藤原歌劇団『カルメル会修道女の対話』

charis2010-02-07

[オペラ] プーランクカルメル会修道女の対話』 藤原歌劇団公演・東京文化会館


(右は今回のポスター、下は2009年11月、フランスのトゥルーズで上演された舞台)

友人のT氏とKさんとご一緒した。実演を観るのは昨年に続いて二度目だが、心洗われる奇跡のようなオペラだ。今日の東京文化会館には、あちこちに見かけた修道女姿からして、カトリック関係者も多かったのではないだろうか。作品の荒筋は昨年書いたので↓、今回は新しく気付いたことを備忘録的に。
http://d.hatena.ne.jp/charis/20090315


このオペラは、音楽も見事だが、磨き抜かれた科白が深く、重く、光のように輝いている。「殉教」という問題を正面から問う神学的・哲学的な作品なのだ。どうしてこのようなオペラが20世紀に生まれたのだろうか? このオペラが生まれた過程は、長く複雑だが、まずフランス革命の混乱期にカトリックカルメル会修道女16名が処刑された事件があり、ただ一人生き残った当事者マリー修道女がそれを記録に残した。1906年ローマ教皇庁は、16名の修道女を(「聖者」の下位の)「福者」に列した。そうした史実に、ドイツのカトリック女性作家ル・フォールが、ブランシュ修道女という架空の人物を加えて小説化した(1931)。それをもとに、フランスのカトリック作家ジョルジュ・ベルナノス(1888~1948)が死の直前に映画用シナリオを書く。その映画計画は潰れたが、ベルナノス没後に原稿を発見した友人が感銘を受け、ドイツで演劇として上演した(1952)。それが評判になり、プーランクがオペラ化した(1957)。今回、ベルナノス『カルメル会修道女の対話』(著作集第3巻、春秋社)を読んでみたが、オペラは、重要な科白をほぼそのまま踏襲している。


私がベルナノスを知ったのは、その作品をロベール・ブレッソンが映画化した『田舎司祭の日記』『少女ムシェット』を通してだが、『カルメル会』とも共通するのは、人間の”弱さ”への深い共感である。神への祈りと思索に明け暮れた30年来の修道女生活が何の役にも立たず、病気に苦しみ大声で神を呪いながら醜く死んでゆく院長。驚きと悲しみで呆然とする他の修道女たち。そこにフランス革命による修道院廃止令が追い討ちをかける。そして、革命に熱狂した男女の群集が手のひらを返したように修道女たちを軽蔑・罵倒し、修道院を略奪する。誰も助けてくれない孤独と絶望。貴族階級出自の修道女たちもいるが、実家である貴族そのものが倒されてしまったのだ。なすすべのない無力の中に置かれた彼女たちは、自分たちが修道女であることの意味を見出そうと苦悩し、互いに励まし、支え合う。実在の人物であったコンスタンス、マリー(この二人は貴族の出自)、新院長となったリドワーヌ(彼女は肉屋の娘)。修道女という厳しい形式の中にも、彼女たちの人間としての個性の違いが浮かび上がる。とりわけ印象的なのは、権威主義的な講話ではなく、ざっくばらんな喩え話を交えながら、修道女たちを励ますリドワーヌ新院長の人間的魅力である。


物語の中心は、もっとも年少で、生きることをこよなく愛するおちゃめな娘コンスタンスと、神経症的で表層的な信仰しかもたない問題児ブランシュ(侯爵の娘)との、死を賭けた友情である。死を賭けたといっても、意図的にそうしたというのではなく、偶然のなりゆきの中でそうなった。「私たちが偶然と呼ぶものだって、神の論理ではないのかしら?」(p324)とコンスタンスは問いかける。彼女は若輩だが、「殉教」は自由意志で行うものではなく、迫害に抗する死が殉教であるのか、独りよがりの自殺でしかないのかは、人間には不可知であり神にしか分らないことを、神学的知識としてではなく、いわば体感的・直感的に知っている。殉教にもっとも熱心であったマリー上級修道女がパリに出ている間に、コンピエーニュの隠れ家では、残りの修道女たちが一斉逮捕され、翌日に処刑された。修道女たちが殉教を望んでいたとしても、それを現実化したのは、革命政府による逮捕・死刑判決という外的偶然であり、マリーが殉教できなかったのも偶然である。


殉教を決めたのは、一人でも反対が出たら殉教しないというマリーの提案にもとづく、修道女たちの秘密投票だった。一票だけ反対があった。誰もが問題児ブランシュだと思った。だがその瞬間、コンスタンスが「反対したのは私です。でも今、心を入れ替えて、殉教に賛成します」と名乗り出る。ブランシュは激しく動揺して、修道院を脱走し、実家の侯爵家に逃げ帰る。ここは本作のクライマックスであるが、不思議なシーンでもある。反対の一票はブランシュだったのか、コンスタンスだったのか? 友人のT氏は、コンスタンスだろうと解釈するが、私もそれが正しいと思う。そして以下は私の個人的な推理。


もし反対票がブランシュだったら、コンスタンスは嘘をついて芝居をしたことになる。だが、その線はおそらくありえない。オペラでは投票になっていたが、原作では、臨席した男性司祭に、各自が小声で「ウィ」か「ノン」を耳打ちする。だから司祭は真実を知っていながら、コンスタンスの嘘を黙認したことになる。この危機に臨んで、そんなことがありうるだろうか。そして何よりも、生をこよなく愛し、自由意志で行う殉教に懐疑的であったコンスタンスが、ブランシュの反対票を覆して、全員を殉教に追い込むというのは、後味が悪すぎるし、矛盾してもいる。そうではなく、反対をしたのは最初からコンスタンスだったのだ。彼女はおそらく、自分と問題児ブランシュとの二票、反対が出ると思っていた。だが、反対は自分の一票。コンスタンスだけは、他の修道女たちと違って、ブランシュが賛成したことを知る立場にある。この瞬間、コンスタンスは激しく動揺しただろう。コンスタンスはブランシュに深い友情を感じており、「私たちはきっと、同じ日に一緒に死ぬわね」とブランシュに語ったことがあった。「一緒に死ぬ」と約束したブランシュが殉教に賛成したと知ったコンスタンスは、皆の非難の視線に晒されているブランシュを前に、とっさに、「ごめんね、私も一緒に死ぬ」と言ってしまったのではないか。これが、「私の反対票を、撤回します」という彼女の発言なのだ。


もしコンスタンスがそのまま黙っていれば、彼女の反対票により殉教は中止された。ブランシュも当然、死ななくてすむ。自分も死にたくなかったコンスタンスにとって、これが一番よい結果なのではないか? だが、なぜそうならなかったのだろうか? 彼女の思惑と意志を越えて、彼女は行動してしまったからだ。そして、ここにこそ、自分で望んだからできるものではない殉教の本質が、一層露になっている。オペラでは、投票シーンのかなり前の場面の、殉教を説くマリーと反対する新院長との遣り取りはあるが、すぐ続くコンスタンスとの議論はカットされている(p363〜9)。だから、オペラではコンスタンスの真意がやや分りにくくなっているが、彼女は明確に殉教に反対した。全員一致を説くマリーに対して新院長は、「修道院という共同体には全員一致などはありえず、強い要素とともに必ず弱い要素を抱えている」と説く(p365)。「弱い要素」とは、死を恐れ殉教できない修道女のことである。この院長発言を受けてコンスタンスは、「私は院長先生のおっしゃる弱い要素の中に入っております」と述べ、死ぬのはいやだと示唆する。「実は、死ぬことがこわいということに絶対の確信はございません。でも生きていることが楽しくてたまらないのです! ですから、結局は同じことになるのではないでしょうか?」(p366)。このコンスタンス発言に対して、他の修道女たちは、「貴女は自分でもよくわけの分らないことを言っている」「わたしたちに恥ずかしい思いをさせている」と激しく非難する。それに対して、コンスタンスは「(考えもせず)かまうもんですか」と強気に反発する(p366)。要するに、問題児ブランシュが修道院で浮いているのと同様に、生を愛する娘コンスタンスも浮いているのだ。彼女は、司祭の逮捕に怒って、自分は男のように武器を取って共和派の群衆と戦いたいなどと口走り、「世間知らずのお嬢さんだから、そんなこと言えるのよね」と他の修道女たちから嘲笑されもした。


新院長はコンスタンスをよく理解しており、「(非常にやさしく)コンスタンス修道女は何と言っているんですか? 発言を許しますよ。大人の知恵が尽きたときには子供の声を聞いてみるのもよいことですからね。」(365)と問いかける。コンスタンスは「子供」なのだ。貴族のダメお嬢様であるブランシュが問題児であるのと同様、コンスタンスもまた、宗教的観点からすれば「弱さ」そのものである。だが、オペラの中でも言及されるように、処刑の前夜、ゲッセマネの庭で祈ったイエスその人が、死を怖れ、見捨てられたと絶望した「弱き人」ではなかったのか? 殉教がイエスの受難をモデルにしているならば、ましてや普通の人間が、死を怖れずに確信をもって殉教するなどということはありえない。


殉教をめぐる投票は、反対する新院長の留守の間に、副院長格のマリーの主導で行われた。これも偶然である。そして、コンスタンスがとっさに「私は意見を変えて賛成します」と叫んでしまったのも、おそらく「考えもせず」にしたことである。逮捕された牢屋の中で、「逃げ出したブランシュはどうしているかしら」と問われたコンスタンスは、「必ず戻ってくるわよ、私、夢に見たから」と答える。夢に見たという程度の不確かな根拠しかないが、しかし彼女はブランシュを信じている。そして、最後にギロチンの前に一人残ったコンスタンスの前にブランシュが現われる。投票直後に、死を賭けて「私は殉教に賛成します」と叫んだコンスタンスのところに、ブランシュも死を賭けて戻ってきたのだ。死を前にした数秒間、二人は友情の笑みを交し合う。神の「恩寵」とは、こういうことなのかもしれない。たしかに史実では、もっとも年若いコンスタンスが一番目に処刑されたと伝えられているとしても、である。