ロボットを恋人にできるか(西條玲奈氏論考)

charis2013-04-27

「ロボットを恋人にできるか―性的パートナーとしてのロボットと性産業―」(西條玲奈)

(写真はピグマリオンのパロディ、デルヴォーの作)

若手哲学者の西條玲奈氏が、応用哲学会で発表予定だった論考(パワポ)を、アップされました(↓)。私自身も以前、ロボットのことを考えたことがあるので、興味深く読みました。

http://researchmap.jp/muj87nv0y-1823385/


氏によれば、人工物であるロボットとの間にも恋愛関係は成り立ちうるものです。恋愛は相互関係である必要はなく、土地や持ち物に対する愛情と同じく、一方的感情であってもよい。氏はそれを「恋愛の主観的定義」と呼び、「恋愛関係に対称性が成立する必要はない」と言われます。


私がやや違和感を覚えるのは、そういうのはフェティシズムの一種ではあっても、やはり普通は「恋愛」とは呼ばれないだろうと思うからです。ロボットという概念を追究していくと、ロボットに人間が求めるのは、(1)人格なのか、(2)道具なのか、という対立が最後まで残ります。ロボット学者は、ロボットを限りなく人間に似たものにしようとして努力しており、それは理論的・技術的な問題として興味ある課題ではあります。でも、仮に人間に非常によく似たものができたとしても、地球上にすでにこんなに人間が存在するのだから、そんな「人間のまがいもの」に存在価値があるとも思えません。


そうではなく、人間に出来ないことが出来てこそ、道具としてロボットは価値があります。放射能の中で作業するとか、チェスや将棋の名人より強いソフトとか、外国語を人間以上に完璧に翻訳できるとか、計算の早いスーパーコンピュータとか、いろいろありますが、これらはすべて人間の機能の一部をさらに拡張する「道具」であるがゆえに価値があるロボットなのであって、それらは身体的に人間に似ている必要はありません。


その点、性的パートナーとしてのロボットは、人間の身体を模倣しなければならないという中途半端なものです。もし仮に、人間以上に会話や愛撫や性行為が上手で、男女ともに、生身の人間からはとても得られない性的快感や満足を与えるようなロボットが作られるならば、そうしたロボットの需要はあるでしょう。でも、それでもやはり、それは「高級な性具」と呼ばれるものでしょう。そういう性具を持つ人が、友人に「私には素晴らしい恋人がいます」と自慢するでしょうか。たぶんしないで、こっそり使用し、友人には黙っているでしょう。妻や夫がいれば、なおさらこっそり使うでしょう。これが、人格と道具の分裂という意味です。


西條氏の論考によれば、日本でもアメリカでも70万円程度でラブドール(いわゆるダッチワイフ)が買えるそうです。でもそういうのをこっそり使っている人は、「私は恋愛しています」と自慢することはない。Levyという学者は、2050年代までには、人間がロボットに恋愛感情を持ち、婚姻のパートナーとすることが実現すると言っているそうですが、これは私にはまったく信じられません。


PS: 西條氏の論考とは関係ないが、現在のラブドールは取扱いもメンテナンスも非常に手間がかかるもので、忍耐強くマメな男性でないととても使えないらしい(↓)。人格どころか、道具としてもまだまだ使い勝手が悪すぎるようだ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1193288281