ゲーテ『ファウスト』より

charis2006-03-21

[気になる言葉] ゲーテファウスト』よりメフィスト
フェレスの言葉


(挿絵はドラクロワ作)


「なぜ、わざわざ<過ぎ去らせる>必要があるのか? 過ぎ去ってしまえば、初めから何も無いのと同じだ。俺は、永遠の虚無の方が[すっきりして]好きだ。」


解説: 我々は、この世に生まれ、そして死んで、無に帰る。これが「過ぎ去る」(=「過去になる」=「かつてあった」)こと。自分が死んでも、「かつて彼は存在した」と人々に思い出してもらえるから、自分の存在が「過ぎ去る」ことに別に驚かない。だがそれは、「思い出してくれる」未来の人類がいるからだ。ところで、人類には始まりがある以上、終りもあるだろう。つまり、やがて「思い出してくれる人」がいなくなり、「かつてあった」という「過去形の存在」もなくなる。「かつて」(=「過去」)とは、思い出している人の「今」にとっての「かつて」なのだから。こうして、「過ぎ去る」ことは結局、「初めから何も無い」=永遠の虚無と同じことになると、メフィストフェレスは言う。


たとえば、冷戦期には、全面核戦争で人類が滅びるという映画があった。しかし放射能で汚染され、残骸だけになった地球に他の星から宇宙人がやってきて、「かつてここには人類がいた」と過去を想起するならば、それはまだ構図が甘い。宇宙「人」は「別の人類」であり、人類がまだ滅びていないということだ。「宇宙人」も含めて絶滅するのだよと、メフィストなら言うだろう。


だが、ここにメフィストの弱点があるのではないか。我々という「この」人類に始まりがある以上、それに終りがあると考えることは、不自然ではない。だが、進化論的に人類の誕生と死を認めることは、同時に、宇宙のどこかの星にまた新しく生命が生まれ、高等生物に進化する可能性も認めることだ。将来の「可能的人類」の誕生の可能性をあらかじめ否定することはできない。とすれば、「この」人類が滅ぶことは、永遠の虚無と同じではない。