今日のうた(102)

[今日のうた] 10月ぶん

(写真は原石鼎1886~1951、虚子門下で、大正期の「ホトトギス」で活躍した)

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  • 秋晴れの日本は首相をヒトラーに喩へようとも罰せられぬ国

 (栗木京子『ランプの精』2018、作者はデモに参加して、そして詠んだ歌の一つ、表現の自由は、人間の権利の根本に関わる問題、愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」を見れば分かる) 10.1

 

  • 地下室で君は目を弓のようにしわたしに触れた鮮やかな夜

 (川谷ふじの『角川短歌』2019年8月号、作者は2000年生まれの若い人、第61回短歌研究新人賞受賞、初恋のときだろうか、彼氏が「目を弓のようにし」たというのがいい、作者も「地下室で」緊張していたのが分る) 10.2

 

  • 照らすもの持たないままに灯台の放つあかりは闇を横切る

 (伊波真人『角川短歌』2019年7月号、作者1884~は歌誌「かばん」会員、灯台のサーチライトは何かを照らすためのものではない、海上からその光の点が確認されればよいから、その放つ「あかり」はつねに闇の先まで届く、そしてこれは何かの比喩でもありうるだろう) 10.3

 

  • 夕焼けの空に穴ありわたりゆく先頭の鳥見えなくなりぬ

 (小島ゆかり『六六魚』2018、雁など渡り鳥の姿をよく見る頃になった、遠くなるまでずっと見続けていると、あるところで突然フッと視野から消えてしまう、まるでそこに穴があるかのように) 10.4

 

 (稲畑汀子ムクゲの花は本当に季節が長い、我が家のご近所では7月から咲き始め、今は別の家のムクゲが咲いている、夕方になると花をたたむのがとてもいい) 10.5

 

  • 逢ひにゆく袂触れたる芙蓉かな

 (日野草城、芙蓉の花は美しい女性の姿を思わせる、作者は女好きで名高い俳人、自分の袂に触れた芙蓉の花を、これから「逢いにゆく」女性に見立てないわけにはゆかない) 10.6

 

  • コスモスに雨の狼藉残りをり

 (岩垣小鹿、たくさんのコスモスが咲くとき、方向や角度は揃っておらず、奔放に、乱雑に、咲いているのが、コスモスの野性的な美しさ、そして、にわか雨が降った直後は、水滴の重みでもうメチャメチャ、まさに「狼藉が残っている」) 10.7

 

  • ざつと降れば三十分ですむ雨が出し惜しみして夕べまで降る

 (馬場昭徳『夏の水脈』2019、たしかにこういうことはある、天気予報ではすぐ上がるはずの雨が、降ったり止んだりして、「夕べ」までぐずぐずしている、「出し惜しみして」がいい) 10.8

 

  • 外国に似た遠さかな東京もわがふるさとも「内地」と呼ばれ

 (松村由利子『光のアラベスク』2019、作者1960~は、毎日新聞の記者だった人、2006年から石垣島に住む、そこでは作者の故郷の福岡県も東京も、ひとしく「内地」と呼ばれる) 10.9

 

  • ゆふあかねしづかに充ちて回送の電車に下がる吊り革の群れ

 (小谷陽子『ねむりの果て』2019、「ゆっくりとホームを通り過ぎてゆく回送電車には、人は誰もいないが、室内に夕陽の光が溢れて、たくさんの吊り革が揃って揺れている」、「ゆふあかねに揺れる吊り革」というのがいい) 10.10

 

  • コーヒ店永遠に在り秋の雨

 (永田耕衣『殺佛』1978、当時78歳の作者には、仕事の打ち合わせなどにも使ったなじみのコーヒー店が近所にあった、その店がよほど好きだったのだろう、秋雨の降るある日、店は「永遠に在る」ように感じる) 10.11

 

  • 猪(ゐのしし)もともに吹かるる野分かな

 (芭蕉1690、「いやあ、すごい台風だな、あそこにいるずんぐりした猪も、動けないほど吹きまくられて、うずくまっている」、当時、芭蕉滋賀県大津の「幻住庵」に滞在していたが、付近には猪が出没したと『幻住庵記』にある) 10.12

 

  • 山川に高浪も見し野分かな

 (原石鼎1886~1951、台風で増水すれば、山沿いを流れるたいして大きくない川にも「高浪」が立つ、今回の台風19号でも、山川ではないが、植村の住む近所の荒川、利根川、そして東京の浅川や多摩川の増水や高浪には驚いた、四つの川はどれもよく知っているので) 10.13

 

  • 音もなく殖えて悲しや秋出水(あきでみづ)

 (高濱虚子、「台風一過、刈り入れを待つ稲や家々が、音もなく増水した出水につかっている、悲しい光景だ」、「秋出水」とは台風などで川が増水して溢れること、今回の台風19号でも同様の状況が) 10.14

 

  • 月に行く漱石妻を忘れたり

 (夏目漱石1897、「僕は月に見とれて、すっかり夢見心地になっていたので、妻のことを忘れてしまったよ」、漱石は熊本の第五高等学校に赴任したばかり、妻は隣りで月見をしているのではなく、流産したばかりで東京で静養していた、昨夜は中秋の名月) 10.15

 

  • 木犀の昼はさめたる香炉かな

 (服部嵐雪、「ひんやりとするの秋の昼間、木犀のいい香りが漂ってくる、でも香りは夜よりわずかに少ないかな、<ちょっとさめた香炉>みたい」、今年はだいぶ遅かった我が家の金木犀は、台風で花芽がかなり散って、そして咲いた) 10.16

 

  • だれのこころも知りたくないというわれに金木犀は錆びて香りぬ

 (米川千嘉子『牡丹の伯母』2018、秋になって初めて金木犀の香りを感じる時、人の心に去来する感情や内容は千差万別だ、たまたま「誰の心も知りたくない」というネガティブな心情だった作者は、香りも「錆びて」感じる) 10.17

 

  • うつくしう 嘘をつくなう 唄うなう うい奴ぢや さう 裏梅のやう

 (小池純代『梅園』2002、「裏梅のやう」というのが、とても印象的だ、「裏梅」とは、梅の花を裏からみた形をデザインしたものらしい) 10.18

 

  • 解き衣(きぬ)の恋ひ乱れつつ浮き真砂(まなご)生きても我はありわたるかも

 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「ほどいた着物のように乱れに乱れて貴方を恋している私は、流れに浮いた砂のように生きているのね、ずっといつまでも」、男の訪れを待つ女の漂流するような苦しさ) 10.19

 

  • 秋の野の尾花にまじり咲く花の色にや恋ひむ逢ふよしをなみ

 (よみ人しらず『古今集』巻11、「秋の野のすすきに混じって咲く花は特に目立つよね、よし僕も、それを真似て、はっきり人目につくよう行動するからね、だって君はこっそりと逢ってくれないんだもの」) 10.20

 

  • 玉水(たまみづ)を手に結びてもこころみむぬるくは石の中も頼まじ

 (よみ人しらず『新古今』巻14、「この澄んだ水を手にすくって飲んでみよう、ひんやりと新鮮ならがいいが、もしぬるかったら、石井戸の水を飲むのはやめよう、僕たちの間はもうマンネリになったのだから」) 10.21

 

  • 松の葉の地に立並ぶ秋の雨

 (内藤丈草1662~1704、「秋雨が静かに降っていて、松の樹がすっかり濡れている、樹の下を見ると、落下した松の葉が、苔むした庭にそのまま突き刺さって、何本も立っている」、寺の庭だろうか、非常に観察が細かい)10.22

 

  • 樅(もみ)の木のすんと立(たち)たる月夜哉

 (上嶋鬼貫1661~1738、「モミの大木が月夜にすっきりと立っている」、モミの木といえば、クリスマスツリーの連想で西洋由来のものと勘違いしていたが、昔から日本にも自生していたのだ、この句は「すんと立たる」がいい) 10.23

 

  • 大原女(おはらめ)や野分にむかふかゝへ帯

 (斯波園女1664~1726、「台風の風にもかかわらず、しっかり帯を結んだ大原の女たちが、荷を頭に載せて、京都へ向かって歩んでゆく」、「大原女」とは工芸品などを頭に載せて京都へ売りにゆく大原の女たち、「かゝへ帯」は、腰に巻きつける帯) 10.24

 

  • 恥もせず我(わが)なり秋とおごりけり

 (立花北枝 ?~1718、作者は金沢の人、1689年に芭蕉を家に迎えた時の句、「こんなみすぼらしい我が家なのに、「うちの秋の庭はいいですよ」と自慢して、芭蕉先生をお迎えしてしまった、先生どうぞおくつろぎください」) 10.25

 

  • なみなみと零(こぼ)れ出そうな心抱きプラットフォームに沿って歩めり

 (川谷ふじの『角川短歌』2019年8月号、まだ十代の若い作者2000~は恋をしているのだろうか、それとも何かを一身に考えているのか、プラットフォームをまっすぐ歩いている、「なみなみとこぼれ出そうな心」を抱いて) 10.26

 

  • 月にむかい汝を負へば背中よりふたたびわれへ入りくるような

 (江戸雪『椿夜』2001、生まれた赤ちゃんを背負って月を見ているのだろう、赤ちゃんが動いたのか、自分の体の外にいるはずの赤ちゃんが「ふたたび自分の体の中に入ってくるように」感じた、「汝」と言ったのがいい) 10.27

 

  • きみが胸にわが影いくつ残したる互(かた)みに違ふ時間を生きて

 (今野寿美『花絆』1981、恋が始まった頃の歌だろう、作者は20代半ば、笑わない暗い少女だった作者が恋をしたのは歌人の三枝昂之、それぞれ仕事で忙しかったのか、数少ない過去のデートを回顧して懐疑する切なさ) 10.28

 

  • 単純な倫理に科学責めたれば愛より確(しか)とわれを憎むや

 (米川千嘉子「夏空の櫂」1985、20代前半の作者、情報工学専攻で東大大学院生の彼氏の、科学者らしい素朴な倫理観を批判したら、「科学は男女の愛よりずっと確実だ」と強く反論された、「私嫌われちゃったかしら」と悩む作者) 10.29

 

  • お二階にヨガしてをられ花芒(はなすすき)

 (梶川みのり『転校生』2004、ご近所の裕福な御宅だろう、「お二階」でヨガをして「をられる」のはたぶん奥様か、庭にはススキの花ががたくさん咲いている、ススキとヨガの取り合わせがとてもいい) 10.30

 

  • かたすみのかたいすすきを描(か)く絵筆

 (宮本佳代乃、俳誌「豆の花」2012年4月、さまざまな花が活けられた大きな花束を絵に描いているのだろう、花束の中央にある色鮮やかな花ではなく、むしろ地味な「かたすみの、かたい」ススキを描くとき、絵筆が生き生きと動いている) 10.31