『ナクソス島のアリアドネ』

charis2008-06-28

[オペラ] リヒャルト・シュトラウスナクソス島のアリアドネ』 鵜山仁演出 二期会公演 東京文化会館

(写真右は、2002年ロンドンのロイヤル・オペラハウス公演。右から三人目が浮気な娘ツェルビネッタ。左から二人目が悲劇の王女アリアドネ。あとは道化たち。写真下は、同じく2004年のロイヤル・オペラハウス公演。その下の写真は、2004年アメリカのロスアンゼルス・オペラ公演。ともに右端がツェルビネッタ。)


ナクソス島のアリアドネ』は正味2時間強の比較的短いオペラで、オケの編成も小さいが、物語の風変わりな面白さと音楽の際立った美しさという点で、大変な傑作だと思う。最初シュトラウスは、ワーグナー『楽劇』の向こうを張って、演劇とオペラの新しい「結合」をもくろむ作品を作った。前半が演劇(モリエールの喜劇『町人貴族』)、後半がオペラ(ギリシア神話にもとづく『アリアドネ』)という組み合わせ方式なのだが、上演は失敗で不評に終わった。それで、作り直して全体をオペラに仕立てたのが、この作品。物語の筋立てからすると、いわば苦し紛れの無理筋なのだが、それが結果として面白いオペラの誕生につながった。


物語は、宮廷で、格調高いオペラ(アテナイの王子テーセウスに捨てられたアリアドネ姫の悲劇的物語)を上演するはずだった一座に、突如、王より命令がくだる。オペラ終演後に上演されるはずだった低俗なイタリア風茶番劇を、オペラと同時進行にせよという無理難題の命令だ。オペラの作曲家(美しいズボン役のソプラノ。谷口睦美)は憤激して上演をやめると言い出すが、喜劇役者で踊り子のツェルビネッタ(幸田浩子)が「私たちがオペラの中で即興で役を演じるから、できるわよ」と説得して、悲劇と茶番劇がまぜこぜになったオペラが始まる。シュトラウス最初の失敗作であった演劇+オペラの二本立て融合という構想が、開き直って、オペラ内部の物語として再演されるのである。イタリアのコメディア・デラルテギリシア悲劇とが、オペラの中で無理やり結婚させられる。


テーセウス王子に去られたアリアドネ姫(佐々木典子)は絶望して、ナクソス島で死ぬことばかり考えている。そこに現れた道化4人組とツェルビネッタは、姫を一生懸命なぐさめる。ツェルビネッタは、「男なんてたくさんいるわよ、振られたら別の男に乗り換えりゃいいじゃん。私なんか、何人もの男と同時進行よ。あなたもやってごらんなさいな」と歌い、真面目な姫は反発する(↓一番下の写真左)。だが、そこにやってきたのは、イケメンの若き神バッカス。最初、それを死神と錯覚していた姫は、バッカスに抱かれてがぜん愛に目覚めるというハッピーエンド。テーセウスなんて、もう忘れちゃった(^^)。たわいもないイタリア風喜劇が、ギリシア神話の悲劇を飲み込んでしまうところがよいのだ。プロローグでは、いかにもお高くとまった姫やオペラ歌手たちが、低俗な喜劇役者をさんざん軽蔑したくせに、本番では、イケメンに口説かれた姫がたちまち陥落するという大逆転。クラシック音楽は低俗劇よりワンランク上という音楽家の思い上がりが笑われているのだ。


とはいえ、このようなたわいもない話がオペラとして成功するのは、それが比類のない音楽と融合しているからだ。姫を説得するツェルビネッタの大アリアは、他のどの作曲家にもない独特の美しさに溢れている。そもそもシュトラウスの音楽は、たとえば、モーツァルトの澄み切った天国的な美しさとも、ブラームスの寂しさの中に浮かび上がるたとえようもない美しさとも、あるいは、ショスタコーヴィッチのあの絶望的な暗さの美とも、まったく違う。いってみれば、「溶けてしまいそうな」甘美な美しさなのだが、ツェルビネッタの大アリアは、それにリズミカルで軽快な要素が巧みに加えられていて、とても不思議な美しさだ。シュトラウスの歌はどれも「溶けてしまいそうな」旋律なので、輪郭がはっきりせず、モーツァルトのアリアのように素人が口ずさむことはできない。おそらく高度な作曲技法に裏打ちされているのだろう。この上演では、男性歌手も声量が豊かで(たとえば、バッカスを歌った高橋淳)、とても充実していた。それから言い忘れるところだったが、序曲の出だしが本当に美しい。始まったとたんにうっとりさせるのが、シュトラウスの魔法。


PS:コメント欄で、もんもさんより写真を紹介いただきました。さっそく貼ります。茶髪のツェルビネッタが素敵でしょう! スーブレットの軽みのあるキャラが立つし、幸田浩子は渾身の名唱。こんな素晴らしい大アリアが聞けるとは思わなかった。歴史的名演! 灰色の燕尾服の女性は、作曲家(谷口睦美)。彼女も素晴らしかった。写真下は、左より、アリアドネ、ツェルビネッタ、バッカス


もんもさんご紹介の写真、以下でぜんぶ見られます。週間単位なので、6月25日を。↓
http://www.music.co.jp/classicnews/c-news/2008/0622-0628.html