ミリカン『意味と目的の世界』(6)

charis2007-06-15

[読書] ルース・ミリカン『意味と目的の世界』(信原幸弘訳、勁草書房、07年1月刊)


(写真は2006年7月、オーストラレーシア哲学会での著者。食事そっちのけで、哲学的議論をしてる?)


ミリカンは、第6章「志向性」において、自然的表象(記号)と志向的表象(記号)を区別する。自然的表象というのは、ガンの飛来が冬の到来を表象したり、森の土のウズラの足跡がウズラの存在を表象するように、時空的に規則的な関係があればどこにでも成り立つ表現関係である。それに対して、志向的表象は、表象の送り手と受け手が存在し、送り手の送った表象が受け手によって受け止められることが、送り手と受け手の両者にとって利益になるような表象の在り方である。ミリカンは、送り手と受け手を「表象の生産者」「表象の消費者」と呼ぶ。送り手と受け手という二つの要素の"相互利益"によって「志向性」を説明するのが、ミリカン説のポイントである。


ミリカンによれば、「表象の生産者」と「表象の消費者」は、「別の生物、つまりふつうは同種の別の個体であるかもしれない。あるいはそれらは、一つの生物の二つの部分ないし側面かもしれない。消費者がなすことは生産者に役立ち、生産者がなすことは消費者に役立つ。」(p105) たとえば、ミツバチのダンスや、ニワトリがココッと鳴いてひよこを餌の場所に呼ぶのは、同じ種の生物の異なる個体が、表象の送り手と受け手である。だが、同じ生物個体の内部にも、たくさんの表象の送り手と受け手が存在している。もっとも単純なバクテリアにさえも、志向的記号は存在するのである。バクテリアの内部には、北を示す磁性体があり、これが送り手に相当する要素である。また、その「表示」を受け取ってバクテリアを深い海の方向へ移動させる機構がバクテリアの内部にあり、こちらが受け手に相当する。


ミリカンによれば、「そのバクテリアの磁性体は、地磁気の北に対応し、そしてより深い海の方向に、より酸素の少ない方向に対応する。・・・この磁性体の方向は何の志向的記号であろうか。磁石の北、地磁気の北、より深い海、より少ない酸素のいずれを表示するのであろうか。それは、もちろん、この四つのものすべての反復的自然記号である。しかし、それはより少ない酸素のみの志向的記号である。なぜなら、それはその目的を果たすためにより少ない酸素と符合する必要があり、またその必要しかないからである。」(p110) バクテリア内部の磁性体の極性は、(すべての)磁石の北、地球の地磁気の北、(北半球の)より深い海、より少ない酸素のいずれとも、時空的に規則的な関係があるから、磁性体の極性は、これらの四つのものの自然的記号である。しかし、バクテリアにとって、他の磁石、地球の地磁気、海の深さなどはどうでもよいことであり、バクテリアはそれらに関心を持っていない。だが、酸素の少なさだけは自己の生存に関わる重大な関心事である。とすれば、バクテリア(の身体を移動させるバクテリア内の機構)にとって「利益になる表象」は、他の三つではなく、「酸素の少なさ」の表象である。つまり、バクテリア内の磁性体の極性(送り手)は、「酸素の少なさ」という志向的表象を生産し、その表象を、バクテリア内の移動機構(受け手)が消費するという関係にある。そして、このような表象の生産と消費によって、バクテリアは生存を保障され、送り手も受け手も利益を得るのである。


人間のような高等な生物は、自己の身体の内部で、こうしたバクテリア内部の表象の生産と消費と同様な志向的表象を、ずっと複雑かつ大規模に行っている。我々の感覚器官や神経回路は、無数の「情報」の遣り取りをするが、「情報」の移動とは、たんなる物質の因果的移動ではなく、「情報」という規定そのものが、そもそも「意味論的関係」であり、送り手と受け手の両者にとって利益になる選択的関心のみを表象する、志向的表象なのである。


以上から分かるように、ミリカンは、「志向性」や「志向的表象」をこのような原始的な生物の機能の次元にまで遡って把握する。しかしそこで重要なのは、どんなに単純な生物であっても、協力し合う受け手と送り手が想定されており、生産者が生産した表象を消費者が消費することによって、両者が利益を得るという関係を作り出すのが、「志向的表象」なのである。そして、両者が利益を得ることは、その生物の生存を有利に導くからこそ、長い地球の歴史において、生物は「志向的表象」を発展させるように進化してきたのである。[続く]