今日のうた38(6月)

charis2014-06-30

[今日のうた] 6月1日〜30日ぶん


(写真は、夏目漱石1867〜1916と鏡子夫人の見合い写真、漱石は生涯に約2600の俳句を詠んだが、味わいのある秀句も多い)


・ 麦の穂の高さに朝の風はあり
 (長谷川素逝、麦の穂が黄金色に熟する麦秋の季節、風を受けて、ゆっくりとうねるように模様を描いてゆく麦畑の美しさ) 6.1


・ おそるべき君等(ら)の乳房夏来(きた)る
 (西東山鬼『夜の桃』1948、まだ女性が下着を付けていなかった頃か、夏になり、薄着にわずかに透けている乳房が、なまなましい肉感の「おそるべき」ものに感じられたのか) 6.2


・ 衣更(きぬか)へて京より嫁を貰ひけり
 (夏目漱石、1896年6月9日、漱石は京都出身の中根鏡子と結婚式をあげた、それを子規に知らせた手紙に添えた句、「衣更へて」がいい、結婚がちょうど<ころもがえ>の時期と重なって) 6.3


・ 月見草夕月よりも濃くひらく
 (安住敦、今咲いたばかりの月見草、「夕月よりも濃い」黄色が美しい、月見草=待宵草(マツヨイグサ)は、夜を待って黄色い花が咲くが、翌朝には花は赤みがかって萎んでしまう、一夜だけの命の花) 6.4


・ ほっそりと反らすこともでき友達の唇(くち)さわることもできる指もつ
 (安藤美保『水の粒子』1992、前後の歌から判断すると、作者は教育実習に来ているのだろう、詠われているのは、間近に坐って作者の授業を聞いている女子中学生たちか、彼女たちはほっそりした指を持つ) 6.5


・ こめかみに痙攣走り怒るとはかくも美し人間の顔
 (長谷川愛子『未完の夢』1996、こめかみをピクピクッと痙攣させることによって怒りを表現する人もいる、そのときの顔はとても美しいのだろうか、歯をむき出したり、怒鳴ったりしないから) 6.6


・ 六月を綺麗な風の吹くことよ
 (正岡子規、風の少ない六月に、吹く風が「綺麗」と感じられる、その新鮮な感覚、「よ」の少しとぼけた俳諧味)  6.7


すずらんのリリリリリリと風に在り
 (日野草城、風に揺られる小さなすずらんの花、その小刻みに震えるさまは、まるでリリリリリリと鳴っているような) 6.8


・ 君はいま大粒の雹(ひょう)、君を抱く
 (坪内稔典、雹は5、6月に降りやすい、この句は、恋人を「雹」に見立てたのが素晴らしい、彼女の感情はいま激しく乱降下しているのか、白濁した氷部と透明な氷部が混じり合っている彼女がいとおしい) 6.9


・ あまりりす息もふかげに燃ゆるときふと唇(くちびる)はさしあてしかな
 (北原白秋『桐の花』1913、若き白秋は隣家の人妻松下俊子に恋をした、彼が「ふと唇を差し当てた」のは、俊子のように美しい「あまりりす」なのか、それとも「あまりりす」のように美しい俊子なのか) 6.10


・ 思いきることと思いを切ることの立葵までそばにいさせて
 (永田紅『北部キャンパスの日々』2002、彼氏と別れようか迷いながら、ぐずぐず一緒に歩いているのか、すると、少し先にすっくと立つ立葵の花が、そうだ、あそこまで行ってきっぱりと言おう、作者は京大生) 6.11
 

・ 正面を四方にもちて立葵
 (藤丹青、いまを盛りと咲き誇っている立葵、どこが正面ということはなく、四方に向かって均等に花を開いている) 6.12


・ 白あぢさゐいちばん重き色のまま
 (渡辺恭子、白紫陽花の花が満開、輝くばかりの美しい白色、それをあえて「いちばん重き色」と表現した) 6.13


・ 君の寝息に私の息が合ってひとり眠れないふるさとの雨の夜
 (吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、大学を卒業後、ひさしぶりに帰省して彼と過ごす作者、彼との関係に微妙な影が差しているのか) 6.14


・ わかりやすい女なんだよ 一本の補助線引いて解かれるわたし
 (田中槐(えんじゅ)『ギャザー』1998、やや自虐的なおのろけの歌、恋達者の彼氏は作者1960〜のような女を扱うのが巧い、「貴方が一本の補助線をすっと引くと、たちまち降参してしまう私、ああ、いつも貴方の方が上だわ」、「わかりやすい女」というカテゴライズが上手い) 6.15


・ よこたわればひらたくなっている乳房 なにもうまれてくるきがしない
 (加藤治郎『サニー・サイド・アップ』1987、「シャワーを浴びた新婚の妻がベッドに両手を広げて横たわっている、ほっそりとして美しい妻よ、まだ子供はいらないさ」、一連のユーモラスな愛妻歌の一つ) 6.16


・ いちばん美人のかたつむりにくちづけて、命名ヴィヴィアン・ウェストウッド
 (穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001、どのカタツムリが「いちばん美人」なのだろう? 「ヴィヴィアン・ウェストウッド」はファッションブランドか、作者は誰も知らなかった新感覚の歌を詠む人、『手紙魔まみ』は日本短歌史に特筆されるユニークな歌集) 6.17


・ でで虫の夢の一つに二進法
 (清水哲男『打つや太鼓』2003、でんでん虫(=カタツムリ)の二本の角には何ともいえない独特の味わいがある、だが、はたして「二進法」を夢想しているのか、ぶっ飛んだ発想が面白い) 6.18


・ さくらごは二つつながり居りにけり
 (室生犀星、「樹に、赤いサクランボの実がついたよ、まるで姉妹のように二つつながっている、可愛いな」、小さなもの、可愛いものを愛した犀星らしい句) 6.19


・ 何(あぜ)と言へか/さ寝に逢はなくに/ま日暮れて/宵(よひ)なは来(こ)なに/明けぬ時(しだ)来(く)る
 (東歌『万葉集』巻14、「何てバカなの、貴方って人は、何で夜の早めの時間に来ないで、こんな明け方近くに来るのよ、楽しみに待っていたのに、あぁ、もう明るい、一緒に寝れないじゃん」、男は二軒掛け持ちなのか、明日は夏至) 6.20


・ 白衣著て禰宜(ねぎ)にもなるや夏至の杣(そま)
 (飯田蛇笏、「いかにも山奥の神社らしいな、いつもは木こりをやっている彼が、夏至の今日は白衣を着て神主を務めるのか」) 6.21


・ 口なしの花さくかたや日にうとき
 (蕪村『新花つみ』1797、「ああ、やっぱり、クチナシの白い花が咲いている、日陰を好む植物だから、目立たないかもしれないけれど、その香で僕は分かったよ」、「日にうとき」が鋭い把握) 6.22


・ トーストの焼きあがりよく我が部屋の空気ようよう夏になりゆく
 (俵万智『サラダ記念日』1987、朝食のために一枚のトーストを焼く時間は、毎日だいたい同じかもしれない、だが、同じ時間でも微妙によく焼き上がるようになって、夏の到来を感じる) 6.23


・ 頼めねば人やは憂きと思ひなせど今宵もつひにまた明けにけり
 (永福門院『玉葉集』恋二、「貴方は本当に私を愛しているのかしら、それが分からないのよ、だからつい貴方のことを誠意がないのねと思ったり、いいえ、そんなはずないわと思ったり、鬱々としているうちに、また今夜も明けてしまったわ」) 6.24


・ これを見よ上はつれなき夏草も下はかくこそ思ひ乱るれ
 (清少納言清少納言集』、「遠い奥州へ行ってしまった藤原実方さん、ねえ、ここにある萩の青い葉を見てよ、上の方はしゃんとしているけど、下の方は色変わりして乱れてる、周囲にはさりげなく装っている私だけど、本当は貴方を思って乱れているのよ」、作者には珍しい愛の素直な吐露の歌) 6.25


・ なかなかに憂かりしままにやみもせば忘るるほどになりもしなまし
 (和泉式部『後拾遺集』恋三、「貴方ってめったに来ないのに、来たと思ったら、また来なくなっちゃったわね、互いに辛い仲だからと、もしそのまま私たちの関係が終っていれば、今頃は貴方のことなんか忘れていたのに、あぁ、でもそうはならないのよ、貴方が忘れられないわ」)  6.26


・ 睡蓮の隙間の水は雨の文(あや)
 (富安風生、「池にスイレンの花が咲いている、大きな緑の葉に囲まれて、わずかに残された水面に、雨だれが作る模様が美しい」) 6.27


・ 花を拾へばはなびらとなり沙羅双樹(しゃらそうじゅ)
 (加藤楸邨、「夏椿の白い花が落ちているので拾ったら、たちまちバラバラのはなびらになってしまった」、沙羅双樹ブッダがその根元で入寂したといわれる聖樹だが、日本では夏椿のこと) 6.28


・ ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
 (桂信子『女身』1955、「ふところ=衣服の胸のあたり」に乳房がある「憂さ」は、女性特有のデリケートな身体感覚なのか、それが梅雨どきに特に感じられるのだろうか) 6.29


馬鈴薯のうす紫の花に降る/雨を思へり/都の雨に
 (石川啄木『一握の砂』1910、降っているのは殺伐な東京の雨、でも啄木には、ふるさとの「馬鈴薯のうす紫の花に降る」雨のように感じられる、下の句の分割といい、律動の美しい歌) 6.30