ミリカン『意味と目的の世界』(3)

charis2007-06-05

[読書] ルース・ミリカン『意味と目的の世界』(信原幸弘訳、勁草書房、07年1月刊)


(図は、ミツバチの8の字ダンス。蜜が遠いところにある場合のダンス。中央の蛇行部分の線が太陽との間に作る角度によって、蜜の在り処の方向を示し、一巡に要する時間が蜜までの距離を示す。)


ミリカンによれば、記号(=表象)の起源は、「生物が、自己の生存に適する行動を指令されるように周囲の環境を知覚する」ことにある。そのような環境の知覚=記号は、それが「いつどこなのか」という時間・空間規定を含むだけでなく、それを知覚する主体が「いつどこにいるか」という時間・空間規定をも含んでいる。これはミツバチのダンスのようなものだけでなく、人間の環境知覚も同様である。たとえば、夕日を浴びる東京タワーが見えているならば、東京タワーという表象(記号)は、「何時ごろである今、東京タワーは、周囲の環境の中のこの場所にある」という表象(記号)自身の時空的位置を語るだけではなく、「何時ごろである今、東京タワーを知覚している私は、東京タワーからこれだけ離れた場所にいる」という私の時空的位置をも語っている。つまり、知覚=記号は、表象(記号)とその受け手の時空的位置と相互関係を、表象(記号)の構成要素として含んでいる。これが自然的な原始記号の特徴である。


ミツバチのダンスも、餌を見つけたメンドリの鳴き声も、それ自身が環境の中の「いつどこなのか」という時空的位置を表象しているからこそ、同じ環境圏域にいる他のミツバチやひよこたちに、「あそこへ行け」「ここへ来い」等の行動指令の記号でありうる(これをミリカンは「オシツオサレツ表象」と呼ぶが、その話は後で)。それに対して、前回見たように、写真はそうではなかった。私が手にしている写真という一枚の紙切れは、自己自身の時空的位置を語っているが、写真に写っている肝心の中身は、自己自身の時空的位置も、今ここにいる私自身との時空的関係も語らない。


「記号の記号」としての写真は、通常の知覚=記号とは違って、それ自身の構成要素として、知覚者との時空的関係を含んでいない。こうした時空的関係からの解放は、写真が、我々の言語に一歩近づいたことを意味している。というのは、我々の言語は通常、言葉それ自身が置かれている時空的位置とは無関係に意味を持つからである。言語は、語り手や発話の時空的位置を問わない汎用性があり、誰が、いつ、どこで使おうとも、一定の文法に適った文章は一定の意味を持つのが言語である。このような意味で、我々の言語は、知覚=記号とはずいぶん異なるように思われるが、しかし、我々の言語にも「これ」「それ」「ここ」「あそこ」「今」「私」「あなた」のように、発話そのものの時空的位置から切り離せない言葉が存在し、しかもこれらの言葉は我々のコミュニケーションに不可欠である。


ミリカンは、第12章「直示詞、指標詞、およびもう少し記述について」で、「ここ」「いま」「私」「あなた」のような、不思議で「奇跡のような」言葉について論じている。彼女によれば、これらの「指標的形式の直接の先行者はもっとも原始的な記号に属するものであり、我々はこの原始的な記号からそれほど遠く離れていない」(p207)。たとえば、「ここ」という語は現在の場所の代役であり、「私」という語は話し手の代役である。つまり、「ここ」「わたし」などという言葉が語彙化されて、我々の言語の中にその文法的位置を持つことは、言語の中にその記号の環境的・時空的位置を導入することなのである。「いま」については、やや難しく、過去時制や未来時制の言語的確立とあいまって現在時制が成立するのだから、厳密に言えば、つねに現在を生きているミツバチや動物の記号には、人間のように時間的位置を示す指標としての「いま」はないというべきであろう(p207)。いずれにしても、「ここ」「いま」「私」「あなた」などの指標語は、時空的位置から解放されそうになった我々の言語の中に、原始の記号がそうであるように、記号自身の時空的位置を刻印する機能を担っている。


ミリカンは、上の文章に続けてこう述べている。「慣習的言語記号[=人間の言語]は、自然記号とまったく同じように、世界の一断片にすぎない。それは、記号またはその部分であるように作られたものとして、それゆえまた、注意と解釈を要求するものとして、世界の残りの部分から突出しているという点で、特別であるにすぎない。」(p208) 表象(記号)とは、それ自身が世界の一部でありながら、何らかの意味で、世界の残りの部分から自己を浮かび上がらせ、目立たせることによって、何かを表現する機構である。ミリカンのように、原始の自然記号の側から、高度に進化した我々の言語を眺めることは、我々の言語に内在する視点からは見えにくいさまざまなことをあらためて教えてくれる。[続く]