小林よしのり『靖国論』(10)

charis2005-09-22

[読書] 小林よしのり靖国論』(幻冬舎 05.8.1)


(写真は、古代ギリシアの戦死者の墓碑(BC420-410)。戦いに赴くアテナイの二人の若者、カイレデーモスとリュキアース。)


小林氏は、「日本のいわゆる<A級戦犯>は、国内法にも国際法にも一切違反していない」(p68)、だから我々は「まず東京裁判を否定しなければならない」(p180)と述べている。だが、氏の主張は、二つの大戦の苦しみの中から「戦争犯罪」という概念をようやく生み出した人類の叡智を無視する、不遜で高慢な態度という他はない。昨日挙げたニュルンベルク憲章の成立から、歴史を振り返ってみよう。


19世紀以降の近代国民国家による戦争は、一般国民を巻き込んで大きな惨禍を引き起こすので、戦争にもルールを設けようという機運が生じた。1899年と1907年のハーグ条約や1929年のジュネーブ条約は、非人道兵器の禁止や捕虜・傷病者の保護などを取り決め、これらの戦時国際法に違反した者を裁く権利を、戦争の相手国に認めた。そして第一次大戦後のベルサイユ条約においては、戦勝国が軍事裁判所を設けて戦争犯罪人を裁く方式が国際的に認められた。このとき日本は、第一次大戦戦勝国としてベルサイユ条約に調印しただけでなく、条約第227条の戦争責任条項には、アメリカ、イギリス、フランス、イタリー、日本の5国が、前ドイツ皇帝ウィルヘルムⅡ世を裁く裁判の裁判官として明記されている。この裁判は実際には行われなかったが、日本は、戦勝国が敗戦国の指導者を戦争責任者として裁くその当事者を自認していた(以下参照)。だから、東京裁判においても、戦勝国が敗戦国の指導者を裁判にかけることに、日本は反対できない立場にある。
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ベルサイユ条約第227条)
連合国は国際的道義および諸条約の崇高なる義務に最高度の侵害を犯したことにより前ドイツ皇帝ホーエンツォレルン家のウィルヘルムⅡ世を公式に訴追する。

 その被告人を裁くため特別の法廷が設置される。被告人には弁明の保証が与えられる。法廷は次の諸国により指名される5人の裁判官で構成される。;アメリカ、イギリス、フランス、イタリー、日本。

 判決に当っては、法廷は国際的公法の崇高な動機により運営されねばならず、国際的道義と国際的取り決めによる義務が斟酌されねばならない。そして審決に見合った処罰が課せられるだろう。

 連合国はオランダ政府に裁判に付されるべく前皇帝が引き渡されることを要求する。
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第二次大戦においては、1943年10月に連合国戦争犯罪委員会が作られ、外交官や国際法学者が議論を重ねた。その結果が、ニュルンベルク憲章であり、ハーグ条約以来の戦時国際法を継承する「通例の戦争犯罪(B級)」の他に、「平和に対する罪(A級)」「人道に対する罪(C級)」という二つの新しい戦争犯罪の概念が規定された。ここで重要なことは、従来の戦時国際法では、現場の兵士の略奪や残虐行為、捕虜虐待などは罰せられるが(つまりB級)、それでは本当の責任者を罰することにならないという反省が生まれたことである。大規模な残虐行為が発生するような戦争を遂行した、国家や軍の指導者の責任を追及することこそ本筋だという考えである。


一国の指導者を国際法の観点から裁くというのは、まったく新しい概念であり、当然さまざまな批判がありうる。だが、「平和への罪」「人道への罪」という概念は、いかに困難なものであれ、その登場には必然性がある。それは、20世紀の戦争が国民を総動員する総力戦であり、当然のことながら、末端の兵士よりは軍や国家の指導的立場の人物により大きな責任があるという我々の直観に根ざしている。そして、この概念は、東京裁判では問われなかったとしも、明らかな戦争犯罪であるアメリカの原爆投下についても、責任を問うことを理論的に可能にする地平を開いている。つまり、これらの概念は決してアメリカだけに都合の良いものではなく、それを用いて日本がアメリカの責任を追及する根拠にもなりうるのだ。


現実の東京裁判は、原爆投下も、ソ連強制収容所も、天皇の戦争責任も問われなかったという点で、きわめて不十分なものであった。しかしそのことと、第二次対戦を契機に生まれた新しい戦争犯罪の概念のもつ意義と可能性を混同することは許されない。これらの概念の正当性は、その後の歴史において検証されるべきものである。たとえば、「平和への罪」「人道への罪」という概念は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争における「民族浄化」作戦の責任者としての国家指導者の処罰、ルワンダ内戦、あるいは96年の国際司法裁判所による核兵器使用違法性の判断、戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所の発足(2003年)など、その後の歴史に継承され発展させる努力が続けられている。


どのような法も、どこかの時点で新しく創設されるまでは、実定法としては存在しない。法が新たに作られるのは、我々の「正義の直観」が、まだ法はないにもかかわらず、ある事柄を「罰せられるべきもの」と見なすからである。この意味において、我々の「正義の直観」は法を「時間的に先取り」している。それゆえ、「平和への罪」「人道への罪」という新しい概念は、その後の歴史においてそれがどのように法として実体化されるかによって、その正当性が問われる。これが「過去は現在と共にある」ということであり、このような視点に立つことによってのみ、A級戦犯という「個人の力を越えた運命による罪」は真に贖罪され、慰霊されるのである。
(PS:明日から一週間ほど、熊本大学への集中講義等のため、コメントへのお返事ができません。ご容赦を。)