今日のうた13(5月)

charis2012-05-31

[今日のうた13] 5月1日〜31日


(写真は、フランスにおける与謝野晶子と鉄幹、「君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟」と晶子は詠った)


・ あらたふと青葉若葉の日の光
  (芭蕉、「青葉」は深い緑、「若葉」は新緑、「陽光を受けて、樹々の緑の濃淡が映えるのが美しい」) 5.1


・ 目には青葉山ほととぎす初がつを
 (山口素堂、作者は江戸の俳人、この句は鎌倉を讃えたもの、「青葉が美しく映え、ホトトギスが鳴き、初がつをを食べる、そんないい所ですよ鎌倉は」) 5.2


・ 鎌倉の頼朝殿にどこか似てかつをもよほど大あたまなり
  (『万載狂歌集』1783、昨日の句にあったように、鎌倉は鰹の産地、鰹は頭が大きくて烏帽子に形が似ていたので「烏帽子魚」とも呼ばれた、それを頼朝という人物と鎌倉の地名に重ねた) 5.3


・ 牡丹散(ちり)て打かさなりぬ二三片
 (蕪村、代表作の一つ、昼間ではなく月夜の晩に牡丹の花弁が落ちるのを詠んだ、という解釈もある) 5.4


・ 白牡丹といふといへども紅ほのか
 (高浜虚子1925、「・・・といふといへども」は、説明的で、俳句には使いにくい語句だが、虚子だとぴたりと決まる) 5.5


・ オートバイ内股で締め春満月
  (正木ゆう子2002、「内股で締め」がいい、溌剌とした作者その人が伝わってくる) 5.6


・ 白魚の小さな顔を持てりけり
 (原石鼎、「白魚にも一匹一匹ちゃんと顔がある」、作者1886〜1951は苦しい放浪生活を何度か経験した) 5.7


・ ともしびの明石大門(おほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
 (柿本人麻呂万葉集』巻三、「西へ向かうこの舟が明石海峡にさしかかる頃だろうか、いよいよ大和の国とお別れするのは、そのときはもう家族の住むあの大和の山々は見えないのだ」) 5.8


・ あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る
  (額田王万葉集』巻一、「紫野を行ったり、禁じられている野を行ったりして、あなた[=大海人皇子、後の天武天皇]はそんなに目立つように私に袖を振っています、もし野の番人に見られたらどうするの」) 5.9 


・ 紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我れ恋ひめやも
 (昨日の歌への天武天皇の返歌、『万葉集』同、「紫のように美しい貴女を狂おしいほど好きでなかったら、恋うてはならない人妻と知りながら、どうして貴女に惹かれたりするものか」) 5.10


・ ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟
  (与謝野晶子1914、鉄幹を追って晶子はフランスに、五月は雛罌粟(=ケシの花)の季節、古今集の「春日野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり」をもじった美しい歌) 5.11


・  情(なさけ)すぎて恋みなもろく才あまりて歌みな奇なり我をあはれめ
 (与謝野鉄幹1901、昨日の晶子の歌はフランスで鉄幹と落ち合ったときのもの、鉄幹は歌人としては晶子に大きく劣る、よく分っていたようだ) 5.12


・ 太ももが左右がっしと前に出てパリの舗道をどこまでも踏みし
  (松平盟子2000、「女らしさ」規範が何かと煩わしい日本を出てパリに着くと、自然と元気になる、開放感に溢れて舗道を闊歩する作者) 5.13


・ 闇の夜は吉原ばかり月夜かな
 (榎本其角、蕉門で医者、「真っ暗な闇夜、吉原の廓だけが月夜のように明りが輝く」、月のない晩の滑稽句、江戸は世界でも稀な性風俗の栄えた都市、極端な男女人口差があり単身で働く独身男性が多いから) 5.14


・ 親父(おやじ)まだ西より北へ行く気なり
  (『誹風柳多留』、西=西方浄土、北=吉原、「えっ、お父さん、そんなヨボヨボなのにまだ風俗に行く気!」、同じ吉原を詠んでも、昨日の其角の句は“純正俳句”だが、こちらは季語がないので川柳) 5.15


・  海のかぜ山越えて吹く国内(くぬち)には蜜柑の花は既に咲くとぞ
 (斉藤茂吉『暁紅』1940、「海風が山を越えて吹く貴女の故郷では、もう清楚な蜜柑の花が咲いたそうですね」、「蜜柑の花」によって心を寄せている女性を暗示する、当事者二人だけが知る美しい相聞歌) 5.16


・  近き音遠きおと空(そら)をわたりくるこの丘にしてわがいこふ時
   (佐藤佐太郎1947、丘で休んでいると、近くから、遠くから、さまざまな音が聞こえてくる、「空をわたりくる」が卓抜) 5.17


・ 青磁瓶のひびきと思ひそそぎゐる水充ちゆきて水の音となる
 (初井しづ枝1962、「青磁瓶に水を注ぐと磁器の響きがいつのまにか水の音になっている」) 5.18


・ あえかなる薔薇撰りをれば春の雷
  (石田波郷1939、「あえかなる(=さわれば落ちそうな)」薔薇の美しさが、雷によってますます引き立つ、銀座の花屋での光景) 5.19


・ アンコール薔薇の花束置いてより
 (星野椿1930〜、作者の祖父は高浜虚子、「演奏後、薔薇の花束を受け取ったピアニストが、拍手に応え、花束を置いてアンコール曲を弾き始める」、スッと静かになる聴衆の息遣いも伝わる) 5.20


・ グランドの遠景ながら少年と少女の肌のひかり異なる
 (小野茂樹『羊雲離散』1968、体育の時間だろうか、遠景を走る少年と少女たちは「肌のひかり」が微妙に違う、繊細に詠われた若者の身体の美しさ) 5.21


・ 美人にはならないだろうでもピザのチーズのように笑う唇
  (広坂早苗2002、母が自分の幼い娘を詠んだ愛情の歌、小さな唇が「ピザのチーズのように笑う」可愛い笑顔) 5.22


・ 乙鳥(つばくろ)はまぶしき鳥となりにけり
 (中村草田男1936、ツバメは、屋根や電柱など我々の生活空間をつらぬいて翔ぶ、その動きとスピードが「まぶしき鳥」となって) 5.25


・ ラガー等のそのかちうたのみじかけれ
  (横山白虹1934、作者1899〜1983は医師にして大のラグビーファン、ラグビーの試合終了、選手たちの短い「かちうた」) 5.24


・ 乳房ふたつ横向きに寝てわれとちがふ考えごとをしてゐるやうな
  (米川千嘉子『たましひに着る服なくて』1998、横向きになった私の乳房は、何か考えごとをしているらしい、でも私とは違うことを考えているのか) 5.25


・ ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり
 (河野裕子、『森のやうに獣のやうに』1972、「けぶれる」(=煙の中のようにぼうっと霞んで見える)のみ古語を使った) 5.26


・ 朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜
  (穂村弘『シンジケート』1990、「おまえ」とは彼女? ユニークな相聞歌) 5.27


・ 自転車のカゴからわんとはみ出してなにか嬉しいセロリの葉っぱ
 (俵万智1987『サラダ記念日』、セロリの葉が「わんとはみ出して」いる、彼女が初めてこの表現を使ったことによって、セロリの葉は、いわばその存在が豊かになった) 5.28


・ トーストが黒焦げになるこのことはなかつたといふことにしませう
 (香川ヒサ1992、「パン一枚が惜しいわけじゃない、どうってことない小さな失敗だから悔しいのよ」、作者1947〜は、やや理屈っぽい歌を作る人、歌集名も『テクネー』『マテシス』と凝っている) 5.29


・ 美しき緑走れり夏料理
 (星野立子1950、作者1903〜1984高浜虚子の次女、季節感の溢れる句をたくさん詠んだ) 5.30


・ 段々に夏の夜明けや人の顔
  (小林一茶、「夜明けがずいぶん早くなったなぁ、この頃は、隣りの寝顔がまじまじとよく見えるよ」) 5.31