ヴァン・ホーヴェ演出『イヴの総て』

[演劇] ヴァン・ホーヴェ演出『イヴの総て』NTlive  恵比寿ガーデンシネマ 1月21日

(写真は↓、イヴ(L.アンダーソン)とマーゴ(G.アンダーソン)、そして舞台、マーゴの自宅の居間、台所、楽屋が舞台の上で一体の空間になっている)

f:id:charis:20200122050616j:plain

f:id:charis:20200122050549j:plain

ホーヴェは『オセロ』『ヘッダ・ガブラー』が素晴らしかったので、ぜひ見たかった。本作は、2019年4月のナショナル・シアターの上演で、有名な映画(1950、監督マンキウィッツ)を演劇化したもの。新進女優イヴが女を武器に使ったりして古参女優マーゴの役を奪っていく話だが、映画版に比べて、一つ一つの場面が「濃い」というか、とにかく登場人物の存在感がすばらしい。映画では比較的「浅い」話だと思っていたが、こちらは作品に深みと奥行を感じる。それはおそらく、映画は異なる時空を自由に切り取って編成されるのに対して、演劇はつねに一つの空間を共有するので、人と人との関係性がより重層的で濃密になるからだろう。写真下は↓、終幕近く、マーゴのガウンを着たイヴが、マーゴの恋人ビルに迫るシーン。鏡の前はマーゴの定席だが、イヴが座るとマーゴに見える。向こう側からカメラで写して上部の大きな画像にアップされるので、一つの空間が二重化される。

f:id:charis:20200122050701j:plain

インタヴューでホーヴェは、「この作品は映画よりもマンキウィッツの脚本が素晴らしいので舞台化した」と述べていたが、科白が非常に洗練されていて、それだけでも演劇向きなのだろう。スター女優と、演出家、劇作家、批評家が互いに複雑にからむところが物語を面白くしている。日本と違って批評家は権力なのだ。写真下↓は大物批評家のドゥイット(S.タウンゼント)。彼こそ実はキーパーソンで、最後の大逆転でイヴは「彼の奴隷」「彼の女」にさせられてしまう。深みのある人物で卓越した演技がすばらしい。

f:id:charis:20200122050753j:plain

映画が作られた1950年と言えば、映画が興隆して演劇を脅かし始めたのだろう。「陰謀渦巻く演劇界の醜い内幕を描く」というのが映画版の視点で、ハリウッドとブロードウェイの対立が話を面白くした。一方、このホーヴェの演劇版は、映画に比べて、主人公のイヴを肯定的に捉えているように思えた。彼が演劇人だからだろうか。役を奪う前の駆け出し女優イヴの科白、「女優は舞台に立つ見返りに、客席から喝采を受けます、報酬はそれだけで十分、愛の波が押し寄せてくるのですから」がすばらしい。そう、これが本作のキーコンセプトだ。イヴは本物の大女優になるだろう。

f:id:charis:20200122050931j:plain

30秒ですが動画が、とても美しい舞台。

https://www.youtube.com/watch?v=0ulINtr-rVI