新演出の『フィガロ』(1)

charis2007-08-08

[オペラ]  フィガロの新演出(’06ザルツブルク音楽祭DVD) [1]


(写真右は、’06ザルツブルク音楽祭フィガロ』の第二幕。横たわるケルビーノ(シェーファー)を愛撫する伯爵夫人(レシュマン)とスザンナ(ネトレプコ)。本来はケルビーノを女装させる軽やかで楽しい着せ替えシーンだが、ぎこちない愛撫と陰うつな性愛シーンに変えられている。写真下は、第三幕最後、花娘の花を手にするスザンナ。表情はとても暗い。)

昨年のザルツブルク音楽祭フィガロの結婚』のDVDが7月末に日本で発売された。この数年、今までの『フィガロ』と大きく異なる新演出に、そのつど衝撃を受けてきたが、このDVDを見て、新演出にもそれなりのコンセプトがあることが分かり、好き嫌いや成功・不成功とは別に、その問題点を考えてみたくなった。私が非常にびっくりした『フィガロ』は以下の三つである。このうち、(2)は場面を完全に現代化した興味深い演出で、また別に論じてみたい。

(1) 2003年 アンドレアス・ホモキ演出 新国立劇場(2005年再演、2007年秋に再再演、公演案内は↓)
http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000008.html

(2) 2006年 クリストフ・マルターラー演出 パリ・オペラ座公演(DVDあり)

(3) 2006年 クラウス・グート演出 ザルツブルク音楽祭公演(DVDあり)


この三つはどれも、『フィガロ』の中心テーマとしてエロス=性愛を極端に強調する。(1)を東京で二度見た際には、エロスの能天気な発散に呆れただけだったし、(2)はケルビーノが可愛い下着を見せたりするエロティックな演出だが、全体がとても軽やかな喜劇性に満ちていた。だが、’06ザルツブルク音楽祭の(3)は全然違う。エロスが”受苦”として主題化されており、四幕すべてが重苦しく陰うつで、死の匂いを漂わせている。登場人物はすべて、悩みと苦しみに呻吟し、誰一人として幸福そうには見えない。このような、一切の幸福感が剥奪された喜劇『フィガロ』が、かつてあっただろうか? DVD付録のインタヴューによると(こちらは本番と違ってとても楽しい。特に、真夏のザルツブルクの青空のもとで微笑む、すっぴん+タンクトップ+短パンのネトレプコの可愛らしさ!)、演出のグートは、イプセンストリンドベリ、そしてベルイマンの映画から根本イメージを得たという。全体が精神分析的解釈で、ケルビーノが主人公なのだが、原作にはない彼の分身であるケルビム(天使)が登場し、パントマイムによって人々を見えない力で操る。エロスは盲目な力で人々を支配しており、それは人間を苦悩と死に導くのだ。第四幕、最後の大団円でケルビーノが死ぬことに、それは象徴されている。以下、気になった点を幾つか挙げてみるが、最近はYou Tubeで当該シーンが見られるので、一緒に貼り付けておきます。


まず、幕開けだが、大きな階段と踊り場だけからなる空間設定が印象的だ。家具が第四幕に至るまで一つも登場しない。フィガロの新婚ベッドも、ケルビーノが隠れる椅子も、そよ風の二重唱で手紙を書く机も、一切ない。人間は、何もない空間の中で、立つか、床や階段に座り込むか、床に寝込むか、このいずれかしかない。全編、裸の空間に人間が放り出され、姿勢を保つために頼るものはないのだ。

第一幕 幕開けシーン
http://www.youtube.com/watch?v=6A0Uj3fnkps&mode=related&search=


ドイツを代表するソプラノ歌手、クリスティーネ・シェーファーがケルビーノを演じるが、最初から最後まで、ケルビーノはまったく笑わない。終始、無表情で、自己主張もなく、女の子をナンパしたいと歌う第一幕のアリア「自分が分からない」では、目隠しをされて、本当に盲目。こんなに暗くこのアリアが歌われるとは! また、暴力が目に見える形で示される。第一幕の終わり、フィガロの「もう飛ぶまいぞこの蝶々」では、フィガロがナイフでケルビーノの腕を切り、血を顔にぬりたくる。スザンナを恋するケルビーノにフィガロは残酷に復讐するのだ。

第一幕 ケルビーノのアリア「自分が分からない」
http://www.youtube.com/watch?v=Fs_w96KtGAg&mode=related&search=

第一幕 フィガロのアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」
http://www.youtube.com/watch?v=vWTtNUZUH8U&mode=related&search=


第二幕冒頭の伯爵夫人のアリア。彼女はどこか神経を病んでいるように見える。上着が何度もずり落ち、そのつどスザンナが駆けつけて再び肩に掛ける。第二幕、「恋とはどんなものかしら」をケルビーノはとても苦しげに歌う。左側の窓には黒いカラスが何羽か飛んでいる。死骸も使われて、カラスは全編に登場する。そして、ケルビーノのエロスによって、伯爵夫人とスザンナは恍惚の表情になるものの、それは二人の奇妙なパントマイムからも分かるように、見えない力に操られる空虚な肉体の反応にすぎない。本物の官能の喜びを欠いた、影絵のようなエロス。

第二幕冒頭、伯爵夫人のアリア
http://www.youtube.com/watch?v=uXL9FSBsU_0&mode=related&search=

第二幕 ケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」
http://www.youtube.com/watch?v=LFTUz8kW7u4&mode=related&search=


フィガロ』でもっとも魅力的なキャラであるスザンナは、つねに苦しみにもがく表情を見せて、快活さ・愉快さがまったくない。アンナ・ネトレプコは美貌とその歌唱力によって、ダントツの人気を誇るソプラノ歌手だが、彼女に問題があるのではなく、このようなスザンナの造型がとても奇妙なものなのだ。それは、第二幕のケルビーノを女装させるシーンでよく分かる。とてもエロティックでありながら、ぎこちなく、重苦しい。[続く]

第二幕 ケルビーノの女装シーン二重唱
http://www.youtube.com/watch?v=NFrvR-4mkHo