ヴェルディ『椿姫』

charis2015-05-16

[オペラ] ヴェルディ『椿姫』 新国立劇場 2015.5.16


(写真右はポスター、一緒に写っているのは勤務先の大学の卒業生です、写真下は舞台写真、床や壁が巨大な鏡になっており、印象的な照明の使い方と相まって、抽象的な空間が斬新に感じられる、ヴィオレッタを歌ったベルナルダ・ボブロが素晴らしかった、一番下はヴィオレッタが死ぬ瞬間)



6、7年前に卒業した大学の教え子二人と一緒に『椿姫』を観賞。一人はある劇団の幹部スタッフとして、もう一人は外資系製薬会社で、充実した仕事をしている。オペラ終演後、ベルギー・ビールを飲みながら彼女たちの近況を聞いたが、本当に嬉しい一日だった。今回の『椿姫』は、フランスの若手演出家ヴァンサン・ブサールによる新制作。スタイリッシュで、研ぎ澄まされた感覚美の溢れる素晴らしい舞台だった。ブサールは演出だけでなく衣装も担当しているが、女性の服装が特定の時代を表さないように工夫したという↓。

ヴェルディの原作は、まさに初演時の「現代」を表現しようとしたもので、それまでオペラの主人公にならなかった娼婦をヒロインにしたことなど、時代批判・社会批判も含意されている。だからこそ初演は検閲に引っかかり、時代を変更させられもした。プログラムノートによれば、ブサールは、舞台を現代でもなく、また19世紀半ばでもなく、「第三の世界」に設定して、この作品の現代性・普遍性を訴えようとした。全体として舞台は抽象的で現代演劇のコンセプトなのだが、19世紀のピアノ実物を中心に置いて重要な働きをさせたり、男性の衣装は19世紀半ばのパリに合わせたり、時間を拡散させる工夫が見られる。第三幕、ヴィオレッタの死は、通常はベッドのはずだが、ベッドの代りにピアノになっている↓。このピアノは、第一幕の「乾杯の歌」や第二幕のフローラ邸でのパーティでも中心的な役割を果たし、ピアノ上で男女の性的な行為が示唆されるなど、ヴィオレッタのベッドである以上に、彼女そのものを象徴しているのかもしれない。


『椿姫』は通俗的なメロドラマと言われることも多いが、今回あらためて、この作品の深さを感じた。最高の山場は、第二幕、アルフレッドの父ジェルモンが現れ、「息子と別れてくれ」とヴィオレッタに頼む、二人の二重唱だ。ここでは、『リゴレット』と同様、「父と娘」の愛と緊張が歌われている。「お父様、どうか私を実の娘だと思って、抱きしめてください」「神に祝福されない愛は・・・」、この二重唱の比類のない美しさ! 恋人同士の愛よりも、父と娘の愛がこれほど感動的なのはなぜなのだろうか。ワーグナーワルキューレ』もそうだが、愛は、人間の誕生を動機づけ、司るものであるから、男女の横の関係だけでなく、父(母)― 娘(息子)―孫という縦の関係もまた、その深部に含意されているのかもしれない。


『椿姫』は、重厚な室内や調度品を揃えた伝統的演出だけでなく、デッカーのような超現代的演出の名演もあるが、今回のブサール演出も、上演史に残る名舞台だと思う。ヴィオレッタを歌ったスロベニア人のベルナルダ・ボブロは、陰影のある歌い方で、ヒロインの苦悩をよく表現できていた。澄んだ弦楽の音を響かせるオケもよかった。指揮は、イヴ・アベル


以下に「乾杯の歌」など5分間近いYou Tubeの動画があります。
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150510_003710.html