今日のうた(86)

charis2018-06-30

[今日のうた] 6月1日〜30日


(写真[の左]は石川不二子1933〜、歌誌「心の花」選者、東京農工大学農学部在学中の1954年[当時農工大に女子学生はほとんどいなかった]、『農業実習』にて第1回短歌研究賞に二席入選)


・ 道のべの低きにほひや茨(いばら)の花
 (黒柳召波、ここで言う「茨」は野茨(ノイバラ)のこと、野生種のバラも含み、群がって白い花が咲く、作者1727〜72は蕪村の弟子で、蕪村にも野茨はたくさん詠まれている) 6.1


・ 野いばらの匂ひてあまき風の中わがかわきたる声ひびきゆく
 (石川不二子、「野いばら」は俳句だけでなく短歌でも詠まれている、作者1933〜は東京農工大学農学部を卒業、開拓農場に生きた人、畑へ向かう途中だろうか、「わがかわきたる声ひびきゆく」がとてもいい) 6.2


・ 青梅に眉あつめたる美人哉(かな)
 (蕪村1768、面白い句だ、美人が青梅を一口かじって、いかにもという感じで眉をひそめたのだろう、中国の故事「ひそみにならう」[=美女が眉をひそめたので、醜女がそれを真似た]も踏まえている、そろそろ青梅の季節) 6.3


・ 燕(つばくろ)のゆるく飛び居る何の意ぞ
 (高浜虚子1932、ふつう、ツバメが飛ぶスピードは速い、「ゆるく飛び居る」ことはめったにない、「何の意ぞ」とつい思ってしまう、微妙な俳諧の味) 6.4


・ 紫陽花や白よりいでし浅みどり
 (渡辺水巴、アジサイの花は初めから紺色なわけではない、まず「白く、そこから浅みどりになって」、それから紺になる、作者1882〜1946は虚子門下、大正初期の「ホトトギス」を支えた一人) 6.5


・ あぢさゐの毬がはずみて蝶はずみ
 (上野章子、雨が上がり、紫陽花の花が風に揺れて、付いていた水滴が落下する、こころもち垂れていた花が「まりがはずむように」持ちあがって、止まろうとしていた蝶も舞い上がった) 6.6


・ たちあふひ外海たかき朝となりぬ
 (田中裕明、立葵の花は丈が高い、その立葵よりもさらに高く、向こうに水平線が見えている、早朝の光景だろう、「外海」を背景にした立葵の美しさ、作者の視点はやや高い位置にあることが分かる) 6.7


・ 午前二時ごろにてもありつらむ何か清々(すがすが)しき夢を見てゐし
 (斎藤茂吉1925、その年、ヨーロッパ留学から帰国した茂吉は、院長をしていた青山脳病院が全焼、「かういふ苦しい濁ったやうな生活をしてゐるが、ゆうべ午前二時ごろに見た夢は、はればれたとした夢だった」と自註) 6.8


・ うつしみは漂ふごとく眠らんかよもすがらなるさみだれの音
 (佐藤佐太郎1950、梅雨の時期、夜中じゅう雨音が聞こえている気がする、眠りが浅いのだ、眠っているはずなのに「自分の体が漂っている」ように感じてしまう) 6.9


・ 凪ぎわたる湖(うみ)のもなかをゆくときに船とどまるとおもふときあり
 (上田三四二『湧井』1975、「竹生島(ちくぶじま)」と題する歌群の一つ、琵琶湖に浮かぶ小さな島、鬱蒼とした針葉樹に覆われている、船はまだ島には着かないのか、湖の真ん中あたりで船が止まっているように感じる) 6.10


・ 鈴蘭の花山塊を川離れ
 (飯田龍太、高原に咲くスズランの白い花は、小さな鈴のような形をしていて、とても可憐、そのスズランの向こうに、「山塊を川が離れる」雄大な景が広がる、作者は高所にいるのだろう) 6.11


・ オリーブが咲き口遊(くちずさ)む歌少し
 (濱田のぶ子、オリーブは、モクセイに似た黄白色の小さな花を付ける、厚みのある深緑の葉と調和して、地味だけれど美しい、ヨーロッパではオリーブは平和と希望のシンボルである、この句も「口ずさむ歌すこし」がいい) 6.12


・ 美しやさくらんぼうも夜の雨も
 (波多野爽波、サクランボの実が熟すのは梅雨の頃、雨が降っている夜、サクランボの実はかすかにしか見えない、でもそのつやつやした色と姿が、闇の中に浮かんでいるかのようだ) 6.13


・ やわらかく監禁されて降る雨に窓辺にもたれた一人、教室
 (立花開(はるき)、2011年度角川短歌賞受賞作品の一つ、作者1993〜は高校生、彼女の歌は「必死でひりひりする痛さを感じる」と選考委員に評価された) 6.14


・ 浴槽は海に繋がっていません だけどいちばん夜明けに近い
 (馬場めぐみ、風呂場に窓があるのだろうか、その窓がかすかにほの白んでいる、浴槽は窓を介して「空に」繋がっているのだ、作者1987〜は、2011年に「見つけだしたい」で短歌研究新人賞) 6.15


・ はつ夏に袖を断たれて青年の腕は真つ赤に照らされてゐる
 (小佐野彈、作者1983〜は、2017年に「無垢な日本で」が短歌研究新人賞を受賞、慶応大学大学院で学びながら台湾で起業、長袖から短い袖に替わった「はつ夏」、太陽光か夜のネオンか、照らされている腕が「真っ赤」だ、ユニークな「衣替え」の句) 6.16


・ 愛されずして油虫ひかり翔(た)つ
 (橋本多佳子『紅絲』1951、「油虫(ゴキブリ)は、鈴虫やかぶと虫などと違って、人に愛されない、眼の前にいた油虫は、敵意を感じたのか、キラリと光って、飛び翔った」、「愛されず」と「光り、翔つ」の取り合わせが卓抜) 6.17


・ 美しき距離白鷺が蝶に見ゆ
 (山口誓子『青銅』1967、遠くで白鷺が飛び立ったのが蝶のように見えた、句跨りだが、冒頭の「美しき距離」がいい、形容詞「美しい」が「距離」を形容する) 6.18


・ 父の仕事の音くるあたり昼寝の子
 (中村草田男『美田』1967、父が仕事をしている場所から少し離れたところで幼子が昼寝をしている、「父の仕事の音くるあたり」がいい、父はどんな仕事をしているのか、それによって「音が届く場所」は違う、「父」は作者自身1901〜83ではなさそう) 6.19


・ ゆくりなく途切れし眠り明易し
 (深谷雄大「俳句界」1998、「思いがけなく目が覚めてしまったよ、もっと寝たかったのに、そういえば明け方がもうこんなに明るいとは」、明日は夏至) 6.20


・ 庵の夜もみじかく成りぬすこしづつ
 (服部嵐雪1654〜1707、「すこしづつ」がいい、だんだん夜が短くなり、明けるのが早くなるのが気になって、あたかも毎晩体験しているような気がするのだろう、そして、今日は夏至) 6.21


・ 瞬間に超特急の全長がいたく寂しく捉へられたり
 (島田修二『青夏』1969、著者は、高速で走る新幹線の車両全体を初めて見たのだろう、「全長がいたく寂しく」感じられた、人のぬくもりが感じられる従来の「汽車」とはたしかに違う) 6.22


・ 國歌など決(け)して歌ふな『國の死』を見しこともなきこの青二
 (塚本邦雄『詩魂玲瓏』1998、作者1020〜2005は敗戦を経験した、安倍首相も稲田前防衛相も、戦争を知らない世代は、戦争を怖がらず、戦争を気軽に選択するだろう、今日6月23日は60年安保の日) 6.23


・ こんなにもだれか咬みたい衝動を抑えて紫陽花の似合うわたしだ
 (陣埼草子『春戦争』2013、紫陽花の大きな丸い花に囲まれている作者1977〜、そこには自分とのおだやかな調和があるように感じられる、だから「誰かを咬みたい衝動」を抑えられる、前半と後半の対照がいい) 6.24


・ 人間(じんかん)に溺るる日日に水は立つただパスカルの定理にそひて
 (小池光『廃駅』1982、著者は高校の物理の教師、パスカルの原理の実験をしているのだろう、底部が繋がる太さの違う2本のガラス管の中で、水が、定理通りに美しく均衡、人間界のごたごたと違って自然法則は美しい) 6.25


・ わたしかなしかったらしい冷蔵庫の棚に眼鏡を冷やしおくとは
 (佐藤弓生「眼鏡屋は夕ぐれのため」2001、作者1964〜は同年、角川短歌賞を受賞、メガネを冷蔵庫の中にうっかり忘れたのか、それともわざと置いたのか、不思議な歌、「わたしかなしかったらしい」がとてもいい) 6.26

・ 鳥の目はまどかなれどもものいはずくいくいくいと見て見ぬふりをする
 (今野寿美『鳥彦』1995、鳥と目が合ったのだろう、鳥は丸い目で「くいくいくいと」作者を見詰めて、そして「見て見ぬふりをする」、そんなことがあるのか、いったい何の鳥なのだろう) 6.27


・ せきかねて涙のかかる唐衣のちの形見に脱ぎぞかへぬる
 (平重衡、「悲しみを抑えられずに涙で濡れてしまった唐衣ですが、貴女への形見としてここで脱ぎましょう」、平重衡(1157〜85)が処刑の前に妻に宛てた歌、源氏に敗れた平氏の貴公子の一人、女性にモテモテのアイドルだった) 6.28


・ いづくとも知らぬ逢せの藻塩草書きおく後をかたみとも見よ
 (平維盛、「貴女といつか再び会えるかどうか、分らなくなってしまいました、この手紙を、海を海藻のように漂っている私の形見と思って下さい」、維盛(1159〜84)が屋島から妻に送ったもの、維盛は美貌の貴公子で、舞いの名手、光源氏に喩えられたが戦は弱かった) 6.29


・ なにかその君が下紐結ぶらん心しとけばそれも解けなん
 (源頼政、「どうして貴女は下着の紐を結ぼうとするのですか、貴女が私に心を開いてくれさえすれば、それは自然に解けるものですよ」、頼政1108〜80は源氏の武将であるが、こんな色っぽい歌も詠んだ) 6.30