熊本大学・集中講義

charis2005-09-29

[日誌] 9月末の熊本大学・集中講義「時間論」より


(写真は、熊本大学キャンパスの中央にある旧制第五高校記念館。左側のクスノキ(楠)の大木に注目を。構内には豊かに茂ったクスノキがたくさんある。9月28日撮影。)


[今日の日誌は、講義を聴講した院生や学生の皆さん向けです。] 皆さんのレポート読みました。私が講義で紹介したさまざまな議論に対して、鋭い疑問や異論が提起されており、感銘を受けました。そのうちの幾つかを以下に紹介します。


(1) Jonathan Harrison のタイムトラベル論への疑問。タイムマシンから「外の光景を見る」という思考実験は疑わしい。外では時間的に後である「倒れている羊」が、マシン内部の私には先に見えているのだから、私が鉄砲の引き金を引く行為は、マシン内部の時間では後になるはず。とすれば、引き金を引かないことも可能ではないか。(K君) [これは鋭い指摘で、「見る」という行為は光の授受を伴う因果的過程なので、映画の逆回しを見るようにタイムマシンの「外を見る」ことはできないはずだ。光についても、鉄砲の弾と同様に窓を境にした方向の二重化が起こるはずだから、外から来た光がそのまま自然に延長されて、マシンの内部の私の眼に達するというのは確かにおかしい。貴君の言う通り。]


(2) David Lewis のタイムトラベル論への質問。過去にタイムトラベルして、そこで殺した若者が、ティムの祖父でなかったとすれば、たしかにティム自身の出生を取り消すことにはならない。しかし、将来の軍需産業のボスである人物を消してしまえば、ティムが過去にタイムトラベルする動機そのものが失われるのではないか。分岐する可能世界を考えたとしても、ティムの存在が生物学的に失われないというだけでは不足で、ティムを過去へ送り出す条件が、元の世界に整うかどうかは疑わしい。(同、K君) [なるほど。元の世界を傷つけずに歴史を「少しだけ変える」ような分岐する可能世界がはたしてありうるのか、よく考える必要がある。]


(3) Feinbergの「タキオン」を用いた過去へのタイムトラベルへの疑問。地球時間の過去にメッセージが送り返されるというが、「まず先に」メッセージが送られてくるならば、「その次に」地球からそもそもメッセージを送り出さないという「選択の自由」も地球の人間にあるはずだ。(もう一人のK君) [うーん、これも鋭い。Feinbergは物理学者だから、時空の座標軸の相対論的な「傾き」を利用した、正の角度と負の角度の発見というところが売り物。行為の因果性の問題まで考えていなかったのだろう。]


(4) Jonathan Harrison のタイムトラベル論への疑問。過去へタイムトラベルする私の肉体を形成する物質は、過去においては、私の身体の外部にある蛋白質や、炭素原子や酸素原子だったはずだ。それらの原子が過去にそれぞれあった位置に返れば、私の肉体は無くなってしまうはずだ。(S君) [なるほど、その通り。人格の二重化だけでなく、物質の二重化の矛盾には私は気がつかなかった。この問題は、未来へのタイムトラベルには起きないことが面白い。]


(5) バークリの「存在するとは知覚されること」というテーゼは、知覚に錯覚が不可避的に含まれることを考えればおかしいのではないか。(Eさん) [その通り。知覚に本来的・非本来的などの階層性を考えないと、このテーゼだけではうまくいかない。]


その他、レポートには、「今まで、時間はそれ自身が独立して存在するものと思っていたが、相対性理論マクタガートパラドックスによって、時間が<従属的な>存在に転落したことに驚いた」という意見が多数見られた。私自身は、相対論とマクタガートを関係づけて考えたことはなかったが、たしかにそのような共通点があるとも言える。これからの課題にしたい。それにしても、良いレポートを本当に有難う。皆さんの思考を僅かなりとも刺激する講義ができたことを嬉しく思います。では、皆さんお元気で。(レポートに質問とメールアドレスを書いてくれた人には、メールで回答しますが、一両日待ってください。)