今日のうた30(10月)

charis2013-10-31

[今日のうた] 10月1日〜31日


(写真は近藤芳美1913〜2006、アララギから出発し、戦後「未来」短歌会主宰、一貫して平和主義の立場で行動した、東京工大出身の設計技師、長らく「朝日歌壇」選者)


・ 君とわがたゞ身二つのかくれ里かくれはつべき里もなきかな
 (樋口一葉、「ああ、貴方と二人だけで駆け落ちして、誰も知らない里に、二人だけで隠れ住んで人生を終えられたら、何て素敵でしょう、でも・・・」、24歳の短い生涯に、真剣な恋もあった作者、借金を背負った家族を必死で養う家長としての彼女の、心の底の本心の歌か) 10.1


・ きみの上に新しき灯をつけやらむそれからの筋それからのこと
 (小野茂樹『羊雲離散』1968、高校生の時の作、彼女とはすでに淡い恋が始まっていて、さらにその先に進みたいと願うのか、それとも初めての告白の時なのか、少年の瑞々しい恋の歌)  10.2


・ コスモスの押しよせてゐる厨(くりや)口
 (清崎敏郎『安房上総』1954、コスモスは野草っぽく群生するのが美しい、勝手のドアを開けるとそこに「押し寄せてゐる」) 10.3


金木犀午前の無為のたのしさよ
 (石田波郷金木犀が咲いた、香りが漂う「午前の無為」というのがいい、地べたを這うように生きている我々の多くは、なかなか「無為」の時間がない、病身の波郷も、あるいは午後には病院の検査でもあったのか) 10.4


・ 秋十年(ととせ)却(かへ)つて江戸を指す故郷
 (芭蕉1684、「そうか、江戸には十年以上も住んだのだな、今、久しぶりに故郷の伊賀に向けて旅立ったけれど、一瞬、背にした江戸を故郷のように錯覚してしまったよ」、29歳で江戸に出た作者は今41歳、帰郷を兼ねて『野ざらし紀行』の旅に出る) 10.5


・ おねがいねって渡されているこの鍵をわたくしは失くしてしまう気がする
 (東直子『春原さんのリコーダー』1996、実際にもありそうな場面だが、そのとき何か別のことが頭に浮かんで、「鍵」は一つの記号になったのかもしれない)  10.6


・ 我という三百六十五面体ぶんぶん分裂して飛んでゆけ
 (俵万智『サラダ記念日』1978、作者の歌は、どこか覚めた思索的な主題であっても、それがリズミカルな表現に乗って躍動し、飛翔するような生命感がある) 10.7


・ さりげなく拒んだ夜、猛り狂う風にあなたのいたわりが痛々しい
 (吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、作者22歳頃の歌、「嵐の吹き荒れるある晩、なぜか気の向かなかった私、それが彼を傷つけたのではないかと、自分も悩んでしまう」、お互いを気遣う優しい恋人たち) 10.8


・ うつうつと一個のれもん妊(みごも)れり
 (三橋鷹女1899〜1972、死に近い最後の一二年の作、檸檬の膨らみは「うつうつと」妊娠した女性の腹部なのか、鷹女らしい凄みのある想像力) 10.9


・ 負角力(まけずまふ)その子の親も見て居るか
 (一茶1793頃、「子どもたちの相撲大会、あっ、あの子負けちゃった、親は来てるのかな、見られたくないよね、でも、親はどう思っただろう」、まず当事者の心中を思いやる一茶) 10.10


・ 夏雲は夏雲を率(ゐ)てしづかなり 愛はひとりにとどまるのかな
 (藪内亮輔『短歌』2013年10月号、「夏雲の立つある日、庭に彼女が静かに立っている、室内にいる自分と、一枚の窓ガラスによって愛は隔てられているのか」、作者1989〜は昨年、角川短歌賞を受賞、京大大学院生) 10.11


・ かへがたき祈(いのり)のごとき香(か)こそすれ昼のくりやに糠(ぬか)を炒(い)り居る
 (佐藤佐太郎1953、「昼の台所で妻が糠を炒っている、「かへがたき祈りのごとき香り」が自分のところへ漂ってくる」、昭和を代表する歌人・佐太郎には相聞歌はない、恥ずかしいからなのか、だがこれはおそらく糟糠の妻を思いやる歌)10.12


・ お河童のゆれてスキップに越しゆきぬスキップはいのち溢るるしるし
 (上田三四二『照徑』1985、62歳の作者は癌の手術で三か月入院、これは退院後の歌、近所の小さな女の子だろうか、スキップして作者を追い越していったのは、この少し後に初孫の歌がある) 10.13


・ セーターに女のかたち秋暑し
 (清水哲男『匙洗う人』1991、「すぐ目の前に、ぴったり密着したセーターを着た女性、ああ、体の線がまぶしい、秋だけど暑いな」) 10.14


・ 肩ならべ君とゆくときよく笑う少女となっている我を知る
 (安藤美保『水の粒子』1992、おそらく大学一年生頃の作、「大好きな彼と並んで歩くとき、自分が「少女になっている」のに気づく、大人の女になりたいけれど、でも少女もいいな」) 10.15


芭蕉野分(のわき)して盥(たらひ)に雨を聞く夜かな
 (芭蕉1681、「台風が吹き荒れ、庭に植わっている芭蕉の葉がごうごうと鳴る中、雨漏りして盥に落ちる水の音を聞いている淋しい夜中」) 10.16


・ 天高し雲行く方(かた)に我も行く
 (高濱虚子1943、「秋晴れの空は高い、雲が動いている、僕も一緒にそちらへ行こう」) 10.17


・ あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月
 (明恵上人、「あか」は「明か」つまり「明るい」ということだろう、作者1173〜1232は鎌倉時代の個性的な高僧、夢についての著作で有名、月を詠んだ和歌も多い、明日は満月) 10.18


・ 月今宵(こよひ)あるじの翁(おきな)舞出(まひいで)よ
 (蕪村1776、快い月夜、「さあ、お爺さんも一緒に踊りましょうよ」と呼びかけているのか、それとも、「踊りの上手なお爺さん、どうです、一席踊ってくださいな」と頼んでいるのか、「舞出よ」という動きのある結句が素晴らしい、今日は満月) 10.19


・ 乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅(くれなゐ)ぞ濃き
 (与謝野晶子『みだれ髪』1901、「乳房を手で隠しながら、未知の性愛の世界の帳をそっと蹴って、恐る恐る中へ入ってみたわ、そこは素晴らしい花園のような世界だった」、「そとけりぬ=そっと蹴った」が卓抜) 10.20


・ 秋の夜(よ)も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを
 (小野小町古今集』恋三、「秋の夜は長くてなかなか明けないなんて、嘘よねえ、貴方と逢っている夜は、もう言葉を交わす暇もないくらい、あっという間に明けちゃうもの」) 10.21


・ さりともと待ちし月日ぞうつり行く心の花の色にまかせて
 (式子内親王『新古今』恋四、「そのうち訪れてくれるだろうといつも貴方を待っている私、でもこうして空しく月日が過ぎていくうちに、花の色のように貴方の心も色あせてゆくのかしら」) 10.22


・ ミス六日町に汽笛二度鳴る薄(すすき)の穂
 (守屋明俊『西日家族』1999、「薄の広がる小さなひなびた駅、一日駅長のミス六日町が手を振って見送ると、汽車は汽笛を二度鳴らして応えた」、ひなびた駅だから「ミス六日町」が引き立つ、どんな娘さんなのか) 10.23


・ 案山子運べば人を抱(いだ)ける心あり
 (篠原温亭、「精魂込めて作った案山子を、稲の稔る田圃まで運んだ、人を抱いているような気がするなぁ」、作者1872〜1926は子規、虚子に学び、国民新聞社の俳句選者を務めた人) 10.24


・ 回転灯の赤いひかりを撒き散らし夢みるように転ぶ白バイ
 (穂村弘『ドライ ドライ アイス』1992、回転灯が赤い光を「撒き散らす」白バイ、その白バイが「転ぶ」、叙景のような、ファンタジーのような、夢のような歌) 10.25


・ 針と針すれちがふとき幽(かす)かなるためらひありて時計のたましひ
 (水原紫苑1987、時計の針の動きは時の流れの速さのように見えるが、そうではない、時計の針はそれぞれ運動速度が異なり、秒針は長針を、長針は短針を「追い越す」、針が「すれちがふ」とき「時計はためらふ」のか) 10.26


・ 薔薇雲のさめゆくままに鳥渡る
 (山口青邨『繚乱』1981、「夕陽に当たって薔薇色に輝いている雲が、少しづつ白くなっていく中を、渡り鳥が列をなして飛んでゆく」、工学博士の作者、晩年も美しい句が多い、この句は89歳の作で「薔薇雲」がいい) 10.27


・ 秋風の馬上つかまるところなし
 (正木ゆう子『静かな水』2002、これは空を詠んだ句だろう、「馬に乗ると、秋の空だけがどこまでも広がっている、空にはつかまるところがないわ」) 10.28


・ 空あをし見えぬけれども耐へてゐる橋梁といふかたち美し
 (今野寿美『短歌』2013年10月号、作者の直近作「橋梁」から、橋を詠った力作が並ぶ、長い時の流れだろうか、それとも万有引力だろうか、橋が「耐へてゐる」のは) 10.29


・ 身をかはし身をかはしつつ生き行くに言葉は痣(あざ)の如く残らむ
 (近藤芳美『静かなる意志』1949、戦争直後、平和運動は、無党派の民衆と政党との複雑な関係の中で揺れ動いた、その渦中の歌、作者1913〜2006は「未来」短歌会主宰、一貫して平和主義の立場で行動し、歌を詠んだ、長らく「朝日歌壇」選者) 10.30


・ 一人より群れなれば顔持つ子らのさみだれ寂しき昼の登校
 (植村恒一郎「朝日歌壇」1991.10.13、近藤芳美選、当時、私の住む市内のある高校、朝きちんと登校せずに、だらだらと遅刻する生徒がぽつぽつと昼近くまで続き、途中でいなくならないように、駅から校門まで教師や父母が要所に立って見守る寂しい光景がありました) 10.31