今日のうた(143)  3月ぶん

[今日のうた] 3月ぶん

 

樹木葬がいいわ」とママは助手席でパラソルチョコを剥きながら言う (芍薬東京新聞歌壇」2月26日、東直子選、「埋葬方法を問題にする「ママ」は高齢なのだろう。樹木葬とパラソルチョコを剥くというカジュアルな行為との取り合わせが絶妙。死生観が新鮮」と選者評) 1

 

四十年前の景色に縛られて異界に迷う渋谷界隈 (豊万里「朝日歌壇」2月26日、佐佐木幸綱選、「渋谷駅周辺エリアの再開発がだいぶ進んできた」と選者評、1951年に池ノ上に生まれた私は、1957年頃から渋谷の街に親しんできたので65年前の記憶も鮮明、でも最近はよく渋谷で迷う) 2

 

坂下るだんだん冬空小さくなる (森住昌弘「東京新聞俳壇」2月26日、石田郷子選、坂の上の方では、広々と見渡せた冬空が、坂を下るにつれてだんだん建物の陰になって、狭くしか見えなくなる、東京は坂の多い町だからよく経験することだ) 3

 

凍鶴のごと長考の羽生九段 (小山公商「朝日俳壇」2月26日、小林貴子/長谷川櫂共選、「「凍れる鶴」とは最高の賛辞。勝っても負けても羽生は羽生」と長谷川評) 4

 

掌(てのひら)にのせて子猫の品定め (富安風生、生まれた小さな子猫が何匹かいるのだろう、順々に手のひらにのせてみる、どの子猫も可愛い、何人かで見ているのだろう、「この子が一番かわいい」「いや、この子でしょう」と、どうしても「品定め」になってしまう) 5

 

少年や春着の姉をまぶしとも (藤田湘子、作者1926~2005は男性、「少年」はひょっとして作者自身かもしれない、初期に秋櫻子に師事した人で、抒情を感じさせる句風) 6

 

春の水わが歩みよりややはやし (谷野予志、早春の頃、小川に沿って歩くと、水量が増えて流れがやや速くなっているように感じる、どうしても自分の「歩み」と比べてしまう、作者1907~95は山口誓子「天狼」同人) 7

 

春ひとり槍(やり)投げて槍に歩み寄る (能村登四郎、「春ひとり」グランドで選手が黙々と練習している、槍を投げる、槍が飛ぶ、地にささる、彼はしずかに「槍に歩み寄る」、その繰り返しだ) 8

 

もう一つ満開の花仏の座 (上島清子、作者1945~は俳誌「運河」同人、今、私の家近くの荒川土手や、畑地の道端には、うす紫色の小さなホトケノザが一杯に咲いている、雑草扱いされているので、あまり注目されないが、この句のように「満開」になると美しい) 9

 

暁に似たるゆふべや木蓮花 (秋史、「暁」と「ゆふべ」を比べたのがいい、朝日や夕日が横から当たっているモクレンの花には特有の美しさがある、私の二階の書斎の窓すぐ近くのモクレンも開花し始めた、さっそく鳥が食べにきている、作者については不明だがたぶん昭和の句) 10

 

菜の花にのどけき大和河内かな (大島蓼太、作者1718~87は江戸中期の俳人、この句は旅先で詠んだのだろうが、おそらく広々とした所に菜の花が一杯に咲いている、今、植村の家近くの荒川土手でも菜の花が一杯に咲き出した、広々とした所ではいっそう「のどか」で大らかな感じがする) 11

 

塩ふつて魚の眼さます初霞 (神尾久美子1923~2014、作者は飯田龍太に師事した人、料理する前の魚が眠っているように感じたのだろう、塩をふったら驚いて眼をさますかな、と、初霞はなんかのんびりした雰囲気だ) 12

 

永遠にひとつになれないわたしたち ほんとうは甲殻アレルギー! (手塚美楽『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』2021、作者2000~は今、東京芸大の院生、歌の前半は「精神的な一体感を得られない切なさ」と東直子評、「甲殻アレルギー」は肉体感覚だが二人ともそうなのか) 13

 

泣かなくてもわたしはきれい剥ぎ捨てたコンタクトレンズに残る夜半の灯 (櫻井朋子『ねむりたりない』2021、作者1992~の東京新聞2016への投稿歌、「泣いて涙を流すところである・・瞳から外したコンタクトレンズに夜に眺めた光が留まるイメージを重ね、美しい」と東直子評) 14

 

屋上へ向かう階段ゆくような軽さよ きみのかばんが弾む (田中ましろ『かたすみさがし』2013、作者1980~は男性だから「きみ」は女性だろう、歌誌「かばん」所属、この歌はジュニア短歌のように瑞々しい) 15

 

スーパーで出くわすような気まずさと夜の校舎のような嬉しさ (水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』2022、作者1993~は第62回短歌研究新人賞候補、「日常と非日常と切なさと幸福が、渾然一体となって輝く」と東直子評) 16

 

だんだんと消えていくあざ きみがみたことないからだで花束を買う (藤宮若菜『まばたきで消えていく』2021、作者1995~は、恋愛感情を独特の感性で詠む人)17

 

梅白し昨日(きのふ)や鶴を盗まれし (芭蕉1658、京都の三井秋風の広大な山荘を訪れた時の挨拶句、梅と鶴を愛した中国の隠者林和靖に秋風をなぞらえたユーモア句、「こんなに白い梅が綺麗なのですから、当然白い鶴もいると思いましたが、あれっ、いませんね、どうしたのかな?」) 18

 

丘の梅けさ見し枝もなかりけり (一茶、「丘の梅が満開だ、朝見に行って、昼頃もう一度行った、そしたら、朝にはあったあの枝を誰かが折って持ち去ったようだ、一番いい枝だったのに残念」、その枝が特に綺麗だったので、一茶の記憶に残っていたのだろう) 19

 

桃活くる膝を転(ころ)げし蕾かな (秋灯、「桃の花のついた大きな枝を活けている、あちこちの蕾が、前に突き出した膝がしらのように転がりそうな感じだ」、「膝が転げたような蕾」という把握がいい、作者については不明、虚子の古い歳時記で梅室と秋櫻子との間なので明治期か) 20

 

白桃や蕾うるめる枝の反り (芥川龍之介、白桃の「うるめる蕾」が「枝の反り」に貼り付いている、「枝の反り」という把握が鋭い、すっと直に伸びる梅の枝とも、それぞれの小枝がやや斜めに傾く桜とも違って、たしかに桃の枝には独特の「反る」感じがある) 21

 

なの花や南は青く日は夕べ (加藤暁台、作者1732~92は江戸期の名古屋の俳人、「南は青く」が空の鮮やかな色を伝えている、私がよく散歩する荒川土手は、今、菜の花が満開、広大な菜の花の上に大空が広がっていると、とにかく空が美しい、西の夕日に南の空の青さが際立つ) 22

 

平野より高くのぼらぬ太陽を囲みしごとく虹立つあはれ (斎藤茂吉、1930年に茂吉は、満鉄の招きで満州や北支方面を2か月旅行した、この歌はハルピンを過ぎて国境に向う途上、地平線の少し上に見える弱弱しい太陽を囲むように虹が立った、寒々とした光景、「あはれ」と結句) 23

 

水晶の玉をよろこびもてあそぶ/わがこの心/何の心ぞ (啄木1910、『一握の砂』の第一部「我を愛する歌」の中の一首、啄木の歌はどれも、直接「悲しみ」を主題にしていなくても、「悲しみ」の感情が流れている) 24

 

満州の野山を開くますらをも桜咲く日は見に帰れかし (与謝野晶子、1942年に死去した晶子、遺稿歌集『白桜集』1942には、1935年に夫の鉄幹を失った悲しみの歌が続く、この歌は『白桜集』の最後だろうか、少し前の歌から判断すると、この「ますらを」は出征中の息子か) 25

 

しみじみと手をあらふこともまれにして青年の手とはやもことなる (上田三四二1960『雉』、作者は37歳、医師だからしばしば「手をあらふ」のだが、「しみじみと手をあらふこと」は稀になり、ひさしぶりに「しみじみと」洗った自分の手を見たらもう青年の手ではない、と) 26

 

見本市のいちばん奥にあるような愛がひとりで終わったという (小林久美子1962~、「当人にも、まわりの人間にも気づかれずにいた愛情。誰の目にも留まらなった商品がやがて店頭から消えるように、その気持ちもいつしかひとりでに消えていった」と東直子評) 27

 

夜櫻や用ありげなる小提灯 (高濱虚子1902、「たくさん咲いているのが暗くてぼんやりしか見えない夜櫻の下を、小さな提灯を提げた若い女性が通る、デートで待ち合わせなのだろうね、いい夜だもの」、なかなか色っぽい名句) 28

 

ゆふ空の暗澹たるにさくら咲き (山口誓子『晩刻』1946、いかにも誓子らしい句、黒雲などがうねるように広がっている夕方の空の下に豊かな白い「さくらが咲いている」、「さくら」を含む全景が調和=協和なのではなく、「暗澹たる空」という不調和=不協和を含んで調和がある) 29

 

わがために春潮(しゅんちょう)深く海女ゆけり (橋本多佳子1935『海燕』、多佳子の初期の句、志摩半島を訪れたとき、「海女たちが春の海に潜って漁をしている、ためしに一人に「何か採ってきて」と頼んだら、「いいわよ」と言って、ぐーんと潜っていった」、「わがために」がいい) 30

 

花の日々此(この)教師にな失(とが)ありそ (中村草田男火の鳥』、1937年の作、1933年に草田男は遅く大学を卒業し、成蹊学園中学に国語の教諭として就職した、「この教師」とは自分のことかもしれないし、あるいは若い年下の教師が4月に赴任して、暖かく迎えたのかもしれない) 31