今日のうた(147) 7月ぶん

[今日のうた] 7月ぶん

 

七月の青嶺(あおね)まぢかく溶鉱炉 (山口誓子1927、同年7月、誓子が八幡製鉄所を見学した際の句、製鉄所の南側は山が青々としているが、「溶鉱炉の鉄扉を開けると、深紅の火が流出した」と誓子の自註、「七月の青嶺」という冒頭がいい) 7.1

 

背泳ぎの空のだんだんおそろしく (石田郷子『秋の顔』、背泳ぎをしているのは作者だろうか、背泳ぎは、周囲が見えずに空のみ見て泳ぐので、今、どの辺にいるか分らないのか、「空がだんだんおそろしく」なるという空の把握が見事) 2

 

梅雨晴や翼を持つも羽持つも (奈良雅子「東京新聞俳壇」7月2日、小澤實選、「翼をもつものは鳥で、羽を持つものは虫か。晴を喜んで飛び立ち、鳥は虫を空中で捕らえたりもするのだろう」と選評。梅雨晴れを楽しむのは人間だけではない) 3

 

香水や遠き記憶とすれ違ふ (このみていこ「朝日俳壇」7月2日、大串章選、作者はおそらく高齢の女性なのだろう、街でたまたま若い女性とすれ違ったら、自分が若い時につけていたあの香水の香りを感じ、たちまち若い自分の「遠い記憶」が鮮やかに蘇った) 4

 

ライフ・イズ・絶好調とおもわれて笑むはめごろしの窓のこちらで (紡ちさと「東京新聞歌壇」7月2日、東直子選、「「ライフ・イズ・絶好調」はインパクトがあるが、「はめごろしの窓」が、決定的な意識の違いを象徴。必死に明るく振る舞っているようで、痛切」と評、こういう若者は多いのだろう) 5

 

参観の日の校門の守衛さん保護者通して鹿は通さず (山添聖子「朝日歌壇」7月2日、佐佐木幸綱/高野公彦共選、「鹿がたくさん歩いている奈良の学校ならではのユーモラスな場面」と佐佐木評) 6

 

支配される/されない/させない 身につけるものには税関くらいのチェック (手塚美楽『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』2021、作者2000~は学生、恋人と互いの服装をチェックし合っているのか、互いに注文など付けず、あっさり「いいね」と言い合う、いい関係だ) 7

 

アラームへ伸ばした腕がきみにさえ触れない朝の永い背泳ぎ (櫻井朋子『ねむりたりない』2021、作者1992~は2017年から短歌を東京新聞に投稿し、同年に年間賞、「あれっ、君いないぞ?」と、ベッドで「永い背泳ぎ」をする美しい愛の歌) 8

 

生れ変わったら台風になりたいねってそれからは溶ける氷をみてた (藤宮若菜2021、作者1995~は、恋の喜びというよりは苦しい感情を詠む人、この歌も彼氏に言ったのだろうか、鬱屈とした思いが伝わってくる ) 9

 

おしまいはいつも「じゃあね」と言うきみに「またね」と返す祈りのように (千原こはぎ『ちるとしふと』2018、「じゃあね」「またね」は、若者同士の普通の分れの言葉だろうが、「返す祈りのように」という結句が、二人の親密な関係性を表現しているのか) 11

 

どんな波きても無言で耐え忍ぶテトラポッドの唄が聴こえる (寺井奈緒美2019、海岸に置かれたテトラポッドにはいつも波が当たっている、その音は、普通は、ただ無言で耐えているだけのように聴こえる、でも作者にはそれがテトラポッドの「唄」のように聴こえる) 12

 

約束のない一日のゆうぐれの棚田のような思考を閉じる (東直子、「東京新聞歌壇」7月9日、「棚田のような思考」という表現に惹かれる、「約束のない一日」だから、自分で短歌を詠んだり、人の短歌を読んで研究したり、自分の時間を自由に使うのが「棚田のような思考」なのだろう) 13

 

ためてゐし言葉のごとく百合ひらく (稲垣きくの1906~87、「百合のひらく」様子を「ためてゐし言葉のごとく」と言ったのがいい、作者は茶道教授にして元女優、俳句は久保田万太郎に師事)14

 

電柱に充電にきて油蝉 (佐藤和枝、なるほど、電柱でジージー鳴く油蝉は「充電」しているかのようだ、作者1928~は俳誌「氷海」「狩」等の同人)15

 

門ありて唯夏木立ありにけり (高濱虚子、俳句の原理そのものというか、虚子でなければできない句だ、「門がある」、そして、「夏木立がある」、ただそれだけの、詩とは無縁の単調な二つの言葉がただ無造作に並ぶ・・・が、それが詩になっている) 16

 

わたくしの有史以前の夏の河 (高橋龍1929~、「わたしくの有史以前」という比較がいい、ゆったりと流れている「夏の河」の寿命は、たぶん自分の短い人生よりずっと長いのだろう、いやひょっとして、「ヒトの有史以前」というべきか)17

 

伸びる肉ちぢまる肉や稼ぐ裸 (中村草田男、「裸」は夏の季語だが、「稼ぐ裸」とあるから、ストリップ劇場だろうか、きっと初見なのだろう、「伸びる肉ちぢまる肉」という素朴な驚きがいい)18

 

野外劇終りて虹もはづされる (小笠原風箕、室内の演劇なら、終わったら書割全体がはづされる、でもこの野外劇、「虹」は書割に描かれたのではなく、七色の細い布が虹のように弧を描いて張られていたのだろう、だから「はづされる」のもひときわ寂しい) 19

 

夕焼ける国の子供ら減つてゆき (鈴木六林男(むりお)1919~2004、作者は俳誌「花曜」主宰、不思議な句だ、いつ詠まれたのか分からないが、ひょっとして「少子化」を詠んだ先駆的な句かもしれない)20

 

柳こそ伐(き)れば生(は)えすれ世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ (よみ人しらず『万葉集』巻14、「柳だって切ればまたあとから生えてきます、でも僕が貴女に恋焦がれて死んでしまえば、もうそれっきり、ああ、どうしろというのですか」) 21

 

我のみぞ悲しかりける彦星も逢はで過ぐせる年しなければ (凡河内躬恒古今集』巻12、「貴女はどうして逢ってくれないのですか、どうして僕だけがこんな悲しい思いをするのでしょう、あの彦星だって、七夕の一夜だけは織姫が逢ってくれるというのに」) 22

 

山ながら憂くは憂くとも都へは何か打出の浜も見るべき (和泉式部『家集』、「[敦道親王さま、「いつ寺を出て帰ってくるの?」とお便りですが] 山に住んで煩悩に苦しまない生活をしています、煩悩の真っ只中である都や、まして打出の浜なんか行く気はありません、一生ここにいます」) 23

 

知るなればいかに枕の思ふらん塵(ちり)のみ積もる床のけしきを (藤原親隆『千載集』巻15、「こんなに塵がふとんに積もったわ、私たちの恋をよく知っているこの枕は、いったいどう思うかしら、ああ、貴方はちっとも来てくださらない」、女の立場で詠んだ歌) 24

 

草深き夏野分けゆくさを鹿の音(ね)をこそ立てね露ぞこぼるる (藤原良経『新古今集』巻12 、「草深い夏野に分け入る牡鹿は、声を立てないけれど、体に触れた草の露がはらりとこぼれます、私も、貴女のことを想うと、声には出さないけれど、どうしても涙がこぼれてしまいます」) 25

 

別れにし昔をかくるたびごとにかへらぬ浪ぞ袖に砕くる (式子内親王『家集』、「貴方とお別れしてから時が流れ、貴方とともにした時間は二度とかえってきません、その時間を想い出すたびに、浪が岩にぶつかって砕けるように、私の涙が袖にこぼれて砕けます」) 26

 

ほととぎす声も高嶺(たかね)の横雲になきすててゆく曙の空 (永福門院『続千載和歌集』、ホトトギスは夏の鳥で、その鳴き声は鋭い、明け方、一羽のホトトギスが、高い峰にかかる横雲を切り裂くように、「鳴き捨てて」飛び去って行った) 27

 

夏空へ雲のらくがき奔放に (富安風生、夏空へは、速いスピードでむくむく雲が育ってゆく、「らくがき奔放に」と言い当てたのがいい) 28

 

兜虫(かぶとむし)一滴の雨命中す (奥坂まや、夏の夕立ちだろう、最初は突然、大粒の水が一滴ポツリと落ちてくるのを体験する、ちょうどそれが眼前の兜虫に「命中した」、珍しいけどありうること、作者1950~は俳誌「鷹」同人) 29

 

たてよこに富士伸びてゐる夏野かな (桂信子、夏野の向こうに見える富士山が「たてにもよこにも伸びてゐる」みたい、というのがいい、そういう夏野は、神奈川県、山梨県静岡県など、いくつもあるだろう) 30

 

くちびるに一粒そして大夕立 (鷹羽狩行、これは夏の夕立ちの経験として、十分ありうるのではないか、「くちびる」かどうかはともかく、最初の一粒を顔に感じることは多い) 31