国立音大『フィガロの結婚』

charis2007-10-20

[演劇] 国立音大大学院公演『フィガロの結婚』 国立音大講堂


(写真は、モスクワ室内歌劇場公演『フィガロ』。名演出家ボリス・ポクロフスキーによる舞台。私は2年前に来日した『魔笛』を見たが、残念ながらこちらは未見。でも写真から、簡素な舞台に喜びが溢れ返っているのが分かる。)


勤務先の大学院生2名と鑑賞。彼女たちははるばる群馬から。国立音大で合流。私は『フィガロ』が大好きなので、歌劇場の公演の他に、音大主催のものにもよく行く。この二三年では、東京芸大、武蔵野音大、新国立劇場研修生公演などがあるが、どれも良かった。今回の国立もそうだが、プロの歌手としてデビューを目指す若い人たちの熱気のようなものが感じられるからだ。声の深み、安定性、アンサンブルのバランス、演劇的な動きなどの点では、やや未熟なところがあるにしても、観客席を真正面からキッと見据えて歌う、その真摯な感じが快い。男性歌手はやや年長だが、女性歌手はほとんどが23、24歳。晴れ舞台に非常に緊張しているのだろうか、最初はやや硬いが、歌ううちに滑らかになってくる。プログラムを見ると、1960年に始まる国立の歴代『フィガロ』公演で、伯爵夫人やスザンナを歌った人に、塩田美奈子、澤畑恵美、品田昭子といった二期会のスター歌手がいる。若手の登竜門になっている公演なのだ。


今回の舞台は、演出(中村敬一)がなかなか工夫されていた。第二幕、ケルビーノの辞令に押印がないことが、伯爵夫人→スザンナ→フィガロと耳打ちで伝わるシーン、部屋をぐるっと一巡する人の動きで、面白おかしく表現されている。最近は『フィガロ』を見るたびに、第二幕の重唱の透き通るような美しさに惹かれるのだが、こうした場面は、視覚的には面白おかしくする方がいっそう効果的だと思う。滑稽な場面ほど天国的な音楽が寄り添うのが『フィガロ』の魅力だからだ。また、第四幕のスザンナのアリア、服装をどうするかで演出が一番苦労する場面。立ち聞きしているフィガロは、伯爵夫人とスザンナが衣装を交換したことを知らないので、スザンナが伯爵夫人の服を着て歌ったのでは、フィガロには、それがスザンナだとは分からない。これは「原作の不備」なのだが、通常は、上にマントなどをかぶせて伯爵夫人の服を隠すなど、演出で工夫する。今回の演出は、とても上手いやり方がなされており、舞台の左から右に一直線に三人が並ぶ。つまり、伯爵夫人の服を着たスザンナ、スザンナの服を着てフィガロに背を向ける伯爵夫人、そしてフィガロという位置に並ぶ。中央の伯爵夫人がフィガロの視線を遮るので、フィガロには奥の伯爵夫人の衣装は見えない。あたかもスザンナが中央で歌っているかのように、彼には見えるわけだ。


歌手では、伯爵もフィガロも上手かった。特に伯爵。だが、伯爵夫人は、レチタティーボは良いとしても、アリアの声が安定せず、聞いていてとてもハラハラした。特に第二幕冒頭の最初のアリアはまったくダメ。課題を残したと思う。