[今日のうた8] 2011年12月
今年は忙しくて、観劇記が減ってしまいましたが、その代りに、電車の中で歌集や句集を読む楽しみが増えました。皆さま、よいお年をお迎えください。
(写真は佐藤佐太郎、昭和を代表する歌人、今回の炭火の歌もそうだが、佐太郎の歌は余人の追随しがたい高度な技法に裏付けられている。たとえば河野裕子の歌が、その内容によって深い共感を呼ぶのに対して、佐太郎の歌の魅力は、表現そのものの芸術性にある。)
・ あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり
(宮柊二『日本挽歌』1953、作者は戦後短歌を領導した一人、歌誌『コスモス』主宰、凛とした格調のある調べで生活者の日常を詠んだ) 12.1
・ しみじみと見つめてあればただ一つますぐに我に光る星あり
(五島美代子1936、「満天の星空の中の、あの星、私にまっすぐ語りかけるように光っている」) 12.2
・ 見るままに冬は来にけり鴨のゐる入江のみぎはうすごほりつつ
(式子内親王『新古今』巻六冬、「私がじっと見ている間に冬が来たのですね、鴨の泳いでいる水際を薄氷が伸びてゆきます」、目の前で刻々と薄氷が張っていくかのような、しゃれた見立て) 12.3
・ 消えかへり岩間にまよふ水の泡のしばし宿かるうす氷かな
(藤原良経『新古今』巻六冬、「小川の水の泡が今にも消えそうになりながら岩間をさ迷い、ほんの僅かのあいだ薄氷のところに寄っていく」、作者は繊細な美意識で名高い、『新古今』入集79首は第三位) 12.4
・ 失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
(中城ふみ子『乳房喪失』1954、 作者は乳癌で乳房を切除、31歳で逝去) 12.5
・ 冬菊のまとふはおのがひかりのみ
(水原秋櫻子1950、秋櫻子らしい透明な色彩感のある名句) 12.6
・ 寒雲の擦過(さつくわ)してゆく吾が頭上
(山口誓子1956、冬の雲が荒々しく、ぎしぎしと「擦れながら」頭上を流れてゆく、ものの質感の把握において、誓子は、芭蕉以来の俳人の頂点に立つ天才) 12.7
・ 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
(北原白秋『桐の花』1913 美しい冬の恋歌、雪を踏んで帰る彼女の「さくさく」という音、林檎の香り。まさに詩人の恋。だが、「君」は人妻だった。二人は姦通罪で夫に告訴され、二週間拘置される。) 12.8
・ 火を産まんためいましがた触れあえる雌雄にて雪のなか遠ざかる
(岡井隆『土地よ、痛みを負え』1961、昨日の白秋の歌が意識されているだろう、「火を産まん」が卓抜) 12.9
・ 襟巻に首引き入れて冬の月
(杉山杉風(さんぷう)、芭蕉の弟子、後援者、「襟巻をしてきたのに、それでも寒くて首をすくめる冬の夜、月が美しい」) 12.10
・ 冬の水一枝(いっし)の影も欺かず
(中村草田男1936、冬の池はすべてをくっきりと映す) 12.11
・ 冬薔薇や賞与劣りし一詩人
(草間時彦1965、いいじゃないですか、詩人だもの、会社でそんなに出世しなくとも) 12.12
・ 旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る
(芭蕉、旅先の大阪にて死の四日前の最期の作品、51歳、一生旅を続けた人だった) 12.13
・ 冬雲のなかより白く差しながら直線光(すぐなるひかり)ところをかへぬ
(斉藤茂吉『白桃』1933〜34、冬の雲の間から洩れる太陽の光が位置を変える、「直線光」が卓抜) 12.14
・ みじかなる焔(ほのほ)燠(おき)よりたちをりてこのいひ難きいきほひを見ん
(佐藤佐太郎『立房』1947、燠=燠火、赤く熱した炭火、「みじかなる焔」(=短い火炎)が卓抜、格調高い客観写生の詩) 12.15
・ 煉炭の最終の火や兄妹
(永田耕衣1939、貧しい家の仲良し兄妹、煉炭の最後の残り火で暖まっている) 12.16
・ 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
(久保田万太郎1962、亡くなる半年前の作品、作者はきっと酒と湯豆腐が大好きだったのだろう) 12.17
・ 黒みけり沖の時雨の行くところ
(内藤丈草、蕉門の俳人、「沖合いの遠方に黒い雲が出てきた、あの辺は時雨も強そう」) 12.18
・ 日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
(塚本邦雄『日本人霊歌』1958、作者は思想性・批評性の高い歌を作った人、おそらくこの歌は昭和天皇が想定されている) 12.19
・ きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えむとする
(寺山修司『血と麦』1962、瑞々しい歌だが、「家具」という見立てが面白い) 12.20
・ 何もかも知つてをるなり竈(かまど)猫
(富安風生1937、ストーブのそばは暖かいので猫の定位置に) 12.21
・ 霜柱俳句は切字響きけり
(石田波郷1943、霜柱は俳句の「切れ字」のように厳しく、美しい)12.22
・ 寒き夜のオリオンに杖挿し入れむ
(山口誓子1945、「酷寒の夜、オリオン座がすぐそこにある、杖を差し込んでみよう」) 12.23
・ 冬星のとがり青める光りもてひとりうたげすいのちとげしめ
(坪野哲久『桜』1940、作者はプロレタリア歌人、「(治安維持法で検挙、釈放後) オリオン星が光っている、ああ、自分にはまだ命がある、この青い星の光で、祝おう」) 12.24
・ 目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき
(穂村弘2001、作者は1962年生れ、新感覚の明るい歌を作る) 12.25
・ うつむいて並。 とつぶやいた男は激しい素顔となった
(斉藤斎藤、作者は1972年生れ、牛丼屋のカウンター席の光景、なるほど) 12.26
・ ペニスよりふときものなし宝石店
(島津亮1918〜2000、西東三鬼に師事、前衛句から自在な滑稽句まで個性的な俳人、この句、結婚指輪を茶化しているのか、なんとも可笑しい) 12.27
・ 冬蜂の死にどころなく歩きけり
(村上鬼城、冬になっても死なない蜂、だがそこには人間の姿も重なっている、作者の代表作) 12.28
・ 猪(いのしし)の首の強さよ年の暮
(野沢凡兆、芭蕉の高弟だったが決別、入獄もした。暮れの獄中で「こんな不運に負けるもんか、猪みたいに逞しく生きるぞ!」と強い決意を詠んだ句) 12.29
・ ゆく年の行方を問へば世の中の人こそひとつ設(まう)くべらなれ
(実朝『金塊和歌集』、「去ってゆく年に向って、どこに行くのですかと尋ねると、どうやら、どこにも行かず我々の中に留まるので、それで我々は一つ年取るらしい」実朝らしい思索的な歌) 12.30
・ いざや寝ん元日はまたあすのこと
(蕪村、「えっ、この時間はもう新年だって? いやいや新年は、ゆっくり寝て起きてからの話さ」) 12.31