュキン 太陽劇団『金夢島』 東京芸術劇場 10月24日

ムヌーシュキンは、映画『モリエール』、『堤防の上の鼓手』2001新国の二つしか見たことないが、今回、83歳になる彼女の最新作を観られた。宮崎駿君たちはどう生きるか』が、この世の終りを少年と少女の愛によって救済しようとしているのと同様に、この世の終りを演劇を通じて救済しているように感じられた。とはいえ、この世の終りを演劇「によって」救済するといった大それたものではなく、演劇を救済することが同時にこの世の終りを救うという並行関係なのだろう。物語は、フランスの女性演出家が、日本の佐渡島で行われる演劇祭を構想し、それが疫病や政治によってぐちゃぐちゃにされながら、何とか行われる。「演劇祭の救済」が「この世の救い」とオーバーラップしている。それにしても、『風の谷のナウシカ』もそうだが、20世紀末ごろから終末論的な作品が増えた。実際にコロナ禍で、本作の佐渡島でのワークショップが中止になり、本作は難産だった。民族的政治的対立が主題になっており、フランス語、日本語、中国語、ヘブライ語、アラブ語など多言語の科白。パレスチナイスラエル戦争、香港での学生闘争、中国での人権抑圧が描かれ(↓)、ハマス、ネタニヤフ、習近平も登場する。写真中段(↓)は、佐渡島だが、ウクライナ・ロシア戦争が暗示されているのか。またチェーホフの引用も、終末論的だ↓。

『堤防の上の鼓手』もそうだったが、ムヌーシュキンの演劇は、基本的に詩劇なのだと思う。科白の詩的な美しさが際立っており、登場人物が次々に詩を唱っているように感じられる。そして身体表現は、リアリズムではなく強く様式化されている。本作では、歌舞伎や能のように役者が動くのが印象的だ↓。

演劇構成としては、内容をやや詰め込みすぎで、細部をフォローするのに疲れる。もう少し象徴的な場面に絞れるのでは。あと、全体が喜劇仕立てなのだから、喜劇に固有の全体の「解決」がもう少しあってほしい(例えば、アリストファネス『女の平和』や、モリエールの作品のように)。最後の方に何度かあって、終幕がそれで終るシーン、美しいシャンソンに合わせて大勢が能の舞を舞うあのシーンが、本作のクライマックスで、たぶんた主題そのものだろう。この世の終り、すなわち地球という星の人類の歴史に、我々は美しい幕引きをしたい、シャンソンによる能の舞によって。

1分間の動画↓

太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ) 『金夢島 L’ÎLE D’OR Kanemu-Jima』 PV - YouTube