高殿円『オーダーメイドダーリン』

charis2010-03-06

[読書] 高殿円『オーダーメイドダーリン 幸せの王子様の育て方』(飛鳥新社、2006年7月)


数日前に私の研究室に寄った大学院生が、「先生、これ面白いですよ」と言って、この本を置いていった。独身女性のためのハウツー本で、どうしたら彼氏ができるか、彼氏を「よき夫」にするにはどうすればよいかが、コミック+エッセイの形で書かれている。私はジェイン・オースティンの結婚譚などは読んでいるが、著者は初めて聞く名前だし、女性が女性のために書いた恋愛指南書というものは、読んだことがなかった。そういえば、『源氏』の「雨夜の品定め」などは女性が書いているわけだが、あれは女性のための恋愛指南書ではない。それはともかく、本書はとても面白かった。新刊ではないが、ちょっとだけ感想を書いてみたい。まず書き出しから、


(女の子)「昔、女の子はみんな、白馬に乗った王子様を待っていた」「おとぎ話の王子様はいないと知ってからも」
(男の子)「いねーよ、一国の王子なんていねー!」
(女の子)「じゃあ3高男子でいいよ、(1)高収入、(2)高身長、(3)高学歴」
(男の子)「3高もいねーよ」
(女の子)「じゃあもう、私にぴったりな人ならいいよ」
(男の子)「それもいねー」
(女の子)「それなりにランクを下げて王子様を待っていた。私だって待っていたのだ、そして・・・何でいないんだよ! 王子はどこ?」


著者によれば、恋愛したいのに彼氏のできない女性は、恋愛を過剰にロマンチックに捉えすぎているという。「ある日王子様が、<やあ迎えにきたよ>と現われて、恋は天から降ってくるものだと思っている」(p34)。そして、劇的な告白によって二人がラブラブになることを夢見ている。だが、と著者は言う「このタイプというのはですね、本当に完全に恋してから、告白し・・、付き合い・・、ラブラブに・・、と夢見ている。でもそれは大きなまちがい。あんたが告ってOK出ても、あっちは気軽な気持ちのOKかもしれない。現実にはどちらかが片思い、もしくは半信半疑、カップルの大半はこの状態で始まるのだ。必ずしも<相手を好きになってから付き合う>必要はない!!」(p20)


著者は、次の二点が、恋愛や結婚の成就を妨げている二大障壁であり、女性はこの二つを捨てよと説く。これが本書の中心命題である。
(1) 自分好みの男を選ぼうとする。(66)
(2) ありのままの自分を受け止めてほしい、と願う。(147)


まず(1)であるが、女性が作る「自分の好きな男」のイメージは、男性のある一面に関るものに過ぎないのに、それを前景化・絶対化しすぎるので、その男性がもっている他の面(特に悪い面)が陰に隠れて見えなくなってしまう。著者の回りには、ダメンズを好きになったために、ひどい目にあった女性がたくさんおり、そうした事例が具体的に生き生きと活写される。イケメン、芸術家肌、体育会系、サークルの頼もしい先輩、母性本能をくすぐるタイプなど、「自分の好きな男」のイメージはさまざまだが、その一点に魅せられるので、他がまったく見えなくなってしまうのだ。著者もまた、OL時代、会社の内定式で今の自分の夫に最初に出会ったときは、「その時のダンナの第一印象、うわっ最悪、これはないわ」だったとのこと(35)。人間はとても偏食で、一つ二つのイメージで他者を全面的にプラス・マイナスに瞬時に「仕分け」してしまう。


とはいえ、これは男性でも同じだろうが、「自分の好み」を優先させてはいけないというのは、かなり辛い要求である。何のための恋愛なのか。「自分の好み」を捨てるくらいなら、恋愛も結婚もいらないと考える男女もいるだろう。(2)の「ありのままの自分を受け入れてほしい」という欲求も、重要な論点だと思う。本書のタイトル「オーダーメイドダーリン」は、ダメな男性を「作り変える」という話なので、既製服に対するオーダーメイドという話になる。だから、「ありのままの自分を」という欲求は、「作り変えられる」ことを拒否するメンタリティーに繋がる。「ありのままの自分を受け入れてほしい」という欲求は、男女ともにあると著者は言う。だが、女性は万年ダイエットをこころがけているために自分を変えることに抵抗がないが、男はなるべくなら自分を変えたくない、だからありのままの自分を変えることに抵抗感がそれだけ強いのだ、と(148)。うーむ、そうなのだろうか。私は女性もまた「ありのままの自分を受け入れてほしい」という欲求は男性に劣らず強いのではないかと思う。


「ありのままの自分」というのは外見だけではない。20歳前後で結婚した昔と違って、たとえば高学歴の女性が社会に出て30歳までキャリアを積んだとすれば、30歳時点での「自分」の中身は、20歳の「自分」よりも量・質ともにずっと重く・豊かになっているだろう。つまり、30歳の「ありのままの自分」は20歳の「ありのままの自分」よりも内実の重みが増したぶんだけ「変えにくく」なっているのではないか。収入、キャリア、仕事の面白さなどが増せば、結婚によってそれを失いたくはないだろう。「ありのままの自分を受け入れほしい」という欲求も、それだけ強くなるわけだ。(1)(2)を捨てよという著者の主張は、なるほど正論ではあるが、なかなか難しくもあるだろう。