チェルフィッチュ『三月の5日間 レクリエーション版』

charis2017-12-07

[演劇] チェルフィッチュ『三月の5日間 レクリエーション版』 横浜・KAAT

(写真は、いずれも舞台より)
 チェルフィッチュ『三月の5日間 レクリエーション』をKAATで観た。2004年に初演したものを、少し修正したバージョン。手足を小刻みにゆさぶる身体表現に独特の脱力感があって、舞台空間の光の中に身体が浮かび上がる感じが、とても美しい。

物語は、イラク戦争が始まった5日間を、偶然に知り合った金のない若い男女が、渋谷のラブホでずっと過ごす話。4泊5日ラブホ泊りというのも、ありそうでなさそうだが、この設定は斬新で面白いと思う。外国人が、安く泊まれるとしてラブホを利用するというのは、本当なのだろうか。「窓のないラブホに籠ってTVも見ない」という仕方で戦争と距離を取りながらも、渋谷周辺に来た戦争反対デモに参加したり、買い出しに外出したドラッグストアでコンドームを3ダースも買ってしまい、「こんなに使うのかなぁ」と他人事のようにぼそぼそ会話している。ちぐはぐでコミカルなのがおかしくて、ところどころで観客は笑う。

 だが、全体にやや白けた感じで、私には、6月に観たチェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』やDVDで観た『現在地』の方が静かな感動があった。おそらく、イラク戦争が記憶から遠くなり、ある種の臨場感を共有できないからだろうか。チェルフィッチュが描こうとしてしているのは、脱力した若者の哀しく可笑しい生き方だと思う。彼らはシャキッとすることがなく、いつもへらへらしていて、決然と行動することがない。たまにぶっ飛んだ行動をしてしまうのは、すべて状況に流されてのことである。彼らは人間関係を盛り上げようと努力はするのだが、ぜんぜん盛り上がらず、いつも白けたままである。だが、そういう脱力した若者が、暗い空間と光の中に際立って美しく立ち現れるというパラドキシカルな表現の斬新さが、チェルフィッチュにはある。そのような演劇で、イラク戦争や福島の原発事故というコンテクストがはたして反復可能なのか、という問題はある。それでも、この何とも言えない静かで優しい美しさは魅力的だ。