[今日のうた12] 4月1日〜30日
(写真は紀貫之像。鎌倉時代に描かれた「上畳本三十六歌仙絵」より。今月に挙げた彼の「むすぶ手の雫(しづく)ににごる山の井の・・・」は、古典和歌の鏡とされた彼の代表作。それだけのことはある歌だ。子規の「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」という批判は当たらないだろう。)
・ 春潮のあらぶるきけば丘こゆる蝶のつばさもまだつよからず
(坪野哲久1947、作者1906〜1988はプロレタリア歌人として名高い人) 4.1
・ バスを待ち大路(おほぢ)の春をうたがはず
(石田波郷1939、「バスを待っている私、その大通りに間違いなく春を感じる」) 4.2
・ 女(をみな)とは幾重(いくへ)にも線条(すじ)あつまりてまたしろがねの繭と思はむ
(岡井隆『人生の視える場所』1982、女性の身体を卓抜に表現) 4.3
・ 女なる表象るいるいと織り合はせまぼろしなすに対(むか)へりわれは
(阿木津英、作者は1950年生れの女性歌人、「<女>という表象を延々と織り合わせた「まぼろし」こそ私、そういう私自身と向き合っている」) 4.4
・ 終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
(穂村弘『シンジケート』1990、若い二人はぐっすり眠っている、ちゃんと降りられるのだろうか) 4.5
・ 「あなたは」というとき 折りたたまれた君を広げるように言う
(前田康子2006、作者は1966年生れ、作者に向かって「あ・な・た・は」とニュアンスのある言い方をするのは相手だろうか自分だろうか? 作者は、夫も歌人(吉川宏志)) 4.6
・ 咲くからに見るからに花の散るからに
(上島鬼貫1660〜1738、「咲いているうちに、見ているうちに、桜は、もう散り始めている」) 4.7
・ はなちるや伽藍の枢(くるる)おとし行く
(野沢凡兆、「桜咲く寺院に人影の絶えた夕暮れ、僧が門を閉めるために、かんぬきの木片を“ことん”と落としていった」、音の余韻を残して花散る中を去って行く僧の後姿、視覚と聴覚の融合する情景) 4.8
・ 女中方(がた)尼前(あまぜ)は花の先達か
(服部嵐雪、「おお、お城のお女中たちが隊列をなして花見に行く、みなさん着飾ってるけど、先頭を行く黒衣の尼さんが一番かっこいいな」) 4.9
・ 三本の花のあかるさまどちかき桜の奥になほ桜あり
(佐藤佐太郎1976、室内から窓の外の桜を「あかるさ」として詠む、目立たないが卓越した技法に裏打ちされている) 4.10
・ ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
(上田三四二『湧井』1975、散っているのは吉野の桜、桜を詠んだ短歌の中でも屈指の名歌、千年の後にも愛唱されるだろう) 4.11
・ 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
(杉田久女、作者1890〜1946は「ホトトギス」同人だったが虚子に除名された、「花見に着ていったお洒落な着物を脱ぐと、いろいろな紐がまとわりつく」、女性ならではの花見の句) 4.12
・ 押し合うて海を桜のこゑわたる
(川崎展宏1978、津軽海峡を桜前線が北上する) 4.13
・ あしひきの山沢ゑぐを摘みに行かむ日だにも逢はむ母は責むとも
(よみ人しらず『万葉集』巻11、「なかなか逢えないね、でも山沢のくわいを摘むあの日くらい、絶対あなたに逢うわ、母は怒るだろうけど」、少女の瑞々しい歌) 4.14
・ 嗚呼見(あみ)の浦に船乗りすらむをとめらが玉裳(たまも)の裾に潮満つらむか
(柿本人麻呂『万葉集』巻一、「(持統天皇が行幸に出ている) あみの浦では、今頃、女官たちが舟遊びをしているだろう、彼女たちの美しい裳の裾が海の潮で濡れているだろう」、人麻呂の代表作の一つ) 4.15
・ おほぞらの見えぬ雲雀を捜しつつ光のなかにとりのこされし
(真中朋久2001、作者は1964年生れの気象予報士、歌誌『塔』選者、「光あふれる空にいつまでも雲雀を捜している私」) 4.16
・ 雲雀(ひばり)より空にやすらふ峠かな
(芭蕉、「峠に一服して休んでいると、下の方に雲雀のさえずりが聞こえる、そうか、自分は雲雀より高い空にいるんだ」) 4.17
・ 揚雲雀空のまん中ここよここよ
(正木ゆう子2002、いかにも雲雀にふさわしい弾んだ調子、「ここよここよ」は雲雀の声だろうか、それとも雲雀に呼びかける私の声だろうか) 4.18
・ 方丈の大庇(ひさし)より春の蝶
(高野素十1927、「寺の大きな庇からひらりと春の蝶が現れた」、京都竜安寺石庭での作、虚子や草田男が激賞した作者の代表作の一つ) 4.19
・ 花の芯すでに苺のかたちなす
(飴山實1971、作者1926〜2000は発酵微生物学者にして朝日俳壇選者) 4.20
・ むすぶ手の雫(しづく)ににごる山の井の飽かでも人に別れぬるかな
(紀貫之『古今集』巻8、「すくいあげる手からこぼれる雫で濁ってしまう小さな湧き水、そんな湧き水に満足できないように、まだ十分にお付き合いしていない貴女と、はかなくお別れするのですね」、貫之の代表作) 4.21
・ 色みえでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける
(小野小町『古今集』巻15、「花とは違って、人の心の色は外から見えないけれど、花が枯れていくように、男の人の私への愛も枯れていくのね」、「心の花」とは美しい言葉だが・・・) 4.22
・ それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ
(山川登美子1900、作者には好きな人がいたが、親が突然見合いを強制し、意に沿わない結婚をさせられた、21歳のときの作品) 4.23
・ 春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳(ち)を手にさぐらせぬ
(与謝野晶子『みだれ髪』1901、堅い乳房というエロスに「春=命」の短さを触覚する22歳の晶子、陰影の深い歌) 4.24
・ 乳房がふわりと浮ける感じしてブランコに立つ 妻なり昼も
(前田康子2002、「女なり」ではなく「妻なり」と詠う作者) 4.25
・ 沈黙ののちの言葉を選びおる君のためらいを楽しんでおり
(俵万智『サラダ記念日』1987、このユーモラスで覚めた眼差しは彼女の歌の魅力の一つ) 4.26
・ 億万の春塵となり大仏
(長谷川櫂2002、「(アフガニスタンのバーミヤン遺跡の大仏爆破を怒る人もいるが) 、春の塵となって世界中に散り、人々の心の中に入ったとすれば、それは大仏の本願でしょう」、ユニークな句、作者(1954〜)は俳誌『古志』主宰、朝日俳壇選者) 4.27
・ 時計屋の時計春の夜どれがほんと
(久保田万太郎1952、昔の町の時計屋の壁には時計がたくさん掛かっていた、でも一つひとつ時刻が違う) 4.28
・ 蜂の尻ふわふわと針をさめけり
(川端茅舎、作者1897〜1941は虚子門下、透徹した花鳥諷詠の句を詠んだ、「蜂の尻に針が<ふわふわと>収まる」) 4.29
・ ゆくはるや同車の君のさゝめごと
(蕪村、「車の隣席の美女がひそひそと何か僕にささやく、ああ、心地よい春の暮れ」、漢詩をもとに牛車に乗る王朝女性を詠んだ空想句だが、「君」はポルシェに乗った現代女性だってよい) 4.30