今日のうた23(3月)

charis2013-03-31

[今日のうた23] 3月 


(写真は正岡子規1867〜1902、短歌の大胆な革新を行い、俳誌『ホトトギス』を創刊した、写真のように、日本でもっとも早く野球を行った一人で、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」等は彼が造った訳語)


・ かくしつつ立ちわたりたるみづ藍(あひ)の霞はひくし雪に接して
 (斉藤茂吉『白き山』1947、「雪深い大石田の里にも春が近い、青味がかった霞が、後景を隠しながら、白い雪に接するように低く立ち籠めている」、調べの美しい叙景の歌) 3.1


・ 草の戸も住み替る代(よ)ぞ雛(ひな)の家
  (芭蕉1689、「(江戸深川の芭蕉庵を人に譲り、さあ、これから奥の細道の旅に出ようか) 小さな貧しい庵だったけれど、やがて新しい家族がここに住み、雛人形の飾られる家となるだろう」) 3.2


・ たらちねのつまゝずありや雛(ひな)の鼻
 (蕪村1780年頃、「まぁ、このお雛様のお鼻は低いわ、鼻が高くなるようにって、お母様がつまんであげなかったのね、だめよねぇ」、少女の口ぶりになって詠んだユーモア句) 3.3


・ うつしみは息あたたかし眼によせて紅梅のはな露ふくむかな
 (上田三四二1972『湧井』、「うつしみ=現身、生きている私の身体」、医師である作者は自らも癌の手術を受けた、命があることの有り難さをかみしめ、体をいたわりながら生きるある日、間近に寄って眺めた梅の花に小さな露が) 3.4


・ 花匂ふ梅は無双の梢(こずゑ)かな
 (宗祇法師1421〜1502、「花の咲き匂うこの梅の梢は、本当に並ぶもののない素晴らしい梢だよ」、日本最初の俳句(俳諧)と言われる句、室町時代連歌師たちが息抜きに作ったのが俳諧の始まり) 3.5


・ 勇気こそ地の塩なれや梅真白
 (中村草田男1944、敗色の濃い戦争末期、真っ白に咲く梅の中を学徒出陣する教え子に贈った句、「勇気」「地の塩(=聖書の言葉)」という語に悲しみが) 3.6


・春潮やわが総身に船の汽笛(ふえ)
  (山口誓子1934、「おお、大阪港に春の海流がやって来た、汽船の汽笛が大きく鳴る、全身に響き渡って自分も一緒に鳴っているよ」、切れ字「や」は誓子には珍しい、「わが総身に」が卓越) 3.7


・ 薄く濃き野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむら消え
 (宮内卿『新古今』春上、「緑が鮮やかに萌え始めた若草に、濃いところと薄いところがあるわ、ああそうか、雪が早く解けたところと、そうでないところなのね」、眼の前の緑と記憶の白を重ねる色彩感、千五百番歌合で寂蓮法師に勝った彼女の代表歌、これを受けた現代の歌を明日に) 3.8


・ 雪とけて若草うごくを息つめて見つめたり少女のままに死ぬため
 (米川千嘉子1988、昨日の宮内卿「緑の若草」の歌を念頭に詠んだ、宮内卿は色彩感のある明晰な歌を詠んだが、十代で夭折した女性、作者は、宮内卿に、成熟を拒否する少女の姿、オタクっぽい不思議少女を見て取るのか) 3.9


・ 今はまだ物語など秘めてゐぬ下着を干しぬ早春の風
 (栗木京子1979、結婚を前にした作者24歳の作、結婚したらこの下着も「物語を秘める」のかしらと想像しながら、早春の風の中に干す、ちょっとユーモラスな歌、「物語」とか「早春の風」とか、楽しそうな作者) 3.10


・ われに来てまさぐりし指かなしみを遣(や)らへるごときその指を恋ふ
 (小野茂樹1968、「僕を抱く彼女の指はいつも、悲しみを追い払うように激しくまさぐるものだった、ああ、あの指が恋しい、彼女が恋しい」) 3.11


・ 「死ぬときは一緒よ」と小さきこゑはして鍋に入りたり蜆(しじみ)一族
 (小島ゆかり2007、小さな蜆たちにも命がある、彼らのささやくような声を聴き取っている作者1956〜) 3.12


・ 文字盤に輝く WATER RESISTANT SHOCK RESISTANT LOVE RESISTANT
(穂村弘2003、「この腕時計は、水に耐性あり、ショックに耐性あり、性愛に耐性あり」、最後のLOVE RESISTANT がユニーク、全体の“調べ”もいい) 3.13


・ 触るること触れられることなき肩ならべ歩めば春の雨のみ優し
 (道浦母都子1968、「デモ隊の中にいる私、隣りは大好きな彼氏、でも、デモだもの、甘えるわけにはいかないわ、戦いのシュプレヒコールを唱えているんだもの」、結句の「春の雨のみ優し」が素晴らしい) 3.14


・ 僧はさし武士は無腰のおもしろさ
 (『誹風柳多留』1773、吉原に遊ぶ僧侶は身分を隠すために、頭が丸いので医者に変装し、脇差を差した、武士は吉原では刀を差さないのが粋とされた) 3.15


・ 吉原で武道勝利を得ざる事
 (『誹風柳多留』1776、吉原では武士は遊女にもてなかった、まぁそうでしょ、西洋の騎士と違って日本の武士には恋愛の文化がないからね、遊女とトラブって、「おのれ、無礼者、たたき斬るぞ!」とか口走って失笑を買ったり、この川柳は漢文ぽい硬派の口調も皮肉) 3.16


・ くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
 (正岡子規1900、子規の中でも指折りの名歌、とても美しい、3月のバラの枝には、赤みがかった小さな葉が芽のように噴き出す、その「やはらかな」針のようなバラの芽が、春雨を受けている) 3.17


・ そよ風の対話のようにさやさやと手話をはじめる二人の少女
 (永田吉文2002、二人の少女は何を話し合っているのか、きっと楽しいことに違いない、作者1954〜は歌誌「短歌人」所属) 3.18


・ 忘れてはうちなげかるる夕べかな我のみ知りて過ぐる月日を
 (式子内親王『新古今』巻11、「こんなに長い間貴方を愛し続けてきた私の気持ちを、貴方には一度も打ち明けていなかったわね、そのことをつい忘れ、今夜はきっと貴方がいらっしゃると期待してしまった、ああ、なんて悲しい夜なの」、人を愛しても愛し返されることのない孤独、それを彼女ほど深く詠った人はいない、この歌は『新古今』で「玉の緒よ絶えなば・・」の次に並ぶ、もう一つの代表作)3.19


・ 逢ふまでのみるめ刈るべきかたぞなきまだ波なれぬ磯の海人士(あまびと)
 (相模『新古今』巻11、「どの干潟で海藻のみるめを刈るべきか分からない未熟な海人のように、恋に初心者の私は、どうやったら貴方にお逢いできるのかしら、ああ、それが分からないのよ」) 3.20


・ ふらここの会釈こぼるるや高みより
 (炭太祇、「ふらここ」=ぶらんこ、作者1709〜1771は蕪村とも交流のあった人、江戸時代からぶらんこはあったのだ、もとは女性の遊びだった、この句のぶらんこに乗って、にっこり挨拶しているのもたぶん女性) 3.21


・ 鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪ふべし
  (三橋鷹女1951、「鞦韆」=ぶらんこ、「大きく揺れるぶらんこのように、相手を激しく揺さぶって、そして奪うのよ、それが愛なのよ」、作者51歳の句、自分のことなのか、それとも誰かを指南しているのか) 3.22


・ 花さそふ比良の山風吹きにけりこぎゆく舟の跡みゆるまで
 (宮内卿『新古今』巻2、「琵琶湖の西にある比良の山風が吹いて、桜を誘ったのね、誘われた桜の花びらが湖上にたくさん散って、船の航跡も見えるわ」、彼女らしい視覚的に鮮やかな歌、今年は桜が早い) 3.23


・ 清水(きよみづ)へ祇園をよぎる桜月夜(さくらづきよ)こよひ逢ふ人みなうつくしき
  (与謝野晶子『みだれ髪』1901、「京都の八坂神社から清水寺へ至る一帯は、とても桜の美しいところ、月夜の花見でしょうか、路で行き会う人がみなうつくしく見えるわ」) 3.24


葛飾や桃の籬(まがき)も水田べり
 (水原秋櫻子1930、「東京・葛飾の、とある水田の脇の農家に、桃の木が垣根のようにたくさん植わって、花が一斉に咲いて水に映っているよ」、優美な美しい句で、作者の代表作の一つ、今年は桜も桃も早い) 3.25


・ 春の苑(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出(い)で立つ娘子(をとめ)
  (大伴家持万葉集』巻19、「春の庭は、ピンクの桃の花が満開だなぁ、おやっ、花に照らされた明るい道に、美しい女性が立っているよ」、家持らしい優美な歌) 3.26


・ そこを行く春の雲あり手を上げぬ
  (高濱虚子1939、「おーい、そこを行くのは雲くんじゃないか、ここにいるのは、僕だよ僕」) 3.27


・ 菜の花の咲くところまで来て話
 (高野素十1954、作者1893〜1976は客観写生の達人と言われるが、この句は、人間を描くことによって菜の花の美しさを詠んでいる) 3.28


・ 春風に箸を摑(つか)んで寝る子かな
 (一茶1807、「あれっ、春風の中、この子は箸を摑んだまま寝ちゃってるよ、何か食べたいのかな」、一茶は子どもが大好きでたくさん句を詠んだ)  3.29


・ 君の眼に見られいるとき私(わたくし)はこまかき水の粒子に還る
 (安藤美保1967〜91、作者は歌誌「心の花」所属、俵万智の五歳下で、彼女が妹のように思っていた人、24歳で不慮の事故死、みずみずしい恋の歌が遺歌集『水の粒子』に残された) 3.30


・ 今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
  (俵万智『サラダ記念日』1987、海は、どこまでも大きい、人間の嘘なんてぜんぶ飲み込んで、赦してくれそうな気がする) 3.31