ワルシャワ室内「フィガロ」

[オペラ] モツァルト「フィガロの結婚」 ワルシャワ室内歌劇場 オーチャドH

たくさん観た「フィガロ」の中でも、今回は歌手に不満を感じた。先週の「魔笛」のパパゲーノとパミーナ役が、それぞれフィガロとスザンナ。この二人はよい。問題は伯爵夫人と伯爵だ。伯爵夫人は声に広がりと伸びがないので、何かごつごつした強弱の目立つ歌になる。伯爵はドン・ジョバンニも歌ったブレンクという人だが、声の質に透明感がなく、低くこもった感じで、バリトンの「とおる」感じがない。伯爵の好色を演じるつもりか、にやけまくっていたのも、いただけない。ケルビーノ役のミロスワフスカは24歳の素晴らしい美女で、少年になりきった凛とした美しさに息を呑む。前から5列目の席で儲けものだ。第一幕のアリアは本調子ではなく、リリックな「つや」がやや乏しかったが(メゾではなく、ソプラノだからか)、第二幕の「恋とはどんな」は絶唱。全体に第一幕は、どの歌手も流れに乗り切れていなかったが、二幕以降どんどんよくなる。字幕は要点をよく拾って分りやすいが、省略が少し多すぎる。

新たな発見は、第二幕の第10景、アントニオの持っていた手紙をめぐって伯爵とフィガロたちが丁々発止とやり合う場面。オケは、弦楽器だけで、タッ、タッ、タッと撥ねるような小刻みのリズムを付けるだけ。この繊細にして軽快なリズムの天国的な美しさ! フィガロと伯爵が「何たら、かんたら」をやり合う間に、こんな素晴らしい音楽が目立たないように寄り添っているとは。この、さりげなく「寄り添う」弦楽リズムがあるからこそ、そこに割り込むスザンナと伯爵夫人の二重声(?)が、軽やかに舞い上がってゆくのだ。まるで波の上をボールが跳ねるよう。この箇所、今まで見落としていた。