「出生率」を考える(1)

charis2008-07-31

[読書] 河野稠果『人口学への招待』(中公新書 2007年8月)


(挿絵は、ギリシア神話のアルテミス。彼女はいわゆる処女神で、野山を駆け巡り、鹿狩りに明け暮れているが、しかし他方では、出産、多産の守り神でもある。)


少子化問題が語られるときに、必ず登場するのが「出生率」である。ある年の「合計特殊出生率」は、翌年の6月初めに公式発表され、新聞を賑わす。たいていは、「一人の女性が一生の間に産む子供の数」というように説明されているが、私は以前から、この説明に何となく釈然としないものを感じていた。「一人の女性が産む」といっても、平均の話であり、未婚女性や子供を産まない既婚女性もすべて含んでの平均である。現実に子供を生んだ女性が、何人産んだかという話ではなく、子供を産まない女性も含めての「一人の女性」である。これはまあ、分かる。日本人女性全員を「一人の女性」と見立てたわけだから。


しかし、「一生の間に産む」数が、なぜ「ある年の」出生率として表現されるのだろうか? これが不思議だった。実際に子供を産んでいるのは、30歳を中心とする年齢の女性たちである。彼女たちが「一生の間に」何人生むかは、まだ分からないではないか。あと一人産むかもしれないし、二人かもしれないし、いや、これを最後にもう産まないかもしれない。それどころか、現在未婚の10代や20代の女性たちは多いが、彼女たちのうち、これからどのくらいが結婚し、何人くらい子供を産むだろうか。そういうことは、まだ分からないはずではないか。それなのに、「ある年の」出生率として、女性が「一生の間に」産む数が表示されるのである。それに対して、たとえば、50歳以上の女性の統計を取れば、彼女たちは「すでに産み終わった」と考えられるから、数値は確定し、「女性が一生の間に産んだ子供の数」が分かるだろう(これに近いものとして、「完結出生児数」という統計指標がある)。しかし、その場合は、50歳以上の女性たちが実際に子供を産んだのは20年以上前であろう。すると、「ある年の」出生率といっても、実態は、ずっと昔の出生動向を表していることになる・・・。


こうした素人の疑問を感じていたのだが、今回、昨年出た河野稠果『人口学への招待』を読んだ。河野氏は厚生省・人口問題研究所長を長年務めた学者で、人口学の第一人者と目される人。本書は、短いながら重要な論点をきちんと押さえた優れた書物で、「出生率」が複雑な概念であることがよく分かった。出生率にもいろいろあり、「粗出生率」「総出生率」「完結出生児数」「年齢別出生率」「期間合計特殊出生率」「コーホート合計特殊出生率」「調整合計特殊出生率」などがあるという。最後の「調整合計特殊出生率」は、1998年に現れた新しい概念である。以下、出生率について私が本書から学んだことを、簡単に書いてみたい。知っている人には当たり前のことだろうが、素人の覚書である。


まず、「そもそも出生率とは、何を知るためのものなのか?」というところから出発しなければならない。「国」単位で統計を取ることは、とりあえず認めよう(本当は「人口学」そのものに、国家の政策学的視点、「御用学問」的性格があるのだが、それは措く)。すると、出生率とは、「子供がよく生まれる国」か、それとも「子供があまり生まれない国」かを示す指標である。しかし、「子供がよく生まれる」「あまり生まれない」と言う時の、「よく」とか「あまり・・ない」という評価基準は何だろうか。何をもって「よい」とか「よくない」と言うのか? 何と比較しての「よい」「よくない」なのか? それとも、他との比較ではなく、ある国に固有の内在的性質として、「子供がよく生まれる」とか「あまり生まれない」という「よさ」「よくなさ」があるのだろうか?


「粗出生率」という概念がある。1月1日から12月31日までに生まれた子供の数を、その年の7月1日の人口で割ったものである。「粗出生率」はたしかに、「子供がよく生まれる国であるかどうか」を示している。というのも、出生数そのものは人口に左右されるだろうから、大国小国の差が出ないように、分母を「1」にすることによって初めて、他国との比較ができるからである。次に、「総出生率」という概念がある。「粗出生率」の分母が、その国の全人口であるのに対して、「総出生率」は、分子はその年の出生数という点は同じだが、分母は、15〜49歳の女子人口である。「総出生率」は、「粗出生率」に比べて、「子供がよく生まれる国かどうか」をより正確に示している。というのは、実際に産むのは男性や年少・高齢女性ではなく、出産可能な年齢にある女性だからである。出産可能な年齢の女性が多い国も少ない国もある。年齢別人口構成を示す表(=人口ピラミッド)が、「つりがね型」の国と「富士山型」の国では、国の人口は同じでも、出産を可能にするそもそもの条件が違う。出産を可能にする条件を同じにして(=分母を「1」に揃えて)こそ、「同じ条件の割に、子供がよく生まれる国と、そうでない国」の比較ができる。その意味で、「総出生率」は「粗出生率」より、出生率のさらに正確な比較を可能にする。


では、「15〜49歳の女子人口」を分母に取れば、「出産を可能にする条件」は万全なのだろうか? そうはいかない。下の表は、日本における女子の初婚年齢の10年単位の変化である。

ヨーロッパと違って、日本は結婚と出産が密接に関連しているから、結婚の年齢が変わることは、出産の条件を変えることになる。結婚年齢が高くなることは、出産可能な期間が減ることである。だから、出産可能な条件を確定するには、15〜49歳の女性人口の全体を取ったのではだめで、さらに細かく分母を取ることを考えなければならない。このような要求のもとに生まれたのが、「合計特殊出生率」である。[続く]