[今日のうた] 10月1日〜31日 (室生犀星1889〜1962、1919年頃の写真、小説家としてデビューした頃)
・ 夜のあかりとどかぬ畝(うね)やきりぎりす
(室生犀星1932、庭の土の一部が畝になっているのだろう、「家の明かりが届かない畝の陰あたりから、キリギリスの、チョン・ギー・ギーッっていう鳴き声が聞こえてくるよ、秋だなあ」) 10.1
・ ひよどりや見合いの席を鳴きつくし
(清水哲男『打つや太鼓』2003、見合いの席で沈黙がちの若い男女、そこにひよどりが冷やかすようにピーヨピーヨと鳴いているのか、それとも、見合いを取り持ったおばさんが一人でよくしゃべるのか) 10.2
・ けふからは日本の雁(かり)ぞ楽に寝よ
(小林一茶、「雁くん、君は日本海の上を飛び続けて、やっとここに到着したんだね、疲れたよね、今日からは日本の雁だよ、ゆっくりお休み」、この優しさがいい、一茶が裏日本を旅したときの句か) 10.3
・ 並びゆく脚うつくしと見てゐしがしばらくにして乱れてゆきぬ
(上田三四二『雉』1967、「街を若い女性が二人並んでさっそうと歩いている、きれいに揃って動く脚がが美しいな、思わず見とれてしまったよ、あっ、でもリズムが少し乱れてきたかな」、どことなく昭和の雰囲気が) 10.4
・ 君からの「明日も体育あったっけ?」そんなメールを逆さから読む
(有希・女・15歳、『ダヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「好きな人からもらったメールに違う意味合いばっかり探しちゃう」と作者コメント、隠されたメッセージはないか、何度も読んでみる、初々しい恋の歌) 10.5
・ 男って女より先に死ぬものね 綺麗になったのに眠ってる
(川上渚・女・23歳、『ダヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「ラブホテルでの一首です」と作者コメント、ゆっくりシャワーを浴びて、すっかり綺麗になって出てきたのに、ベットで彼氏は先に眠ってしまっていた) 10.6
・ 鰯雲(いわしぐも)個々一切事地上にあり
(中村草田男、我々はこの世のわずらわしい些事に振り回され、毎日、地べたを這うようにして生きている、でも、ふと空を見ると、秋の空に鰯雲が伸び伸びと広がっている、加藤楸邨「鰯雲人に告ぐべきことならず」ともどこか通じるか) 10.7
・ 鰯雲ひろがりひろがり創(きず)いたむ
(石田波郷1948、作者は肺の療養中で手術を受けた、鰯雲が広がるとともに、傷の痛み、そして心の痛みも広がってくるのか、鰯雲は、私たちの体や心と繋がっている) 10.8
・ 野性的にパン食べている屋上のここは私の秋の個室だ
(吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、小学校の教員になりたての作者、いつも生徒や先生と一緒に過ごす職場だが、自分だけになりたい時もある、一人で屋上に抜け出して急いでパンをほおばる) 10.9
・ 腕のばせば幼き顔に人眠るさびしさに覚めまた眠りゆく
(米川千嘉子『夏空の櫂』1988、作者は27歳、新婚直後の作、「眠っていた私はふとさびしさを感じて目覚めてしまった、すぐ隣には新婚の夫が幼顔で無邪気に眠ってる、まぁ仕方がない、また眠るしかないわね」) 10.10
・ 母と娘(こ)のいづれが先に生(あ)れしなど過ぎてしまへばみな女なる
(中川たまき『花鳥時間』1992、高齢の母と中年の娘だろうか、それとも40歳くらいの若々しい母と18歳くらいの娘だろうか、最近は、姉妹のように仲が良く、服などを共用している母娘もいるという) 10.11
・ パパがママをママと呼ぶときさみしくて食卓上の卵を摑(つか)む
(大滝和子『銀河を産んだように』、子供の頃のことか、「ママに向かって「ママ」って言うのは私専用なのに、たまにパパが「ママ」って呼ぶと、ママは嬉しそうにパパの方へ行ってしまう、私よりパパが好きなんだ」) 10.12
・ コスモスを乱れさしたるばかりかな
(高濱年尾、コスモスはきれいに揃っていることはあまりない、風に吹かれて倒され、起き上がっては絡まり、乱れているのがコスモスらしさ、「乱れさしたるばかり」というこの句、人の手で揃えようとしたのか、それとも風が吹いたのか) 10.13
・ 秋日暮れ蒼ければ灯をともさずに
(正木ゆう子『水晶体』1986、秋の日暮れ、空がひときわ澄んで、深い蒼さが残っていることがある、電気をつけるのをちょっと待って、それを味わう) 10.14
・ 竜胆(りんだう)の日を失ひし濃紫(こむらさき)
(山口誓子、野草のリンドウは美しい紫色の花が咲くが、曇ったり、日が陰ったりすると、すぐ花が閉じてしまう、「日を失って、かえってその紫色の濃さが目立つ」、誓子らしい鋭い把握) 10.15
・ 子の携帯電話(けいたい)つながる異界のあるらしく深夜ひそかにわらふ声する
(遠藤たか子2000、現在では、ケータイは電話よりもメールやネットに使う方が多いが、最初は電話専用の「携帯電話」として登場した、口元の機器に独り言のように話しかける姿に違和感を感じた頃もあった) 10.16
・ 父のごと秋はいかめし/母のごと秋はなつかし/家持たぬ児に
(石川啄木『一握の砂』1910、東京で暮らしていた啄木は寂しかったのだろう、「家持たぬ児」にとって、秋は、いかめしくもあり、なつかしくもある) 10.17
・ ためらはぬ角度をもちて遠しとも近しともなく稜線は見ゆ
(佐藤佐太郎1961、作者1909〜87は自然詠の第一人者、この歌は日光で詠んだものと思われる、山の姿を描くのに、ごく普通の言葉を用いているが、高度な表現技法に裏打ちされていながら、それを感じさせない) 10.18
・ 秋晴れに子を負ふのみのみづからをふと笑ふそして心底笑ふ
(小島ゆかり『月光公園』1992、作者は子供を詠んだ歌が多い、本歌も「子を負ふのみのみずからを」がとてもいい、そして、「ふと」笑った笑いが「心底の」笑いになった、深い喜びの笑いに) 10.19
・ まねきまねき拐(おうご)の先の薄(すすき)かな
(野沢凡兆『猿蓑』、「拐」は天秤棒のこと、京都の大原村での句、採れた野菜などを天秤棒で担いで町に売りにゆく女性の姿、棒の先にくくり付けたススキの穂が「招く」ように大きく揺れて、女性の体もリズミカルに動いてゆく、「まねきまねき」が秀逸) 10.20
・ 秋風やしらきの弓に弦(つる)はらん
(向井去来『阿羅野』、「今日は、秋晴れのすがすがしい日だな、よし、白木の弓に弦をぴーんと張って、弓の練習をするぞ!」、芭蕉の弟子であった去来は武芸を好んだ人) 10.21
・ 「花柄が好きかもしれない」打ち明けた彼にいいよと言う声ふるえ
(モ女・女・27歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、彼氏が「花柄が好きなんだ」と作者にささやいた、「いいよ」と答える自分の声が震える、「花柄」を持っていない作者は当惑したのか、何の話だろう、詠題は「異性」) 10.22
・ カット・オフ・控えめ・ハーフ・ノン・ゼロのカロリーバイオレンスを食らう
(伊藤真也・男・36歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、最近は食品がやたら「カロリー」に敏感だ、各種食品、定食、ビールや缶チューハイまで数値だらけ、カロリーを悪者にする「カロリーバイオレンス」じゃん) 10.23
・ 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
(正岡子規1895、「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書がある、子規は柿が大好きだった、この句、遠くで鐘が鳴っているのではなく、すぐ横で鳴っているのである、山本健吉は「あわいユーモア」が感じられると評している) 10.24
・ 硝子戸に鍵かけてゐるふとむなし月の夜の硝子に鍵かけること
(葛原妙子、「外は美しい月夜、光がガラス戸越しに家の中にたくさん流れ込んでくる、戸に鍵をかけたってダメよね、月の光を締め出すなんてできないわ」) 10.25
・ こんなよい月を一人で見て寝る
(尾崎放哉、自由律俳句で名高い作者1885〜1926は、その性格から周囲の人と折り合うことができず、孤独な晩年を過ごした、月見もたった一人で、昨日が十三夜、明日は満月) 10.26
・ 名月やうさぎのわたる諏訪(すは)の海
(蕪村1771、「月に照らされて諏訪湖の湖面が輝いている、あっ、湖の上を白ウサギがたくさん走っていくぞ、きっと月のウサギが降りてきたんだな」、夢幻的な美しい句、今日は満月) 10.27
・ すきという気持ちは手からはじまってうしなうことをもう知っている
(笹岡理絵『イミテイト』2002、二十歳前後の歌か、「私はすきな人ができると、その手をじっと見ている・・・あの指がいつか私に届くことがあるかもしれない」と詞書、人は手によって愛を得、また失いもする) 10.28
・ いちにんのために閉さずおくドアの内ことごとく灯しわれは待てるを
(小野茂樹『羊雲離散』1968、自室の明かりをすべてつけて、彼女を待っている作者、本当に来るのだろうか、「内ことごとく灯し」に、祈るような不安な気持ちが) 10.29
・ 幼き思慕告げ得ぬままに苦しむにああ静かに君は階降りてゆく
(山口智子『邂逅』1955、作者はずっと片想いのままなのだろう、何回か告白しようとしたけれど、できなかった、「静かに階段を降りてゆく」彼の後姿を見るだけでもつらい) 10.30
・ つくづくと愚直に並ぶ大銀杏わたしの軋む心を知らず
(安藤美保『水の粒子』1992、作者はお茶大の学生、辛いことがあったのだろう、学内のすっきりと直線的な銀杏並木が、今日は「つくづくと愚直に」並んでいると感じる、慰めてくれないが頼もしくもある「愚直な」銀杏たち)10.31