今日のうた78(10月)

charis2017-10-31

[今日のうた] 10月ぶん


(写真は西東山鬼1900〜1962、歯科医をしながら、戦前は新興俳句運動に関わり、戦後も、やや前衛的なユニークな俳句を詠んだ)


・ ひと夜寝て女役者の肌にふれ巴里(パリイ)の秋の薔薇の香を嗅ぐ
 (九鬼周造「巴里心景」1925、パリ留学中の哲学者九鬼周造はたくさんの恋をしたのだろう、ペンネームで歌を『明星』に投稿していた、この俳優の女性とは「ひと夜寝た」だけの関係なのか) 10.1


・ 詩人去れば歌人座にあり歌人去れば俳人来たり永き日暮れぬ
 (正岡子規1900、「詩人」とは漢詩人、人望のあった子規は、上野の自宅で、句会、歌会だけでなく、輪読会、勉強会などをたくさんやっていた、子規の人生は、病身で短くはあったが、およそ人に可能な最も濃い人生だった) 10.2


・ 日頃(ひごろ)へしうさとつらさをまれにあふこよひ一夜(ひとよ)にいひもつくさん
 (樋口一葉、一葉は恋をしていた師の半井桃水にそうたびたびは会えなかったのだろう、死んだ父の借金を返しながら家族を養って苦闘する一葉は、その「うさ」と「つらさ」を桃水に聞いてほしかった) 10.3


・ 学問の底や見え透く今日の月
 (蘭醉、作者は江戸時代の学者、美しく澄み切った月を見ているうちに、「自分の学問はまだまだ浅い」と恥じる気持ちになったのだろう、今日は満月) 10.4


・ 十月のてのひらうすく水掬ふ
 (岸田稚魚、朝の洗顔だろう、水が冷たいのを感じるので、夏のように、洗面器にざぶりと深く手を入れず、やや「うすく水をすくう」ようになっている、このような微妙な違いによって「秋」を捉えた鋭い句) 10.5


・ 露の世は露の世ながらさりながら
 (一茶『おらが春』、一茶は二歳の娘「さと」を亡くした、その前には長男「千太郎」を亡くした、露のようにはかない幼子の命、それは分かっている、分かっているのだけれど、耐えられないほど悲しい、妻と二人で泣いた) 10.6


・ 祖国選ばばやはりこの国と言はしめよ稲の花咲く秋にしあれば
 (築地正子『自分さがし』2004、今、日本の政治が大きな岐路に直面しています、日本国憲法が指し示すような国こそ、本当に良い国、誇りをもって「祖国」と呼びたい国です) 10.7


・ くきやかに青き地球の映さるる夜半を書きつぐ反核のうた
 (上川原紀人『現代短歌のパイオニア』2008、今回、ノーベル平和賞を受賞した国際NGO核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)には、日本のピースボート(辻元清美氏が中心的創設者)も深く関わっています、受賞おめでとう!) 10.8


・ 現実に合はせて理想をかへよといふ改憲論に反対します
  (造酒廣秋『音』2003、戦争をなくすことはできないでしょうが、戦争を減らしてゆくことはできるはずです、日本の若者を海外派兵しない憲法第9条は日本の国益にもかない、どの国にとってもあるべき理想を示しているという点で、かけがえのない憲法です)  10.9


・ ビラを書く妻の筆勢真面目なればわが夜の刻(とき)ぬくみとなれり
 (坪野哲久『北の人』1958、作者は妻ともどもプロレタリア歌人として活躍した人、昔のビラは、たぶんガリ版に鉄筆で書いているのだろう、とても丁寧に字を書いているのか、「筆勢真面目なれば」がいい) 10.10


・ 遠き遠き近き近き遠き遠き車輪
 (渡辺白泉1938、直接には、汽車が遠くからきて前を通りまた遠ざかっていく光景だ、だがこの句は戦争の到来を予感しているのだろう、作者の代表句は「戦争が廊下の奥に立つてゐた」1939) 10.11


・ やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ
 (富澤赤黄男『天の狼』1941、作者は戦前、召集されて中国戦線をあちこち転戦した、戦争句がたくさんあるが、これもその一つ、戦場のランプが消えたあとは、ことに闇が深い) 10.12


・ 戦争の黄葉街に男女みな
 (西東三鬼1940、作者は歯科医だが、戦前、戦争を主題にした俳句をたくさん詠んだ、この句は、「街を歩いてゆく男女にも、みなどこか戦争の影がさしている」という意味だろう) 10.13


・ Wagnerはめでたき作者ささやきの人に聞えぬ曲を作りぬ
 (森鴎外「我百首」1909、このころ日本でワーグナーの生演奏があったのだろうか、それともドイツ留学時の想い出か、鴎外は「フィガロの結婚」を観た最初の日本人と思われるが当然ワーグナーも聴いただろう、今日は新国立劇場で「神々の黄昏」を観る予定) 10.14


・ いまの現(うつ)つに世を憤りはた自らを歎けばつひに学者たらじか
 (南原繁『形相』、1940年1月の作、大戦はヨーロッパですでに始まり、中国戦線も含めて戦争を憂慮する歌が続く中、論文が書けずに締め切りを延ばした歌の次が本作、作者は政治学者にして東大法学部教授) 10.16


原水爆禁止訴ふるこの子らに答へむ言葉誰も誰も知る
 (竹山広『とこしへの川』1981、今年のノーベル平和賞は、日本のピースボート(辻元清美氏は創設者の一人)も深く関わる国際NGO核兵器廃絶キャンペーン(ICAN)」が受賞、日本政府の無視の態度は本当におかしい!) 10.17


・ 有事とはいかなるときぞわらわらと赤松あかき鱗をこぼす
 (春日真木子『生(あ)れ生(あ)れ』2004、歴代の自民党政権は、日本の本土を侵略から守る戦いは「個別的自衛権」として認めてきた、それは憲法第9条の「戦力不保持」と表裏一体であり、整合的というのが内閣法制局の解釈、日本本土防衛に限定するのではなく、地球の裏側まで行って戦争できるのが憲法の言う「戦力」である、と、それを安倍内閣の「集団的自衛権」容認が変えてしまった) 10.18


・ 仕方ないしかたがないって許せるか戦争放棄を放棄しゆくを
 (田村広志『島山』2004、憲法第9条は、日本の本土を守る「個別的自衛権」とは両立する、戦後ずっとそれでやってきた、日本の若者が戦争で死なないのが最高の国益、「集団的自衛権」で他国の戦争に参加してはならない) 10.19


・ 生徒らのその親たちも戦争を知らぬと聞けば歴史はゆるむ
 (下南拓夫『遠景』1987、私自身も戦争を知らない世代ですが、今後、戦争をなくすことはできないにしても、戦争を減らすことはできるはずです、大戦への反省から生まれた憲法第9条は「正しい道」を示しています) 10.20


・ 遅刻してぽそりと席につくやうな羞(やさ)しさに平和憲法のあり
 (栗木京子『万葉の月』1999、日本国憲法は、平和ボケでも能天気でもお花畑でもない、日本人の若者が戦争で死なないという、これ以上はない最高の国益を守る憲法でもある) 10.21


・ 民主主義守るたたかいは明治よりいまにつづきて常に血の犠牲ありき
 (渡辺順三『波動』1966、議会制民主主義は、暴力によらずして政権交代をもたらすために、人類の長い苦闘の成果である、安倍政権は立憲主義を守らず、臨時国会憲法に違反して開かなかった、今日の選挙は民主主義を守る戦い) 10.22


・ 声も立てず野分の朝の都鳥
 (高桑闌更1726〜98、「台風の日の朝、いつもは鳴いているユリカモメが、鳴いていない」、作者は金沢の俳人、蕉風俳句を刊行したりして、蕉風の確立につとめた) 10.23


・ この道や行く人なしに秋の暮
 (芭蕉1694、「所思」とタイトルが付いている、「秋の夕暮、この道は誰も歩いている人がいない」、実際の情景に重ねて、自分の人生の寂しさを思っているのだろう) 10.24


・ 門を出(いづ)れば我も行人(ゆくひと)秋の暮
 (蕪村1774、「一歩、自分の家の門を出れば、もう自分は旅人なのだ、秋の道をゆく旅人は何人もいるが、どこかその姿は寂しい」、昨日の芭蕉「この道や行く人なしに秋の暮」を踏まえているか) 10.25


・ きのふとはちがふ瞳のいろをして子よ夕暮れの楽隊を見たか
 (小島ゆかり『月光公園』1992、作者には二人の幼い娘がいるが、たぶん下の娘だろう、昨日とちょっと瞳の色が違う気がする、楽隊を見て、きっと瞳が大きく開いたんだろう、と想像する母) 10.26


・ 出奔はつひに成らざり夕日の中ぬくき線路を踏みて帰れり
 (河野裕子『森のやうに獣のやうに』1972、この歌は17歳の高校生のとき、彼氏と二人で家出してしまおうと考えたが、やはりできなかった、ということだろうか) 10.27


・ 「結婚することになったよ」「なったんじゃなくてすることに決めたんでしょう」
(俵万智『チョコレート革命』1997、前半は元カレ、後半は作者、こういう率直なところが作者の持ち味) 10.28


・ コスモスや海少し見ゆる邸(やしき)道
 (萩原朔太郎、どこかの海辺の、西洋風の「やしき」が並んでいる道を歩いているのだろう、コスモスが咲いている、視覚的にとても美しい句) 10.29


・ 野の色に紫加へ濃りんだう
 (稲畑汀子、リンドウの紫色の花は、秋の野でくっりきりと目立つ、「野の色に、紫を加える」という絵画的な言い方が美しい、「こりんどう」という音もいい) 10.30


・ 団栗(どんぐり)を掃きこぼし行く箒かな
 (高濱虚子、「掃きこぼし行く」がいい、どんぐりは丸いから、ころがりやすく、取り残されてしまっている、こういう日常のさりげない光景に詩情を見出すのが虚子) 10.31