カント『永遠平和のために』

charis2006-11-19

[読書] カント『永遠平和のために』中山元
(光文社古典新訳文庫、06年9月刊)


(解任されるラムズフェルト国防長官。バクダッド制圧時の高笑いも昔の話。)


中山元氏の新訳が出たので、久しぶりに読み返した。『啓蒙とは何か』他4篇の短論文を合わせて収録し、カントの歴史哲学と政治哲学の輪郭が良く見える構成になっている。カントの主著と違って”構えた”ところがないので、”大きな話”が惜しげもなくポンポン語られるのが面白い。たとえば『万物の終焉』のキリスト教論。カント哲学の大枠から言えば、道徳的行為は定言命法のように命じられるものであるのに対して、「魅力」によって引き付けられるのが「愛」である。命じられても愛の感情は生まれず、「愛する」とか「好きになる」ことは道徳的行為とは正反対の態度なのだ。しかしキリスト教には、「愛」の要素があるとカントは言う。


カントによれば、ユダヤ教の「命じる神」と違って、キリスト教ではイエスは「人類の友」として語る。「イエスは、命令を与える者としての資格によってではなく、人類の友として語る。・・・人類の友は、人々がおのずと納得した上でみずからの意思に従うことを求めるのである」(p136)。「愛こそが、他者の意思をみずからの道徳的な掟のうちに自由に受け入れさせる力を持つ。人間性の不完全さを補うものとして愛が不可欠になるのだ」(135)。要するに、神ではなく「人間として」イエスがこの世に出現し、さまざまな人類愛の実践をすることが、「命令」を受け入れやすくさせる”緩衝材”になるのだ。カントは、キリスト教を完全に自分の道徳哲学の枠の中で捉えている。「人間性の不完全さを補うものとして愛が不可欠になる」という突き放した言い方が面白い。愛はあくまで「方便」なのだ。


閑話休題。読み返してもっとも印象に残ったのは、カント最晩年の『永遠平和のために』(1795)が、むき出しの力関係が支配する国際関係に、それとはもっとも縁遠いと一見思われる定言命法を内的に関係づけようと苦闘していることである。それは、哲学者の空疎な観念的議論とは必ずしも言えない。カントは、定言命法に含意される「公開性Publizitaet」という概念を強調する。そのような視点から見ると、211年も昔の『永遠平和のために』は、21世紀における9.11後の世界と呼応している。国連安保理は、世界中が注視する公開討論において、アメリカのイラク開戦を承認せず、アメリカの単独行動に「正義のお墨付き」を与えなかった。そして、安保理という公開の場でイラクの「大量破壊兵器開発」を主張したアメリカは、その虚偽を白日の下に暴かれた。これらの事実は、たとえアメリカの「単独行動」があったとしても、世界平和について我々に「根拠のある希望」(カントの言葉、本書p253)を与えるものではないだろうか。


カントの定言命法「汝の意思の格律が、つねに同時に普遍的な立法の原理とみなされるように行動せよ」は、「公開性」という概念を介して、国際法の正義に繋がっている。ある特定の目的の為ではなく(これは仮言命法)、すべての人が「そうすべきだ」という定言命法は、恥じることなく天下に公開できる。公開することによって何一つ失うものはないのが、仮言命法との違いである。『永遠平和のために』は、この「公開性」の原理によって、政治において混同されがちな二つの文脈、すなわち、正義論の文脈と功利主義の文脈とを切り分けてみせる(p240-253)。この議論の射程はきわめて大きい。「正義」を旗印にする者は、必ず「公開性」の法廷に参与しなければならないというのが、カントの主張のポイントである。安保理アメリカは、「正義の旗」を掲げて「公開性」の法廷に参与したからこそ、そこで裁かれ、敗れたのである。『永遠平和のために』の最終頁から引用しよう。


「だからわたしはここで、公法の超越論的な原理として、別の肯定的な原理を提案したい。この原理は次のように表現できるだろう。<その目的を達成する為に公開を必要とするすべての原則は、法と政治に合致する。>

この原則は公開しなければ目的を達成できないのだから、公衆の普遍的な目的である幸福の実現にふさわしいものであるはずである。公衆を幸福な状態において満足させるというその目的に合致させることが、政治の本来の課題だからである。」(p252)


キリスト教の「愛」を方便とみなしたのとは違って、政治(幸福の実現)と正義(道徳性)を切り離すまいとするカントの真摯で超人的な努力から、我々が学ぶものは非常に大きい。


ちなみに、この中山訳について、翻訳家の山岡洋一氏がコメントしている。哲学書の邦訳について、傾聴すべき意見だと思う。↓
http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/koten/bn/Kant.html