演劇版『神曲・地獄篇』

charis2009-12-11

[演劇] ロメオ・カステルッチ『神曲・地獄篇』 東京芸術劇場・中H


(写真はすべてヨーロッパ公演の舞台より。右は舞台を這う骸骨。下は舞台上の本物の馬や死者たち)


イタリアの演出家ロメオ・カステリッチが率いる劇団ソチエタス・ラファエロ・サンツィオによる、ダンテ『神曲』三部作をもとにした舞台。『地獄篇』は科白のほとんどないパフォーマンス中心の舞台、『煉獄篇』は家庭劇、『天国篇』はインスタレーションとして、行われるという。今日見たのは最初の『地獄篇』。ダンテの原作とはほとんど無関係の内容だったが、とても斬新な舞台でびっくりした。たんに舞台の上だけに地獄を表現するのではなく、観客自身を、地獄に来たかのような不快な気分にさせるような仕掛けがなされている。まず、開演前から客席に「ジージーバチバチッ・・・・」という耳障りで不快な電子音がかなり大きな音で鳴っており、この低周波の嫌な音は上演中にもしばしば聞かされる。舞台が始まると、吼えまくる獰猛なジャーマン・シェパード犬が5匹現れ、舞台前方に鎖は繋がれる。私は前から三列目中央の席だったので、至近距離だ。ついでロメオ・カステリッチ自身が舞台に登場すると、三匹の鎖に繋がれていないシェパード犬が彼に襲い掛かり、防護服の上から本当に噛み付く↓。ここは、ダンテ『神曲』冒頭で、ダンテ自身が狼に襲われるシーンの再現だろう。また、舞台の中ほどでも、パフォーマーたちが数十メートル四方の巨大な白いシルクの布を観客席全体にかぶせるので、我々観客は頭上を布で覆われて、何も見えなくなる。地中に埋められるという体験だろうか。


舞台は、空間の光と闇の使い方がすごくうまい。たとえば、子供たちが無邪気に遊んでいる箱を、闇の中の地獄の人間が外から黙って見つめるシーン。地獄とこの世は、合わせ鏡のように一体なのだ。↓


また、パフォーマーたちの人間の身体が美しい。横たわった死者たちからは、衣服の色彩感がよく分る。明るい光の中ではどうということのない色が、闇の中の乏しい光の中では輝くばかりに美しい。↓


全体として地獄は、魂なき死者の肉体を含めて、その特有の「物質性」として表現されている。生命のない「無機的」な感じこそ、電子音楽と合わさって、地獄の特徴なのだろう。ダンテ原作では、ローマの詩人ウェルギリウスが案内役となってダンテを案内するが、本作では、アメリカの美術家アンディ・ウォーホルが案内役を務める。ウォーホルの作品は、大量生産される「表象の物質性」に満ちている。地獄にぴったりということだろうか。銀髪のかつらのウォーホル(本当は若い女の子が面をつけて演じている)は、ポラロイドカメラで観客の写真を撮ったり、磔の刑の死者を演じたり、大活躍する。↓


『煉獄篇』『天国篇』はいったいどうなるのか、楽しみだ。