今日のうた68(12月)

charis2016-12-31

[今日のうた] 12月1日〜31日


(写真は前田夕暮1883 〜1951、若山牧水北原白秋と親しかった歌人自然主義から出発したが、昭和初期には自由律短歌運動の先頭に立ったこともある)


・ 君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな
 (前田夕暮『収穫』1910、新婚の妻が眠っている姿をしみじみと眺める作者、肉体ではなく「魂の」とあえて言った、『失われた時を求めて』の主人公が、恋人アルベルチーヌの寝姿を嘗めるように眺め続けたのを思い出す) 12.1


・ 今日散れる葉にすら深き彩(いろどり)を賜(たま)えるものを天と思うも
 (田井安曇『右辺のマリア』1980、私の近所では、12月に入った今も落葉が続く、銀杏の遅い樹はまだまだ) 12.2


・ 近く居てともに会わざる左右の耳こもごも夜の枕に当てる
 (山下和夫『耳』1994、左耳と右耳は距離的には近いが、頭の反対側にあるので、決して「会う」ことがない、自分の枕が交互に触れ合っているから、間接的には触れ合っているのかもしれない、それぞれの耳を気遣うユーモアの歌) 12.3


・ しぐれつつ我を過ぎをりわれのこゑ
 (森澄雄1971、「初冬のある日、寒々とした時雨が降っている、その静かな音が「自分を通り過ぎてゆく」のが、「自分の声」のように感じられる」、このように自己は外界と融合している) 12.4


・ 少年に咬みあと残す枯野かな
 (櫂未知子蒙古斑』2000、枯野で少年が犬と戯れているのだろう、走って戻ってきた犬が撫でる少年の手をちょっと強く甘噛みして、「あと」が残ったのか) 12.5


・ 立ちすくむほどのあをぞら冬鷗
 (正木ゆう子『水晶体』1986、「立ちすくむ」が素晴らしい、空の青さが一番感じられるのは冬である、真っ白な鷗もいて) 12.6


・ わが坐るベッドを撫づる長き指告げ給ふ勿(なか)れ過ぎにしことは
 (相良宏『相良宏歌集』1956、作者は結核の療養所で長く過ごし、30歳で亡くなった、これは療養所内での恋と思われる、寝ている作者の「ベッドを撫でてくれる長い指」の女性とは相思相愛だったのか、直接には体に触れられないのだろう、彼女は作者より2年早く逝去) 12.7


・ 祖国(くに)の上にいよいよ迫り来らむものわれは思ひていをし寝らえず
 (南原繁『形相』、1941年10月17日東条英機内閣成立の日の歌、その少し後に12月8日の真珠湾攻撃の日の歌が並ぶ、今日がその日) 12.8


・ 俯瞰(ふかん)する夜の地上にかがやきの聚落(じゅらく)も暗黒のなかのさびしさ
 (佐藤佐太郎1963、「聚落」とは村落の意だが、ここでは大都会だろう、飛行機から遠く見下ろす大都市の夜景、それは輝いているが、周囲の暗黒の中に孤立している) 12.9


・ 耕(たがや)さぬ罪もいくばく年の暮
 (一茶1805、一茶は43歳、定職もなく独身、自虐的な句だ、一茶が故郷の柏原で一定の遺産を相続して「本百姓」に登録されたのが1808年、ようやく1812年に50歳で柏原に帰郷し、2年後に28歳の妻きくを娶ることができた) 12.10


・ 居眠りて我にかくれん冬ごもり
 (蕪村1775、「ああ、いやなことがあったな、現実から逃避して出して自分に籠りたいよ、このまま炬燵で居眠りしようか、冬ごもりだよ」、「我にかくれん」がいい、誰しも引き籠りたい時がある) 12.11


・ 葱(ねぶか)白く洗ひあげたる寒さかな
 (芭蕉1691、「ネギを畑から取ってきた、泥を洗い落とすと、真っ白に輝いている、水も冷たいけれど、本当に寒い冬になったんだ」) 12.12


・ 道を云はず後を思はず名を問わずここに恋ひ恋ふ君と我(あ)と見る
 (与謝野晶子『みだれ髪』1901、「道徳なんか知らない、来世で罰せられたっていい、世間体なんて気にしない、今ここに存在するのは貴方と私だけ、大好き!」、22歳の晶子は出奔して妻のいる鉄幹と同棲) 12.13


・ このもだえ行きて夕(ゆふべ)のあら海のうしほに語りやがて帰らじ
 (山川登美子「白百合」1905、「鉄幹さんを愛するこの悶えを、夜の海に行って荒波に向かって叫びたい、そしてそのまま、もう帰ってきたくないわ」、鉄幹門下の登美子は恋のライバルの与謝野晶子に敗れた、30歳で没) 12.14


・ 花もちて鉄扉のかげに待つときの少女めきたるわれを自嘲す
 (中城ふみ子『乳房喪失』1954、作者の二十代が終る頃か、三人の子を連れて離婚した作者に、また好きな人ができた、その彼を詠った歌) 12.15


・ 正しく列をなすみな卒の墓なりけり
 (荻原井泉水1914、大正2年頃から、季語や定型にこだわらない自由律俳句が作られ始めた、河東碧悟桐とともに作者はその運動の担い手、この句は下級兵士の墓地を詠んでいるのだろう) 12.16


・ しんしんと肺碧(あお)きまで海の旅
 (篠原鳳作1934、作者1906〜36は、戦前の新興俳句運動の有力な一人で、無季俳句を作った人、宮古島の中学教諭だった、「肺が青くなるまで」と詠んだこの句は名句で、代表作の一つ、沖縄の海だろうか) 12.17


・ 寒雷や一匹の魚(うお)天を搏(う)ち
 (富澤赤黄男『天の狼』1941、作者1902〜62も新興俳句運動の有力な担い手の一人、この句も戦争期の緊迫が感じられる) 12.18


・ 忘らるる身はことわりと知りながら思ひあへぬは涙なりけり
 (清少納言、「心かはりたる男に言ひ使はしける」と詞書、「貴方の心が離れていったのは、私が悪いのよね、理由は分かっているの、でも貴方と相思相愛でいられないなんて、ああ、何て悲しい」、プライドの高い作者にしては珍しい歌、よほど好きだったのだろう) 12.19


・ 長からむ心もしらず黒髪の乱れてけさはものをこそ思へ
 (待賢門院堀川『千載集』恋三、「貴方と初めて過ごした一夜、「いつまでも愛してるよ」とおっしゃったけれど、本当かしら、これっきりじゃないのかしら、ああ、今朝になって、はげしく乱れた黒髪のように、いたたまれない気持になるわ」、百人一首にも) 12.20


・ 待つ宵(よひ)に更けゆく鐘の声聞けばあかぬ別れの鳥はものかは
 (小侍従『新古今』恋三、「貴方が来るのを今か今かと待っているうちに、夜が更けて初夜の鐘も中夜の鐘も鳴った、ああ、鐘の音がたまらない、これに比べれば、飽きないのに別れがくる暁の鶏の声なんか、かわいいものよね」) 12.21


・ 大空に飛石の如冬の雲
 (高濱虚子、「どこまでも晴れ渡った冬の青空、雲はないなぁ、あっ、あそこに、ぽつっ、ぽつっと、飛び石のように小さな雲が」)  12.22


・ 木枯の大きな息とすれ違ふ
(石田郷子2004、冬も本格的になった、たった今「すれ違った」木枯、そういえば「大きな息」をしていたわ)  12.23


・ 屋台とは聖夜に背向け酔ふところ
 (佐野まもる『新歳時記・冬』河出文庫1989、「ああ、今夜はクリスマスの晩だ、俺は一緒に過ごす恋人も家族もいない、ま、屋台で一杯やるか、これが俺流のメリー・クリスマス」) 12.24


・ 夢はいつも何かしらピンボケで窓の外は蝙蝠傘(こうもり)があふれてた
 (もりまりこ『ゼロゼロゼロ』1999、「夢のzoo」と題された歌群の一つ、夢の中に、子供のときに両親と行った動物園が出て来たのだろう、コウモリが蝙蝠傘に見えたのか、それともその逆か) 12.25


・ 男がなぜティッシュを消費するのかを女になって初めて知った
 (白木蓮・女・35歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、題詠は「ティッシュ」、「ポイントは、「女になって」。一瞬「?」となるようなニュアンスの微妙さがいい」と、穂村弘評) 12.26


・ 「このほうが本気でやるでしょこいつらも」溶けるティッシュのてるてるぼうず
 (水町・女・31歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「遠足の日、てるてるぼうずを脅す妹の想い出です」と作者コメント、「上句では意味不明なシチュエーションが、下句できれいに説明される」と穂村弘コメント) 12.27


・ 霜おきてなほ頼みつる昆陽(こや)の蘆(あし)を雪こそ今朝は刈り果ててけれ
 (式子内親王『家集』、「昆陽」は地名を表わす歌枕だが「来や」の意、「枯れた蘆にうっすらと霜が降りていた頃は、きっと貴方が来るわとまだ希望を持っていたけれど、ああ、今朝は、雪が蘆をすっかり覆ってしまった、もう貴方は来ないのね」) 12.28


・ 年暮れてわが世ふけゆく風の音に心の中のすさまじきかな
 (紫式部『日記』、1008年12月29日、実家から宮中へ戻った作者は、初めて参内したのも同じ日だったと回想、「ああ、今年が暮れてゆく、一緒に私も老けていくのね、外は風が寒々と吹いている、私の心もすっかり冷えてしまったわ」) 12.29


・ 怖(おど)す也年暮るよとうしろから
 (炭太祇、作者1709〜71は蕪村とも交流のあった俳人、「おどすのかい、「今年はもう終るぞ!」って、後から押しつぶすように追い立てるんだな、ああ、つらいぜ」、年の暮れを「後から追い立てられる」という捉え方がユニーク) 12.30


・ 行く年や膝と膝とをつき合せ
 (夏目漱石1895、こたつだろうか、「膝と膝をつき合せ」ているのは誰だろう、漱石28歳の時の句、結婚は翌年だからまだ家族はいなかったはず、暖かさを感じさせる良い句だ) 12.31