今日のうた33(1月)

charis2014-01-31

[今日のうた] 1月


(写真は上島鬼貫1661〜1738、兵庫県伊丹市出身、伸び伸びとして親しみ深い句を詠んだ人、芭蕉とも親交があり、当時は「東の芭蕉、西の鬼貫」とも言われた)


・ 元日やくらきより人あらはるゝ
 (上島鬼貫、「元日の早朝、八坂神社に初詣に行くと、暗がりからふっと人の姿が現れた」、大晦日から元日にかけて、京都の人たちは八坂神社に「おけら参り」をした) 1.1


・ 正月の子供に成(なり)てみたきかな
 (一茶1796、「お正月の子どもはいいな、楽しそうだな、僕も子どもになってみたい」) 1.2


・ 何の葉のつぼみなるらん雑煮汁
 (室生犀星1928、「おっ、雑煮の中に、緑の葉と小さなつぼみが入っている、いったい何の葉だろう」、雑煮の中の緑の新芽のいとおしさ) 1.3


灯台へよき便ありて届きたる大門松の潮に濡れたる
 (谷本喜平次「朝日歌壇」1972年1月、後藤美代子選、作者は和歌山県灯台守を務める人、「荒れる冬の海だが、運よく船便で大きな門松が灯台に届いた、立てた門松が大波をかぶって濡れる灯台の正月」) 1.4


・ 子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」
(穂村弘、彼のデビュー作として名高い歌、本作を含む「シンジケート」は1986年・角川短歌賞次席、彼が短歌を始めたのが前年22歳の時、「子づくり」と「シンジケートづくり」を並べる斬新な発想、弾けるような言葉の面白さ、同年第一席の俵万智以上に短歌の新しい可能性を開示した人) 1.5


・ ふっくらとともしび置きてめぐりいん君の眉毛とわれの眉毛と
 (安藤美保『水の粒子』、大学二年生頃の作か、大好きな彼と一緒にいる作者、クリスマスだろうか、それとも誕生日のケーキか、あるいは夏ならば走馬灯かもしれない、蝋燭の火を囲んで顔を近づける二人) 1.6


・ 抱(いだ)くこともうなくなりし少女子(をとめご)を日にいくたびか眼差しに抱く
 (小島ゆかり『希望』2000、作者は44歳、二人の娘は14歳と13歳、もう抱き上げるわけにはいかない、でも一日に何度かは「眼差しに抱く」) 1.7


・ 寒鯉の一擲(いつてき)したる力かな
 (高濱虚子、1943年1月8日の作、鯉が尾ひれで水面を叩く音は力強い、凍るような寒さの中で、その鋭い音が響く) 1.8


・ 冬旅や足あたゝむる馬の首
 (誐々、「冬の馬上の旅は寒くて耐えられないよ、馬の首に足をぴったり押し付けて何とか暖を取る、馬くん、すまないね」、俳諧の味が楽しい、作者は元禄時代の蕉門系の俳人) 1.9


・ 君に恋ひうらぶれ居(を)れば悔しくも我が下紐の結(ゆ)ふ手いたづらに
 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「貴方に恋い焦がれている私、貴方が来る予兆なのか下着の紐が自然に解けるけれど、来ないからまた結び直す、その繰り返しばかりよ、さびしいわ」) 1.10


・ よしさらばつらさは我にならひけりたのめて来ぬは誰か教へし
 (清少納言詞花和歌集』、「ええ、いいですとも、「つれなさ」は私を真似たというのは分かるわ、私は「つれない」女だもの、でも「約束したのに来ない」を私に学んだとは言わせないわよ」、才気あふれる返歌、「明後日必ず行く」と言って来なかった男が、「貴女のつれなさを真似してみたのです」と言い訳を寄こしたので倍返し、頭のいい女に叩かれて、男はますますマゾ的に恋を求めたか) 1.11


・ 寝ぬる夜の夢を儚(はかな)みまどろめばいや儚(はかな)にもなりまさるかな
 (在原業平古今集』、「貴女と共寝したあの素晴らしい一夜は夢のようにはかないものでした、もう一度夢に見ようと、うとうとしてみるのですが、いよいよはかない思いがつのってしまいます」、男と女の素晴らしい一夜ほど、夢のように儚いのか) 1.12


・ 寒鴉己(おの)が影の上におりたちぬ
 (芝不器男1927、冬のカラスが地面に降り立つ瞬間、自分の黒い影とぴたりと重なる、一瞬を捉えた鋭い把握) 1.13


・ 着ぶくれて嫌な女になりにけり
 (黛まどか『花ごろも』1997、「着ぶくれた」自分は嫌だと言わず、自分が「嫌な女になった」というのが面白い、ほっそりした女なら「嫌な女」ではないのかな、作者1962〜は、女子のみの俳句誌『月刊ヘップバーン』を主宰した人、なぜ「ヘップバーン」なのかな) 1.14


・ ストーブを蹴飛ばさぬやう愛し合ふ
 (櫂未知子2000、この “品の悪さ”が作者1960〜の持ち味、たしかに「四畳半 襖の下張」ではないが、広すぎる部屋は親密な“愛”には似合わない? 天蓋付きベッドのお姫様じゃないのだから)  1.15


・ この部屋のこのあったかさの充満を破る針たれ吾の存在
 (吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、26歳頃の作か、大好きな彼氏の部屋にいる作者、何か期するものがあるのだろうか) 1.16


・ 羞(やさ)しきとしばしは言はむまなじりのいつも日暮れのやうなあなたよ
 (今野寿美『花絆』1981、「いつも日暮れのような」目じりの彼氏(夫?)に「はにかんでいるのよね」と呼びかける作者、繊細で知的でユーモラスな、素敵な相聞歌) 1.17
 

・ 初婚なりピーターパンのその心
 (清水哲男『匙洗う人』1991、友人の結婚式だろうか、年長の新婦は再婚で世馴れたものだが、新郎は初婚で初々しい少年のように見えるのか) 1.18


・ 腰ぬけの妻うつくしき炬燵哉
 (蕪村1776、「腰がぬけたわけじゃないのに、こたつに入ったまま出ようとしない妻、でも君、きれいだよ」、愛妻句) 1.19


・ 冬薔薇(さうび)日の金色(こんじき)を分ちくるゝ
 (細見綾子『冬薔薇』1952、寒さの中で、太陽の光を分かち持つようにして咲いている冬バラの美しさ) 1.20


・ いのち賭くとわれは思へども沈みゆく日の一途さに及ばざるべし
 (小野茂樹『羊雲離散』1968、恋が危うくなっている時の歌か、夕陽を見つめて一人歩く作者は、ひたすら彼女のことを思い詰めている、「沈みゆく日の一途さ」が卓抜) 1.21


・ 風船をひとさし指でつつきつつ真顔になるな異性としては
 (江戸雪『百合オイル』1997、男の友人の話を聞いているのか、どんな話題が出たのだろう、「異性として真顔になる」作者) 1.22


・ 冬の雲一箇半箇となりにけり
 (永田耕衣1942、「冬の大空に点々と雲が浮かんでいる、数えられるくらい数が少ないな、一箇、二箇、三箇・・・あれっ、切れっ端みたいに小さくなっちゃった」、雲によって空を詠む自由闊達な句) 1.23


・ 実(じつ)のあるカツサンドなり冬の雲
  (小川軽舟2001、冬雲の下で、「実(じつ)のある」カツサンドを食べているのか、それとも冬の晴天にしては立派な雲が一瞬カツサンドに見えたのか、いずれにしても、「ハムカツ」のように薄くないのがいい) 1.24


・ チェロを抱くように抱かせてなるものかこの風琴(ふうきん)はおのずから鳴る
 (太田美和、楽器の比喩が面白い、やや“突っ張った”相聞歌、二十代の作だろうか、彼氏に抱かれる仕方に注文をつけて、自らをアコーディオンに喩える作者1963〜は、エミリ・ブロンテの研究者で現在は中央大学教授) 1.25


・ 読み終えてしまった推理小説のように男に抱かれておりぬ
 (俵万智『かぜのてのひら』、20代半ばの作、3年目になる彼氏のことか、もう結論が分かってしまったから、ハラハラドキドキがないのか、こういう醒めた女の子は彼氏も扱いにくいだろうな) 1.26


・ ぎこちなく撓(しな)ひなびけり満腔の帆を張る父のやうに抱(いだ)けば
 (松平盟子『帆を張る父のやうに』、1977年、22歳の時の作、気合を入れた作者が「帆を張る父のように」全身で彼を抱いたら、彼の体が「ぎこちなく撓ってなびいた」のか、それとも彼が作者を抱いたのか、あるいは全部が作者の体のことなのか、私は一番目だと思うが、いずれにしても、ダイナミックな相聞歌、作者の角川短歌賞受賞の中心歌) 1.27


・ 寒雀身を細うして闘へり
 (前田普羅1930、「普通は羽を膨らませて丸っこく見える寒雀が、寒さの真っ只中で「身を細くして」激しく戦っている」) 1.28


・ ながながと川一筋(ひとすじ)や雪の原
 (野沢凡兆『猿蓑』1691、「どこまでも一面に広がる雪の原に、黒々とした川の流れが一本貫いている」、見事な雪の叙景) 1.29


・ てのひらにてのひらをおくほつほつと小さなほのおともれば眠る
 (東直子「草かんむりの訪問者」1996、「隣にいる小さな子どもがなかなか眠れない、手を置いてやると、小さなほのおが灯るようにして、安心して眠る」) 1.30


宍道湖の陽はやわらかし湖(うみ)よりも低き冬田に白鳥うごく
 (植村恒一郎「朝日歌壇」1993年1月31日、佐佐木幸綱選、家族と一緒に正月を松江のそばの玉造温泉で過ごしたときの光景です) 1.31