野田秀樹『THE BEE』

charis2007-07-22

[演劇] 野田秀樹『THE BEE』三軒茶屋・シアタートラム

(写真下は、左がマスコミ記者役の野田秀樹、中央が井戸役の女性キャサリン・ハンター。彼女はリア王やリチャード三世も演じた英国の女優。)

観たのは『THE BEE』ロンドンバージョン。こちらが原作で、英語で上演され、日本では日本語字幕が付く。日本語で上演された日本バージョンは、せっかくのチケットが公務でおじゃんになり、比較できないのが残念。言葉遊びという点では、日本語上演の方が分かりやすかったはずだ。


原作は筒井康隆の『毟(むし)りあい』。野田が、脚本、演出、主演。物語はシンプルだが面白い。サラリーマンの井戸は、帰宅途中、突然マスコミの記者に取り巻かれ、脱獄囚が井戸の家に立て籠もり、妻子を人質に取られたというニュースを聞かされる。記者たちは執拗に井戸にインタヴューし、それがそのままTV放映されるので、井戸は視聴者の視線を意識しながら振舞わなければならない。衝撃を受けた井戸だが、ある奇策を思いつく。井戸もまた、脱獄囚の家庭に押しかけ、脱獄囚の妻であるストリッパーの女性(これを野田が二役で演じる)とその子供を人質に取って、そこに立て籠もる。そして対等の条件で、脱獄囚と電話で連絡を取り合う。間に警察も入り、プロセス全体がTV中継されるというメタ構造の中で、事件は面白おかしくスピーディーに展開される。


ところが、初めは被害者として謙虚だった井戸が、自分も人質を取る立場になると、暴力的に振る舞い始める。「自分の妻子を時間までに釈放しないと、子供の指を切り落とす」と相手を脅し、時間になると、本当に子供の指を切り落として、指を封筒に入れて、脱獄囚に届けさせる。井戸は勝利感に酔い、脱獄囚の妻をレイプする。ところが、相手も人質の子供の指を切り落として、井戸に封筒が届く。井戸は怒って次の指を切り落として届け、それに対して、また相手からの新しい指が届くという悪循環がずっと続く。人質の妻は、井戸に封筒や食事を作ったり、井戸の助手のようにふるまい始める。ついに妻の指も切り落とし始めた井戸は、混乱し、加害者と被害者の区別も分からなくなり、絶望して終幕。全体で1時間10分くらいという短さ。


後半の指切りの悪循環からは、台詞はほとんどなくなり、パントマイムとして進行する。指を切るのは、赤鉛筆(箸?)を「ボキッ」と折ることで示される。なんとか演技をコミカルに見せて、内容の辛さを軽減しようとしているのだろうが、観客を笑わせるのは難しい。演技としては、井戸役のキャサリン・ハンターが素晴しい。小柄ながら、しがないサラリーマンが暴力に暴力で立ち向かう中で、次第に凶暴になっていく様子が、とてもリアルに表現される。めくれたスカートのまま舞台を転げまわる野田も熱演。たしかに、相手と対等にこちらも人質を取るという発想は面白いし、前半の喜劇的展開と、後半のシリアスな暴力の悪循環をスッと繋いでゆく展開は見事だと思う。


だが、「残酷さの中にも限りない美しさが光る」というこれまでの野田劇と比べると、「美」の要素が欠落している。世界を救済するために死ぬヒロインもいない。野田はプログラムノートに、「[観客を]感動させてなるものか、涙など流させてなるものかという心意気で作った」と書いている。『ロープ』なども含めて言えることだが、野田の芝居は変りつつあるようだ。