チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』

charis2017-06-22

[演劇] チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』  シアタートラム 6月22日


(写真右は、左から順に、新しい彼女ありさ[安藤真理]、夫かずき[吉田庸]、その妻ほのかの幽霊[青柳いづみ]、ゆっくりと点滅する小さな電燈の光が夢のように美しい、夫は、ずっと観客に背を向けた姿勢で座っていたが、やっと立ちあがって前を向く、写真下は舞台、新しい彼女と夫との間に、静かな愛の感情が立ちあがる、まだ恋未満だけれど)

チェルフィッチュを観るのは、2006年に第1回表象文化論学会で身体パフォーマンスを見ただけなので、舞台はこれが初めて。美しい能を観ているようだった。席は最前列だったが、三人の俳優は、立つことと座ること、ゆっくり歩くこと、もじもじと体を奇妙に撫でること、これ以外には動きがまったく感じられない。かすかに聞こえる響きのような音、豆電球のゆっくりした点滅、小さなフラスコの水の中を動く空気の泡。何と美しいのだろう。筋も能に似ている。東北大震災の4日後に死んだ若い妻の幽霊が、夫に語りかける。その語りは一方的で、夫は答えない。聞こえていないのか、聞こえないふりをしているのか。そこへ、「新しい彼女」がバスの渋滞のためかなり遅れてやって来る。「恋人になってください」と頼まれてやってきた奇妙な訪問。部屋に入って座った彼女は、ポツリ、ポツリと夫とわずかな会話をかわす。幽霊の妻が部屋を去って、終幕。だが、そこには、とても深い感情が静かに流れている。妻は、震災後の4日間、「これを機に、新しい生き方をしよう」と感じ、「自分が生まれ変わること」に大きな喜びを見だした。幽霊の妻は、それを夫に向かって熱く語りかける。しかし妻は、わずか4日で死んでしまった。あとの二人は、震災前も後も、ただ受動的に、静かに生きてきた。その二人に、まだ恋とは言えない、新しい恋が始まりそうになる。つまりこれは、人が生き替り、死に替り、生まれ替わる、鎮魂と愛の物語なのだ。(写真下↓、この三人の男女は、存在そのものが美しい)

少しなまめかしく、ぬるぬるとした感じで語りかける幽霊の妻とは対照的に、新しい彼女と夫との会話は、とてもぎこちなく、現実の人間にはありそうもない夢のようなところがある。「恋人になってください」「ええ、いいです。できるだけゆっくりと恋人になりたいと思います」「恋人になって、何をするのですか?」「一緒にいて、たくさん話をしましょう」「私にやさしくしてください」「私、無口なので、面白い話はあまりできないかもしれません」「僕は妻がいなくなって、寂しいのです、弱い人間なのです」「私もです、私も弱い人間です」。「弱さ」を共有する二人に、静かに始まる恋。控え目で、うつむきがちで、ぎこちなく動くロボットのような新しい彼女。「ゆっくりと恋人になっていきたい」という彼女の言葉が素晴らしい。