今日のうた39(7月)

charis2014-07-31

[今日のうた] 7月1日〜31日

(写真は阿波野青畝1899〜1992、ユーモアがあり、飄々として自由な境地の句を作った人)


・ 谷風や花百合そ向きま向きして
 (阿波野青畝、「谷に咲いている一群のユリの花が、風を受けて、あちらを向いたりこちらを向いたりしている」、「そ向きま向きして」という美しい表現が、楚々とした百合の花の感じをうまく捉えた) 7.1


・ 姫女苑(ひめぢよをん)雪崩(なだ)れて山の風青し
 (阿部みどり女、ヒメジョオンは都会の道端から山野まで、どこにでも咲いている野草、繁殖力が強く世界中にあるという、ありがたがられることの少ない花だが、しかし、山麓の風に「雪崩れる」姿は美しい) 7.2


・ 伊勢エビに名前を問えばナツガタノキアツハイチと応え給えり
 (穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001、伊勢エビの甲羅の太い縞々が、ぐんと張り出した高気圧の等圧線のように見えるのか、ユニークな発想が作者の持ち味、「答え給えり」もいい) 7.3


・ 来年はコスプレだねって話したら白セーラーは遺影の沈黙
(はつにか・女・18歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選、高校3年生の作者、大好きな夏用の白セーラーに、「卒業したら、コスプレになっちゃうね」と語りかけると、白セーラーは「遺影」のように「沈黙」して悲しんでいる、いい歌だね) 7.4


・ グラヂオラス妻は愛憎鮮烈に
 (日野草城、すっくと凛々しいグラジオラスの花、それが「妻」に見えて「愛憎」が重なるという面白い見立て) 7.5


・ かけぬける白き炎(ほむら)や娘(こ)の素足
 (小沢信男、下町の路地だろうか、いっせいに駆け抜けていく小さな女の子たちのむき出しのかわいい足、「白い炎」のようだ、「素足」は夏の季語) 7.6


・ 浴衣着て少女の乳房高からず
 (高濱虚子、少女の可愛らしさがよくでている、何歳くらいの少女なのだろう、5歳? 10歳? 15歳? 分からないところがいい、「少女」という語には不思議な広がりがある、読み手自身に想像力で描かせるのが俳句の力) 7.7


・ かの家の玄関先をはいている少女でいられるときの短さ
 (東直子『春原さんのリコーダー』1996、「家の玄関先を掃く」ことと少女に繋がりがあるのか、少女が掃けば絵になる光景なのか、昨日の虚子の句ではないが、「少女」という語が連想させる年齢幅は広い) 7.8


・ みなづきの嵐の中に顫(ふる)ひつつ散るぬば玉の鄢き花みゆ
 (斉藤茂吉『赤光』、1913年作、精神科医として精神病院に勤務する作者、院内の紅いダリアが「ふかくくろぐろと」咲いて[=連作のすぐ後の歌]、嵐にふるえながら散っている、黒いダリアが心病む患者の姿に重なるのか) 7.9


・ 君を見て一期(いちご)の別れする時もダリヤは紅(あか)しダリヤは紅し
 (北原白秋『桐の花』1913、隣家の人妻に恋する若き白秋、かなり危険な逢瀬なのだろう、これが最後かと思うとき、赤いダリヤがひときわ赤い) 7.10


・ 夕焼や新宿の街棒立ちに
 (奥坂まや1987、「新宿西口の高層ビル群の向こうは美しい夕焼け、いつも見慣れた高層ビルだけど、今日は何だか、美しい夕焼けを前に「棒立ちに」なっている人間みたいだわ」、ビルも「棒立ち」になるほど美しい夕焼け、そもそもビルは棒立ちだからこそ可能なメタファー) 7.11


・ 岩桔梗(いはぎきやう)紫消えてなほ夕焼
 (福田蓼汀、イワギキョウは高山植物で、紫色の小さな花が咲く、「その美しい紫色は、稜線の日が暮れてほとんど見分けられないが、遠い地平線には、まだ鮮やかに夕焼けが残っている」) 7.12


・ あはれとも言はざらめやと思ひつつ我のみ知りし世を恋ふるかな
 (式子内親王『家集』、「もし私が貴方に告白したら、貴方は私のことを好きって言わないかしら、もちろん言うわよね・・・と、空想を楽しみながら、私はとうとう貴方に告白しないまま長い時間が過ぎてしまった、でもそれはとても素敵な時間だったわ」) 7.13


・ 悔しくも老いにけるかもわが背子(せこ)が求める乳母(おも)に行かましものを
 (よみ人しらず『万葉集』巻12、「残念ながら私、もうお婆さんになっちゃったわ、もし若かったらね、乳母として、貴方みたいなねんねの坊やにお乳をあげられたのにね」、年下男からの求婚を茶化しながら断る) 7.14


・ 立ち返り文(ふみ)ゆかざらば浜千鳥跡見つとだに君言はましや
 (平定文『伊勢集』、「伊勢さん、返事をくれない貴女に、手紙を「見た」とだけでも返事がほしいと伝えたら、「見た」とだけ返事をくれたね、僕が強引に頼まなければ、君は浜千鳥の足跡なんか見向きもしないように、僕の筆の跡なんか「見た」とさえ言わないのかい」、しつこく言い寄る男に「見た」とだけ「既読スルー」の返事を出した伊勢に、男が驚いてさらに送った歌、伊勢の返歌は明日) 7.15


・ 年経ぬること思はずば浜千鳥ふみとめてだに見べきものかは
 (伊勢『伊勢集』、「あら、冗談をおっしゃらないで、貴方が長い間にわたって私にしつこく手紙を送りつけてくださったから、まぁ、ごくろうさまねって、ちらっと見たのよ、そうじゃなきゃ、こんな鳥の足跡みたいなくだらない手紙、見るわけないでしょ」、昨日の歌への返歌、「見つ」とだけ「既読スル―」の返事を出した伊勢は当時話題になった、驚いた相手に追い打ちをかける) 7.16


日光キスゲとその名覚えてまた霧へ
 (加藤楸邨ニッコウキスゲは黄色い大きな花が咲く、霧の中に浮かび上がった花に感動した作者は、その名を尋ね、しっかり覚える、そして再び霧の中へ、尾瀬だろうか日光だろうか) 7.17


・ うすゆき草恋のはじめの息づかひ
 (加藤知世子、エーデルワイスは日本では「薄雪草」と呼ばれる、花は薄緑がかった白なので、地味で目立たないけれど、「恋のはじめの息づかひ」のような秘めた美しさがある、作者は加藤楸邨の妻) 7.18


・ 人にあらずけものにあらずみづぎはの蛙と蜘蛛に愛されて遊ぶ
 (永井陽子『なよたけ拾遺』1978、作者1951〜2000には舞い上がった相聞歌はなく、どこか寂しげで繊細な愛の感情を詠んだ人、蛙や蜘蛛を「愛する」のではない、それらに「愛されて」遊ぶ作者) 7.19


・ 2瓦(グラム)の分銅のせし秤(はかり)ありこの物体は考えている
 (岡部桂一郎2002、今はほとんど使われることのない天秤ばかり、わずか2グラムの分銅を載せて重さを量っている、ほんの僅かだけゆっくりと上下する天秤、分銅はたしかに何かを「考えている」、作者87歳の歌) 7.20


・ わが妻はつねにおのれの年齢をわたくしに訊き口笛を吹く
 (山田富士郎『アビー・ロードを夢みて』1990、新婚の妻は作者よりだいぶ年下なのだろう、自分の年齢をわざわざ尋ねて夫の口から言わせる可愛い妻、「あら、私って若いのね、ふっふっふ」) 7.21


・ 白木槿(むくげ)言葉短く別れけり
 (石井露月、木槿が咲きだした、薄い紫色や白色の花が、濃い緑の葉に映えて美しい、作者は彼女と短い言葉を交わして別れたのか、白い木槿の花が彼女の美しさと重なり、そして何か心残りもあるのか) 7.22


・ 一文字をわが傍(かたはら)に引く蜥蜴(とかげ)
 (山口誓子1944『激浪』、まるで「一文字を引く」ように、黒いトカゲが自分の足元をぴくっと動いた、「一文字を引く」という語句に、トカゲのすばやい動きと静止が表現されている) 7.23


・ 飛込の途中たましひ遅れけり
 (中原道夫1996、水泳の飛込競技だろうか、「選手はさっと飛び込んだが、「たましひ」が体についていけず、後に取り残されてしまった」、飛込の一瞬をユーモラスに詠んだ) 7.24


・ 夕顔や女子(おなご)の肌の見ゆるとき
 (加賀千代女、江戸時代の夏も暑かった、夕方になって美しい夕顔の花が咲く頃、やや暗くなったのを機に、女性も半肩を脱いでしまうのか、夕顔の白い花と「おなご」の白い肌が重なって、不思議なエロスを感じさせる句) 7.25


・ いさやまだ変(かは)りも知らず今こそは人の心を見ても習はめ
 (和泉式部『正集』、「さあどうかしら、分からないわよ、私だって心変わりするかもしれないでしょ、「僕を忘れないで」って言うけど、貴方は別の女性とも付き合ってるわよね、これからは貴方を真似ようかなって思ってんのよ、私」、詞書も訳す) 7.26


・ おぼつかなそれかあらぬか明けぐれの空(そら)おぼれする朝顔の花
 (紫式部『家集』、「昨晩、私と姉が寝ている寝室に忍び込んだ貴方は、いやらしいこと言いかけて、女が二人いるのに驚いてすぐ退散したわよね、朝になってどの顔か確かめようとしたけど、そらとぼけていて分からないじゃないの、はっきりさせてよね」、詞書も訳す、若き日の作者の実話、なかなか気の強い娘だったようだ、朝になって顔を確かめるのを「朝顔」と表現した技巧も卓越) 7.27


・ 声はせで身をのみこがす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ
 (玉鬘『源氏物語』蛍、「兵部卿さん、この蛍たちをごらんなさい、声にあらわすこともなく、ただ光で身を焦がす思いをしています、饒舌な貴方よりもよっぽど思いが深いわ」、源氏が設定した出会いの場だが、夕顔の娘の玉鬘は兵部卿の求愛を断る、蛍の発する光は人間の都合でさまざまに解釈される面白さ)  7.28


・ 学問は尻からぬけるほたる哉
 (蕪村、「ああ、学問ってもう、こむずかしいな、聞くそばから内容を忘れちゃうよ、外に舞っているホタルのお尻からボーッと光が漏れているのに似ているな」、「尻から抜ける=聞くそばから忘れる」をホタルに重ねた面白い句、昨日の歌もそうだが、蛍の光は人間の都合でさまざまに解釈可能) 7.29


・ 湖や暑さを惜しむ雲の峰
 (芭蕉『笈日記』1694、「湖の上空には、猛暑を楽しむかのように、立派な入道雲がまだそびえ立っているけれど、湖水にはもう涼しい夕方の風が吹いるよ」、夏の夕方の湖水と上空の雲を大きな構図で捉えた) 7.30


・ ぽんと腹をたたけばムニュと蹴りかえす なーに思ってんだか、夏
 (俵万智『プーさんの鼻』2005、作者のお腹の中の赤ちゃんは、もう蹴り返すようになった、「なーに思ってんだか」がいい) 7.31