オールビー 『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』

 

[演劇] オールビー『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』 NTライブ ヒューマントラストシネマ有楽町 3月6日

(写真↓は、左から右へ、若い大学講師(生物学者)のニック、中年の大学助教授(歴史学者)ジョージ、ニックの妻ハニー、ジョージの妻マーサ)

f:id:charis:20170221221620j:plain

 J.マグドナルド演出、ロンドンのハロルド・ピンター劇場で2017年5月に上演された舞台の映画版。3時間以上にわたって、激しい夫婦喧嘩が繰り広げられ、その罵り合いが実に面白く、おかしい。インテリ夫婦の偽善的な結婚関係が次々に暴かれていく、というのはその通りなのだが、しかし戯曲も読んでみると、この作品の真の主題はそうではないと思う。子供ができない夫婦の苦しみが一番のポイントであり、それが夫婦関係の歪みを生み出しているのだ。1962年の作品で、いかにもアメリカ的。アメリカ大統領選挙の選挙運動では、候補者は必ず夫婦子供揃って登場する。そうなるのは、結婚したら子供がいるのが当たり前だと誰もが思っているからだろう。とすれば、子供ができない夫婦は非常につらいはずだ。(ジョージとマーサ↓)

f:id:charis:20170221223107j:plain

 深夜、歴史学者のジョージの家に、新任の生物学者のニック夫妻が訪れて歓談が始まる。ジョージ夫妻は、夫婦仲が良いところを見せつけようとするのだが、彼らにはどうしても触れてほしくない秘密があるようで、「子供」が話題になると、ジョージもマーサもギクッとして、「その話はしないで!」と硬い表情になる。ところが、マーサはハニーと二人だけになったときに、「21歳の息子がいる」と漏らしてしまい、一方、ニックはジョージと二人だけになったときに、ハニーのお腹が大きくなったので彼女と結婚したが、それは想像妊娠だったと打ち明ける。これはハニーにとって一番知られたくない秘密だ。一方、ジョージとマーサは、本当は子供はいないのだが、二人だけで「想像上の息子」という架空の物語を作って共有し、それだけが二人を夫婦として繋ぎ留める絆になっている。ジョージとマーサの罵り合いの中で、秘密がばらされてゆき、最後に「二人には本当は子供がいない」ことをジョージとマーサが認めるところで、終幕。とはいえ、劇の途中の科白にたくさんの伏線があり、観客は、子供の話はどうもおかしいと気づく仕掛けになっている。まず、最初の方で、「子供はいるのか」と聞いたニックに対して、ジョージが「知りたければ自分で探るんだな」と答えるが、これはとても変。また、ニックの専攻の生物学について、ジョージは、染色体、精子、試験官ベビーなどを話題にするが、これはすべて妊娠に関わることである。そして、ジョージはニックの妻のハニーの「おヒップが細い」ことを何度も繰り返し言って、ハニーが妊娠しにくいことをからかうし、ニックのことを「種馬」とも言う。マーサが自分の「息子」について得意げに嘘の話をすると、ハニーは「私も子どもがほしい、赤ちゃんがほしい」と涙ぐむ。つまり、劇の中心主題は「妊娠」なのだ。そして最後になって、ジョージは「息子が交通事故で死んだ、という電報が来た」と告げるが、その電報を見せろと迫るマーサに対して、ジョージは「電報は僕が食べちゃった」と言う。どんなに鈍い観客でも、ここで、「息子がいる」というのは嘘だと分かるが、しかし不思議なのは、「息子の死」を聞かされたマーサが激しく苦悩することだ。「息子の存在」は嘘なのだから、これは演技なのだろうか? そうではなく、マーサはかなりアル中で、「息子の存在」は彼女に固着した妄想になっているのだ。だから、夫婦喧嘩にずっと笑い続けてきた観客は、最後は笑えない。マーサを演じたイメルダ・スタウトンの迫力は凄い↓。

f:id:charis:20170221203955j:plain

f:id:charis:20190307095552j:plain