今日のうた10(2月)

charis2012-02-29

[今日のうた10] 2012年2月
(写真は式子内親王[狩野探幽画]、後白河天皇(法皇)の娘、「玉の緒よ・・」のような絶叫調の歌で名高いが、高度の技巧を持つ歌人でもある、今回の歌も代表作の一つ)


・ 山ふかみ春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
  (式子内親王『新古今』巻一春、「長い冬を孤独に過ごした山奥の庵、とても春が来たとは思えないけれど、ああ、あの音は、松の板で作った粗末な戸に、雪解の水が途切れながらも落ちているんだわ」、松=待つ) 2.1


・ 下京(しもぎよう)や雪つむ上の夜の雨
  (野沢凡兆、「雪の降り積もった京の町、夜になるとしっとりと雨が」、作者は芭蕉の高弟、精妙な感触を詠む) 2.2


・ 教会のやうな冬日を歩みをり
  (石田郷子2006、作者1958〜は俳誌『椋』代表、「教会の高窓からのように、高層ビル街の底にも乏しい冬日が落ちてくる、その中を歩む私」) 2.3


・ 袖ひぢてむすびし水の凍れるを春たつ今日の風やとくらむ
  (紀貫之古今集』巻一春、「袖が濡れるのもかまわず手で掬っていたあの水は、冬は凍ってしまった。でも、今日は立春、風がそれを解かしてくれるだろう」) 2.4


・ オリヲンの真下春立つ雪の宿
  (前田普羅、雪国の空のオリオン座にも春は来る) 2.5


・ 如月の牡蠣打ち割れば定型を持たざるものの肉やわらかき
  (道浦母都子『水憂』1986、短歌の隠喩たる「定型」という硬質な語に、それと対照的な「牡蠣」を、そしておそらく自分の姿をも映し出す) 2.6


・ 歩み来し人麦踏をはじめけり
  (高野素十、おそらく複数ではなくぽつんと一人の麦踏、そこに味わいがある客観写生の名句) 2.7


・ 紅梅や見ぬ恋作る玉簾(たますだれ)
  (芭蕉、「玉簾のある立派な邸宅に見事な紅梅が咲いている、あの玉簾の奥には美女がいそうだな、会いたいなぁ、なんてつい妄想しちゃうよ」、ユーモラスな俳諧句) 2.8


・ 梅一輪一輪ほどのあたたかさ
  (服部嵐雪1654〜1707、蕉門の俳人、「梅が一輪咲いた、たった一輪でも暖かいね、梅は」) 2.9


・ 梅咲(さき)ぬどれがむめやらうめぢややら
  (蕪村、「梅が咲いたけど、どれが<むめ>で、どれが<うめ>なの?」、前書に「あらむつかしの仮名遣いやな」と、本居宣長がン音の「む」表記を主張し、上田秋成と論争になったのを茶化す。) 2.10


・ 生死夢の境は何か寺庭にかがやく梅のなか歩みゆく
  (佐藤佐太郎1975、梅に「生死夢の境」を見る作者、漢字表現の巧みな使用、佐太郎は漢詩にも造詣が深い) 2.11


・ きららかについばむ鳥の去りしあと長くかかりて水はしづまる
  (大西民子『無数の耳』1966、日常のさりげない光景の中にある深い叙情) 2.12


・ あたらしきよろこびのごと光さし根方あかるし冬の林は
  (上田三四二『雉』1967、「冬だけれど、木々の根元が明るい、何か良いことがありそう」) 2.13


・ 何層もあなたの愛に包まれてアップルパイのリンゴになろう
  (俵万智『とれたての短歌です』1987、喫茶店で彼氏と向き合いながら、思わずアップルパイに微笑んでしまう私) 2.14


・ もてぬ奴いつそ地口(じくち)をいひたがり
  (『誹風柳多留』、吉原で遊女にもてないあの男、腹いせに下手なしゃればかり言ってるぜ) 2.15


・ 悪戯(いたずら)なお手だと芸子わるびれず
  (『誹風柳多留』、さすがプロの芸者、胸やお尻を触られても、「まぁ、いたずらなお手ですこと」と、軽く受け流して少しも動じない――250年前の川柳より) 2.16


・ 相念(あひおも)はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後(しりへ)にぬかづく如し
  (笠郎女『万葉集』巻四、「大伴家持さん、これほど思いを捧げている私に、どうして振り向いてもくれないの、まるでお寺の餓鬼の像を後ろから拝んでるみたいよ」、自虐的に詠んだユーモアの歌)2.17


・ つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天くだりこむものならなくに
  (和泉式部玉葉集』巻十恋二、「じいっと空を眺めています、彼氏が空から降ってこないかしら、ありえないって分ってるけど」、昨日と同様、これもユーモラスな歌) 2.18


・ 空間のどこよりとなく降る雪の吾を囲みて加速ともなふ
  (初井しづ枝1970、作者1900〜1976は北原白秋に師事、歌誌『コスモス』同人、「雪はどこからともなく現れ、自分の周りで速くなる」) 2.19


・ 春雪のほどろに凍(こご)る道の朝流離のうれひしづかにぞ湧く
  (木俣修1947、作者1906〜1983は北原白秋に師事、歌誌『形成』主宰) 2.20


・ 大海(おほうみ)の磯もとどろに寄する波破(わ)れて砕けて裂けて散るかも
  (源実朝『金塊和歌集』、「かも」は万葉調の詠嘆、砕け散る波に自分が重なるのか、虚無的快感という解釈もある) 2.21


・ いつの生(よ)か鯨でありし寂しかりし
  (正木ゆう子『水晶体』1986、むかし自分は鯨だったという作者、鯨は寂しい動物なのか、味わいのある句) 2.22


・ 手品師の指いきいきと地下の街
  (西東三鬼1940、作者は嘘のような本当のような面白い句を詠む人) 2.23


・ 九十の端(はした)を忘れ春を待つ
  (阿部みどり女1977、「寒さがこたえるわ、私、九十と何歳だったかしら、でも歳の端数なんか忘れて、春を待ちましょう」、1886年生まれの作者は1980年に94歳で逝去)  2.24


・ 水晶の大塊(たいかい)に春きざすなり
  (小澤實1997、作者は1956年生れ、俳誌『澤』主宰、「冷たく光る透明な水晶の塊が、どこか春めいている」) 2.25


・ 難波潟(なにはがた)みじかき蘆のふしのまも逢はでこの世を過ぐしてよとや
  (伊勢『新古今』巻11恋、「まさか、難波潟に生えている蘆の節と節との間のような、ほんの短い間の逢瀬もなしに私に生きていけとおっしゃるの、いやよそんなの」) 2.26


・ 潮満てば水沫(みなわ)に浮かぶ真砂にも我はなりしか恋ひは死なずて
  (よみ人しらず『万葉集』巻11、「潮が満ちると、海水の泡に微細な砂が浮かんでくる、あの砂のようにはかなく漂っているだけの私、恋は遂げられず、死ぬこともできずに」) 2.27


・ いだきあふわれらの内に粉のごとく軋めるもののありと声呑む
  (小野茂樹『羊雲離散』1968、相思相愛の性愛にも「粉のごとく軋めるもの」がある) 2.28


・ 白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう
  (斉藤史1940、作者はユニークな発想のシュールな歌を詠んだ人、「うすいがらすも磨いて」春を待つ) 2.29