TPT公演『三人姉妹』

charis2007-07-30

[演劇]  チェホフ「三人姉妹」 TPT公演 ベニサン・ピット

(写真は、左からオーリガの呂美、マーシャの浜崎茜、イリーナの唐沢美帆)


2004年12月に上演された、TPT公演「三人姉妹」は、アッカーマン演出のとてもユニークなものだった。三人は非常に若くて可愛らしく、同い年の「三つ子」のように互いに甘え合って、濃密なスキンシップを見せていた。男も、トゥーゼンバッハをはじめとする軍人は、長髪でパンクなアメリカ風の若者だった。こうした設定で、対等な三姉妹とその友人という、成熟を欠いた「若者の物語」にするのは、珍しい演出でとても面白かった。


しかし、今回の門井均演出は、同じように若者劇の線を狙ったのだろうが、どこか中途半端で、チェホフ劇の上演としては失敗ではなかろうか。三姉妹はビジネスウーマンのようなスーツ姿だが、軍人は軍服風の服装。女中は昔風の長いスカート姿。ちぐはぐなのはいいとしても、問題は、各人が身勝手にバラバラに生きている中に、そこはかとなく浮かび上がる悲しみや、秘めた感情の味わいといったものが見られないことである。チェホフ劇の登場人物は、誰もが自分の不満を語るのは熱心だが、しかし人の話に耳を傾けて共感することはしない。自分の感情を持て余して、他人にぶつける「未熟な」人たちばかりなので、コミュニケーションがなかなか成立しない。にもかかわらず、そうしたちぐはぐな滑稽さの中に、人間の深い感情が隠されていることが我々に少しずつ見えてくる。笑えば笑うほど悲しくなるという泣き=笑いの世界が、チェホフの真骨頂なのだが、しかしそうであるだけに、微妙なバランスがうまく機能しないと、たんにばらばらなだけで終わってしまう。


今回の上演は、そのよい例だと思う。たとえば、長女のオーリガには優しさと気配りが、次女のマーシャは尖がっているが才能と女性的魅力が、末っ子のイリーナは未熟だがひたむきな少女の面影が残るというように、三姉妹のそれぞれが丁寧に造型されなければならないのに、それが見られない。台詞を振り回しているようで、肩に力が入った「新劇風」なのだ。イリーナもほとんど棒立ちでしゃべる。もっと体や視線の微妙な動きがないと、いかにも未熟な役者に見えてしまう。マーシャの浮気相手のベルシーニンに「影」がほとんど感じられない。マーシャの夫のクルイギンはいかにもチェホフ劇らしい人物で、中間管理職の悲哀を一身に背負う滑稽さがとても悲しいのに、この上演ではただ能天気にしゃべるだけで、悲しみがまったく感じられない。ただ「影がない」だけでは、チェホフ劇の味わいは出ないのだ。演出の問題もあるのだろうが、個々の役者の技量が高くないとチェホフ劇は成功しないことがよく分かった。