井上ひさし『父と暮せば』

charis2018-06-13

[演劇] 井上ひさし父と暮せば』     俳優座劇場  6月13日


(写真右は、娘の美津江[伊勢佳世]と父の竹造[山崎一]、下は、雷を怖がって押し入れにこもる二人、市内で原爆の直撃を受けた二人は雷の「ピカッ」にも体が怯える)

24年間、繰り返し再演されてきた有名な作品だが私は初見。科白の中には、一生忘れられないような言葉もあり、科白や動作の一つ一つが、一見軽く見えて実はずしりと重い。非常な名作だと思う。演劇はこのようなことを表現できるのかと、あらためて感嘆させられた。登場人物は二人だけだが、二人の語る言葉には多くの人間の声が混じっており、多声的というか、舞台の上には現実の俳優だけでなくたくさんの人間がいるのだ。23歳の美津江は図書館に勤めており、子供たちに昔話を語る練習をしているのだが、「伝承内容を勝手に変えない」ことにこだわる彼女は、「経験を語り伝えること」と格闘している(写真↓)。

場面は昭和23年、広島。原爆の直撃を受けて、父は死に、娘の美津江は生き残ったが、親しい友人はほとんど死んでしまった。彼女に恋が始まるのだが、彼女は「自分は幸せになってはいけない」のだと、恋を抑制しようとして激しい葛藤のうちにある。すると、父の幻影が現れ、娘の恋と結婚を励ます。「父と暮せば」とあるが、父は実は幻影で、娘は一人なのだ。美津江が恋と結婚をためらうのは、自分の原爆症もあるが、本当の理由は、「自分が生き残れたのは他の人が身代わりに死んだから」。女専時代から一緒に活動している親友の手紙を、道端でうっかり落してしまい、拾おうとかがみ込んだ瞬間に原爆が爆発、ちょうどそこにあった石燈籠の陰になって彼女は助かった。その親友は即死して、翌日、美津江は彼女の無残な死体に会う。ほとんどの友人知人は死に、美津江は「自分だけ生き残ってしまった、申し訳ない」という気持ちに抑圧されて、せっかく始まった恋ができないのだ。幻影の父が、とてもコミカルに笑わせながら、自分は道化になりきって彼女の恋を励ます。それがとても可笑しいのだが、そうであればあるほど、どこか悲しい。被爆して生き残った人はほとんどが、「自分が生きているのは他者が代わりに死んだからだ」という苦しさを背負っており、「代わりに死んだ」を広義に解すれば、これは被爆者だけでなく、我々の倫理の根本に関わる普遍的な主題ではなかろうか。写真下↓はもっとも悲しい場面。燃え上がる家屋の下敷きになった父は、「早く、お前だけ逃げろ」と言うが娘はなかなか逃げられず、ジャンケンで決めようとしている場面。そして結局、娘は逃げるしかなかった。

父親役の山崎一は素晴らしい名演だと思う。コミカルだけど悲しい、チェホフ的なキャラクター。娘役の伊勢佳世も、まじめ過ぎるところがよく表現されているが、恋もしたいという部分も、完全に抑圧してしまわずに、どこかで表現してもよかったのではないか。終幕、娘の図書館の仕事を励ます父親の科白、「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」という言葉は、本当に素晴らしい。演劇の使命もまさにそれではないか。よく聞き取れないところもある広島方言で科白がしゃべられるのも、いい。生きた人間は、実際はそれぞれの「方言」でしゃべるはずだ。演出の鵜山仁はプログラムノートでこう言っている。「作者にしろ、役者にしろ、現場スタッフにしろ、ここに参加したひとりひとりのメンバーの名前はそう遠くない未来に忘れられてしまうでしょうが、舞台に寄りつどった「声」は、きっと人の記憶、人類の記憶として残っていくでしょう」。人々の多声的な「声」を伝えること、演劇も文学も、そのためのものなのだ。