OUDS『十二夜』

charis2014-08-03

[演劇] シェイクスピア十二夜』、東京芸術劇場・小ホール


(写真右は、オリヴィアを演じたフローラ・ザッコン、フランス語と哲学を専攻。写真下はヴァイオラ役のレベッカ・バナトヴァーラ、フランス語とアラビア語を専攻、ともにオックスフォード大学生)

オックスフォード大学の学生劇団OUDSの今年の日本公演は『十二夜』だった。一昨年の『から騒ぎ』もそうだったが、俳優が学生なのでとても若々しいのがいい。演出は『から騒ぎ』と同じマックス・ギルで、一昨年に学部3年生だった人。この『十二夜』は、全体を実質70分に収め、少しミュージカル風に音楽を多用した。女性ヴォーカルにハープが加わる生演奏は、小さな舞台にはよくマッチする。開幕の最初が、『フィガロの結婚』第三幕の「そよ風のデュエット」、そして『魔笛』のパパパ、ヴェルディアイーダ行進曲、『椿姫』の乾杯の歌など、ポピュラーで明るいメロディーを使いながら、酒盛りでトービーたち4人が踊る場面はロック調、そして、道化フェステが一人で歌う元からある歌場面は、しわがれ声でとても暗く歌うという対照が面白い。


役のキャラづくりでは、ヴァイオラがとても少年っぽいこと(写真上↑)、女中マライアを今風にイケてる蓮っ葉な女の子にしたこと、オリヴィアが長いスカートを引きづっているのがちっとも似合わないことなど、楽しい作りになっている。オリヴィアも恰好だけは伯爵令嬢だが、中味は蓮っ葉な女の子なのだ。オーシーノ公爵に仕える二人の侍従を、男性ではなく女性に変えて、ヴォーカルを歌わせるというのもいい。ただし、道化フェステだけは非常に疑問だ。鎖に繋がれて自由を奪われ、奴隷のような立場になるシーンもあったが、これは何なのだろう? よく理解できなかったが、本来、道化フェステはもっとも自由な人間で、特権的な位置にあるはずではないか。フェステがアントニオと一人二役であるのも、何か意味があってそうしたのだろうか。最後の大団円でも、アントニオだけが縛られてうつむいており、服を脱ぐと道化フェステになるというのも驚き。


十二夜』は、トレヴァー・ナンの映画が、たんなる笑劇ではない、悲しみとさえ言えるようなしみじみとした詩情をもった作品に作られていたが、演劇の舞台でそうした詩情をかもし出すのは至難のわざだと思う。松たか子ヴァイオラを演じた串田和美演出の舞台(2011)が、ややそれに近かっただろうか。本上演は、若者劇の瑞々しさが前景に出て、2013年のDステ版『十二夜』とも共通する楽しさがある。音楽はこちらの方が詩情があってよかった。道化フェステの扱いにその意味と何らかの必然性が感じられるようになれば、もっとよかったと思う。