[オペラ] 高橋宏治《プラットホーム》

[オペラ] 高橋宏治《プラットホーム》 杉並公会堂 7月28日

f:id:charis:20210729095954j:plain

芸大出身の若手ソプラノ、薬師寺典子がベルギー留学中に発案・製作し、同じく若手作曲家の高橋宏治が作曲、1時間の作品。ゲント、ブリュッセルに続いて、これが三回目の東京上演。歌い手は薬師寺一人で、楽器奏者が六人、映像が背景に映し出される。「室内モノオペラ」というジャンルらしいが、プーランク《声》も歌手一人だから、それも立派にオペラなのだ。本作は、「現代オペラ」の可能性を示唆するとても意欲的な作品で、成功している。2016年のブリュッセル地下鉄駅爆破テロ事件が主題で、テロ事件がそもそもオペラの主題になりうるのかと最初思ったが、東京でもオーム真理教の地下鉄テロがあり、ニューヨーク、パリと世界的にも大規模テロは多発しているのだから、爆破テロはもはや現代史の前景であり、当然、「現代オペラ」の主題になりうる。それを強く感じさせる舞台だった。物語を五つに分け、(1)駅プラットフォームに居合わせた元女性警官、(2)爆弾を私室で作る孤独なテロリスト青年、(3)事件を速報するTVの女子アナウンサーの排外主義まみれの報道映像、(4)犠牲者であるレバノンからの移民の少女の故国の母との電話の会話、(5)ともに死者となった移民少女とテロリスト青年との、冥府への列車を待つプラットフォームでの対話、の5シーンからなる。よく考えられた構成で、脚本はセルビア人の若手、ステファン・アレクシッチュ。1時間が緊張の連続で、音楽は現代音楽なのに、少しも退屈しない。

f:id:charis:20210729100431j:plain

ベルギー版のタイトルは、《Amidst dust and fractured voices [(爆破の)塵と引き裂かれた声の間で]》だが、東京版は《PLAT HOME》。地下鉄駅のプラットフォームなのに、わざわざ「プラット・ホーム」にしたのは、コロナ禍における「ステイ・ホーム」すなわち、個人が分断されて孤立している状況と重ねたと、プログラムノートにある。しかし、私はこれはかえって分かりにくくしたと思う。むしろ本当の問題は、爆破テロの現場に居合わせた当事者、それを即時報道するTVアナ、ネットを含めてほぼ直後に知る我々同時代人という、広義の当事者たちがこれほど時空的に近くにいるにも関わらず、何が起きたのか、その出来事の意味が分からないということではないか。最近見た演劇、宮本研『反応工程』は、終戦前の数日間に右往左往する日本人を描き、当事者ほど出来事の意味が分からないという状況が前景化されていた。爆破テロ事件にもまったく同じことが言えるのではないか。プログラムノートには、オペラという芸術においてテロ事件を「再生(ミメーシス)」するのだから、ただちに失われるテロ事件の「記憶」と政治という切り口から、作品を作ったとある。それも分かるのだが、本作では、5つのシーンに当事者たちを分けたことから分かるように、実際には、当事者たちの認知的不協和の方が前景化されていたと思う。

f:id:charis:20210729102219j:plain

あと、映像における文字の多用について、少し気になった。モノオペラだから仕方がないのかもしれないが、オペラにおいて本来は人の声で表現すべきものが、文字の姿で映し出される。だから観客は聞くのではなく読むことが主になる。私は映像を見ながら、大学の教室でパワポで講義を受けているような錯覚を覚えた。声が文字になっているからだ。この問題は、映像を巧みに用いることができる「現代オペラ」の課題だと思う。

 

ベルギー上演の動画が。映像は東京版とは別。

https://www.youtube.com/watch?v=Vs9cX-OxXRY

https://www.youtube.com/watch?v=5jaWF5EBFLM

https://www.youtube.com/watch?v=25WBeEQGG3w