映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』

charis2018-01-06

[映画] E.ヤン『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』 渋谷・アップリンク 1月6日


(写真右は、主人公の小四(シャオスー)と彼が恋をする少女の小明(シャオミン)、二人は中学二年生で15才だろうか、俳優(といっても素人)の実年齢もほぼ同じ、写真下も二人)


エドワード・ヤン監督の作品を観るのは初めてだ。休憩もない3時間56分通しだが、どのシーンも深みのある緊迫感を持っており、一気に観終わった。胸がかきむしられるような悲しい映画だが、なるほどBBCが世界映画100選に選んだだけあって、世界映画史に残る傑作だと思う。画面に登場する家並みも室内も古くて汚らしいのに、全体の映像は深い闇と光が交錯して非常に美しい。このような映画を私は一度も見たことがないので、どう分類したらよいのだろうか。実在した少年のガールフレンド殺害事件に想を得ているが、「『ゴッド・ファーザー』と小津安二郎の両方の要素を併せ持つ」(「ヤヌス・フィルム」)不思議な映画。少年の少女への初々しい恋が軸になっており、中高校が舞台だから「学園もの」でもあるし、一人の少女を巡って徒党を組んだ不良少年たちがヤクザのような抗争をするから「ウェストサイド物語」にも似ている。だが、この映画は、登場するすべての人物が非常に苦しんで生きていることが基調であり、きわだった叙事詩的な広がりをもつ広義の「戦争映画」であると思う。戦場は出てこないが、「銃後の社会」が描かれている。戒厳令下の台湾で陰惨に続く国共内戦白色テロ、中国本土から来た外省人ともともと台湾にいた本省人の対立、そして少し前まで植民地支配をしていた日本が深い影を落としている。舞台となった1961年の台北は、たえず戦車が道路を通過するし、主人公の少年の父に対する秘密警察の厳しい尋問によって家族は崩壊の危機に追い込まれる。家族愛や友情が深く丁寧に描かれており、主人公・小四の父と母、二人の姉、一人の兄、一人の妹、そして、不良グループも含めた友人たちの、何と愛おしいことだろう! 彼らの一人一人が自分の苦しい人生を生きており、その集合が叙事詩的な広がりとなって、世界と歴史が描かれている。全篇を深い閉塞感と絶望感が支配しており、少年の恋がうまくいかず、最後にちょっとした手違いから少女を刺し殺してしまう悲劇の真の理由は、人々が引き裂かれ、深く対立する生を生きているからだろう。(写真↓は、元カレの死にショックを受けて学校を休んだ少女が久しぶりに登校し、彼女に少年が告白するシーン、ブラスバンドの練習音が、たまたま告白の数秒だけ休止する、全篇でもっとも美しいクライマックスシーン)


この映画の素晴らしいところは、不良少年がとても魅力的に描かれていることだ。少女の彼氏で、チンピラグループのリーダーであるハニーは、冷静沈着な深みのある人物である。誠実で正義感が強く、「世界を変えようとする」ので、「世界は絶対に変らない」と信じている少女とよく喧嘩になったという。彼は、彼女を取ろうとした別のチンピラグループのリーダーを殺し、逃亡中に、トルストイ戦争と平和』を読んで感銘を受けた。この広義の「戦争映画」にふさわしいエピソードだ。しかし、ハニーも対立グループのリーダーにあっけなく殺されてしまう。(写真↓は、中央がハニー)

一方で、小明という15才の少女は、最後まで謎である。無垢に見えるけれど、たくさんの男たちが自分に寄ってくる経験をしているので、男のことが良く分かっている。少年がまったく純情で無垢であるのに対して、少女は最後の終幕で、「私を助けるですって? 私を変えたいのね! 私は、この社会と同じ、私を変えることなんかできない! 自分勝手だわ。何様なの!」と少年を嘲笑し、絶望した彼は、思わず彼女を刺してしまう。恋敵の少年を刺すはずの小刀で。結果的には何人もの男が、彼女が原因で死んだけれど(死刑判決を受けた少四を含めれば4人死んだことになる)、彼女は男を誘惑するファム・ファタルではない。彼女が「次々に男を変える」ように見えるのは、病身の母を抱えて貧困のどん底にある彼女の不幸ゆえの受動性であり、寄ってくる男を拒絶するエネルギーがないからである。口説かれたときの彼女の深い沈黙がそれを示している。「ノー」とも言わず、ただ押し黙ってうつむいている。彼女にせめて可能なのは、表面だけ愛を受入れたように見せかけることだけで、「愛の主体」にはなれない深い絶望状態にあるのだろう。たしかに「僕が君を救う」と彼女に告白した少年は未熟過ぎた。「誰も私を救うことはできない」と固く彼女は信じているのだから。しかし、もし彼女がハニーとだけは相思相愛だったとすれば、それはハニーが「彼女だけは変えようとしなかった」、つまり、「見返りに彼女の愛を求めなかった」から、それが結果的にハニーを愛することになったのではないか。そこには恋愛の本質に関わるパラドックスがある。愛に関わる人間はいずれも深い闇の中にいる、というのがこの映画が一番語りたかったことだろう。



動画がありました。三番目は、『戦争と平和』について語るハニー。
https://www.youtube.com/watch?v=imjLDcv68s8
https://www.youtube.com/watch?v=P0Kphc7zne0
https://www.youtube.com/watch?v=kCxXWhiBvW4
字幕のない16分の映像がありました。ロベール・ブレッソンが言ったように、本物の映画は映像だけで十分に語るのであって、言葉は二次的です。その通りの映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=agErxn19jEo