美と愛について(11) ― 美の起源としての「性選択」

美と愛について(11) ― 美の起源としての「性選択」

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(↑ダーウィンの『人間の由来と性選択The Decent of Man, and Selection in Relation to Sex』1871、以下、ダーウィンの引用は、長谷川眞理子訳『人間の由来』(講談社学術文庫・上下、2016)より)

  今回は、美の起源は動物が進化する際の「性選択」にあるというダーウィンの説を紹介したい。我々は若い男女の裸体を見ると、それを美しいと感じ、エロスを感じる。それはなぜなのかを説明するのが「性選択」である。『種の起源』を書いたダーウィンは、「自然選択」では説明できない事実に悩まされていた。それは多くの動物において、オスとメスでは、身体の大きさ、色、角のような付属物など、形態がかなり異なることである。生殖器が異なるのは当然だが、しかしそれ以外にも、クジャクの羽、シカの角、ライオンのたてがみ、ウグイスの鳴き声などのように、生存のために不必要と思われる形態や機能の違いがたくさんある。同じ種のオスとメスはほぼ同じ環境に生きているから、自然選択によってはこの差は説明できない。この差をダーウィンは「性選択」によって説明した。

 

 性選択とは、オスとメスが交尾の相手を選ぶことであり、交尾の機会が多ければ、それだけ生まれてくる子の数も多くなるから、子は、交尾に成功した親の形態を遺伝的に受け継ぎ、その方向へと種の形態は変化してゆく。オスが交尾相手のメスを選ぶためには、まずオス同士の競争に勝たなければならない。より強く、より大きい、そして相手を倒すための牙、爪や歯を持つオスが競争に勝つだろう。このようにして、オスの形態は、より強く、大きい方向へと変化し、これがメスよりオスの身体が大きく強い理由である。しかし、これだけではまったく説明できないことがある。それは鹿の曲がりくねった角(戦いには役に立たない)、クジャクの大きく美しい羽(飛べないだけでなく、天敵に見つかりやすい)、多くの鳥が持っているオスだけの美しい色や羽飾り、鳴き声など、オスのみが持つ奇妙な形態や特性である。これはオス同士の競争には役に立たず、メスを興奮させ魅了させるための特性であろう。メスに選ばれなければ交尾は行われないので、結局、より多くの子を残すには、オスの身体はメスに選ばれるような形態に長い間に変化してゆく

 

 ダーウィンによれば、動物の性選択によるオス/メスの身体の違い踏まえて、それをヒトに拡張した場合に、重要な問題となるのは、なぜ人間は類人猿と違って、哺乳類で唯一、体毛がほとんど無いのかという、いわゆる「裸体」の問題である。そして、さらに重要なことは、体毛がほとんど無いとはいえ、男性は女性よりもわずかに毛深く、これは普遍的に見られる特性なので、進化的に重要な意味を持っているはずである。また、男性だけが髭を持っていること、そして両性とも、いくらでも伸びてしまう頭髪を持つこと、などをダーウィンは重視している。またダーウィンは述べていないが、人は性器の周囲にわずかの体毛が残されており、これも進化的に説明されなければならないが、今日でもその理由は分かっていない。しかしいずれにしても、人間の場合、体毛がほぼ無くなって裸になったということが、もっとも重要な身体の進化的事実である。まず重要なことは、ダーウィンも述べているように、類人猿からヒトの祖先が分岐したときには、ヒトの身体は体毛で覆われていたはずであり、それが無くなったのはその後の進化の過程の産物である。自然選択、すなわち環境への適合という点では、体毛が無いことは、傷つきやすい、寒さや気象の変動に弱いなどから分かるように、マイナスの要素しかないが、それにもかかわらずヒトの体毛が無くなったのは、クジャクの羽と同様、それが自然選択のマイナスを上回る性選択のプラスの要素を持っていたからである。男女ともに体毛がほとんど無くなったのは、男女がともに異性の裸の身体に、より大きな「魅力」を感じるから、より毛の少ない異性を伴侶に選ぶことが続き、両性とも体毛がほぼ無くなった。両性に揃っておきた変化であることから、ヒトは、動物のようにメスが一方的にオスを選ぶのではなく、男女が相互に相手を選ぶことを示している。

 

 しかし現在でも、男性の方が毛深いのはなぜだろうか。それは、わずかにでも体毛が残っている身体の方が(あるいは髭もそうかもしれないが)、まったくつるっとしている身体に比べて、より「強そう」だという性的魅力を女性が感じていたからだろう。それに対して、女性の身体については、体毛がより少ない方に性的魅力を男性が感じていたから、男性に比べて女性はより体毛が減ったと考えられる。現代でも、身体の美容の観点から全身脱毛をするのは、女性の方が男性より多いであろう。また、動物の場合は交尾期には嗅覚が鋭くなるが、ヒトは嗅覚が動物よりもずっと衰えているので、眼の位置が高い二本足歩行も相俟って、異性の身体からの刺激は、より多く視覚に頼るようになったことも、体毛の喪失と関係しているだろう。人間にとって、異性の身体の魅力は、「見た目」すなわち視覚が重要なのである。ダーウィンは、当時の「未開」部族のフィールドワークを、自らのものも含めてたくさん参照しているが、彼らは、たとえ裸体でも、皮膚にさまざまな彩色をし、耳、首、髪などに飾りをたくさん付けている。裸体は、体毛がない代わりにさまざまな美的装飾をほどこすのに適しているから、性的魅力をさまざまに演出する生地として、体毛よりもいっそう好ましいとも言える。現代の女性のファッションでも、皮膚のどの部分を服で隠し、どの部分を露出させるかは重要な関心事であり、またイスラム教で女性の皮膚を第三者に見せることが禁止されていることからも分かるように、ヒトが体毛を失って裸になったのは、身体の性的魅力を増すためなのである。ダーウィンは言う。

>皮膚が露出することに何か直接的な利益があると考える人は誰もいないだろうから、体毛がなくなったのが自然選択によるとは、とうてい考えられない。・・・世界中のどこでも女性の方が男性よりも体毛が少ないので、体毛のないことは、ある程度は第二次性徴だといえる。それゆえ、これは性選択を通して獲得された形質だと十分に考えられるだろう。(邦訳下455~6頁)

>力強さ、からだの大きさ、あらゆる武器、声によるものと楽器によるものの音楽、美しい色、縞模様と斑点、装飾的な付属品、これらはすべて愛と嫉妬の影響を通して、また音と色彩と形態における美の認識を通して、そしてそれらに対する好みを通して、どちらか一方の性に間接的に獲得されてきた。(邦訳下489頁)

 

 ここでダーウィンが「愛と嫉妬の影響を通して」と言っているのが面白い。クジャクの美しい羽や、ウグイスの美しい鳴き声に対して、異性や同性がどの程度「愛と嫉妬」を感じているのかは分からないが、ダーウィンは明らかに恋愛モデルで性選択を考えているダーウィンはこうも言っている。「われわれ人間においてもっとも重要な要素は、愛情と共感という特別な感情である。社会的本能を備えた動物は、他の個体と一緒にいることに喜びを感じ、たがいに危険を知らせ合い、多くの点でたがいに守り合い、助け合う」(邦訳477頁)。性選択とは、異性の身体に互いに「刺激され」「魅了され」「気に入り」「惹かれ合う」ことだから、そこには「愛の感情」が生じる。美しいものを見た時、我々は「いいな!」と感じ、それを「気に入る」。つまり、「美」と「愛」とは、根底で深く結びついているのである。次回はダーウィンより前に同じことを言っていたE.バークの見解を見ることにする。

 

以上は、私の論文『人間の身体の美しさについて ― バーク、シラー、そしてカントへ』(群馬県立女子大学紀要・第40号、2019)に基づいています。詳しく知りたい方は下記を参照ください。一番下の「04植村恒一郎pdf]をクリックすると誰でもダウンロード可。

https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/handle/10087/12590

 

PS :美と愛が最高に一体となったシーン、『フィガロの結婚』第2幕、スザンナが衣裳部屋から出てくるところ、伯爵の「剣」を押さえ憎しみを愛に変えるスザンナ、そして伯爵夫人との二重唱へ。第2幕は伯爵夫人のアリアから二重唱、三重唱そして六重唱へと続き、愛は人と人とを結びつけます。(5分間の冒頭)

https://www.youtube.com/watch?v=w_PUp1oekHI