今日のうた(132) 4月ぶん

今日のうた(132) 4月ぶん

 

春の花の色によそへし面影のむなしき波のしたにくちぬる (建礼門院右京大夫、「春の桜の色のように美しかった平維盛さまは、ああ、熊野灘の海底で朽ちておしまいになった」、作者と親交のあった平氏の貴公子、平維盛は、一ノ谷の戦いで戦線を離脱し熊野灘で入水したといわれる) 1

 

くさぐさの花順序なく桜さく昨日雨の莟(つぼみ)今日の満開 (佐藤佐太郎1979『星宿』、桜が咲く頃は、桃より桜が先に咲いたりして、さまざまな花が「順序なく咲く」、その桜も、昨日は雨で莟だったのが、晴れた今日は、突然満開になったりする) 2

 

あくがれは何にかよはんのぼりきて上千本の花の期(とき)にあふ (上田三四二1969『湧井』、吉野山に四日間滞在したときの歌、桜は低い処から順に咲いてゆくが、作者がいちばん高い「上千本」に来た時に、ちょうど満開の「花の期にあふ」よろこび、「あくがれ」が通じたのか) 3

 

峰の霞麓(ふもと)の草のうす緑(みどり)野山をかけて春めきにけり (永福門院『玉葉和歌集』、「峰にかかる春霞の白色、ふもとの草のうす緑色、この二色が野山じゅうに覆いかぶさって、すっかり春らしくなりました」) 4

 

春霞かすみし空の名残さへ今日を限りの別れなりけり (藤原良経『新古今』哀傷、「春霞」は死者を焼く煙と重ね合されることも多い、良経(1169生れ)は藤原定家(1162生れ)より7歳年下で、ともに新古今歌人、定家の母の美福門院加賀が亡くなったのを悼み、定家に送った歌、返しは明日) 5

 

別れにし身の夕暮に雲絶へてなべての春は恨み果ててき (藤原定家、昨日の藤原良経の歌への返歌、「母と別れた私には、夕暮れの雲が消えるのも母の荼毘の煙が消えてゆくように感じられて、とても悲しいです、総じて春は恨みとともに去ってゆくのですね」) 6

 

夢の逢ひは苦しかりけり覚(おどろ)きて掻き探れども手にも触れねば (大伴家持万葉集』巻4、「夢の中で貴女に逢ったのはつらかったよ、はっと目が覚め、手を伸ばしてひたすら周囲を探ったけれど、貴女に触れないのだから」、恋人の大友坂上大嬢に贈った歌) 7

 

四月だかなんだか弾け飛ぶボタン (芳賀博子、四月になると、いかにも春らしい日も増えて、なんだか浮き浮きした気分になる、「だかなんだか」を挟んで「弾け飛ぶボタン」と受けたのがいい、句そのものに弾けるような勢いがある) 8

 

烙印を押されるように誕生日 (竹井紫乙『白百合亭日常』2015、フェイスブックには「○○日は誰々さんの誕生日です」という表示が出るが、少し押しつけがましい感じで違和感がある、誕生日とは、だいたい人から言われるものだが「烙印を押される」ようなかすかな違和感が) 9

 

顔文字の一つになって流される (湊圭史、ネットでよく使われる「顔文字」は、人間の表情をきわめて類型的に表現している、そこには「個人」がない、議論でも我々は、自分の「個」を留保して、その場の大勢に従って「流される」ことがあるだろう、まず「空気を読む」わけだ) 10

 

呼べばしばらく水に浮かんでいる名前 (八上桐子、恋の句だろうか、なんだか美しい、恋人の面影が水面に浮かぶのではなく、「名前」が浮かぶというのがいい、ラカンの言うように、人格性は、見える想像界にではなく、言語の世界である象徴界にあるのだから)11

 

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蝶の羽(は)のいくたび越ゆる塀(へい)の屋根 (芭蕉1690、伊賀の俳人、原田覚左衛門の邸宅で作った句、豪邸なのだろう、「高い築地塀の屋根瓦を、蝶が、何度も何度も、ひらりと越えたり戻ったりして、飛んでいる、鮮やかに飛ぶなぁ」) 21

 

うつくしき顔掻く雉子(きじ)の距(けずめ)かな (榎本其角、「雉の顔は濃い朱色が美しい、しかしその顔を、鋭い蹴爪で激しく掻いている、顔が傷付かないかと心配になってしまうよ」、雉の動作まで鋭く観察した句) 22

 

まだ長うなる日に春の限りかな (蕪村1776、「日がどんどん長くなって、今日も夕方が明るい、これからもまだ長くはなるだろうが、そろそろ春も終りだってことか」、冬が春に変る頃にも「日脚が延びる」のを感じたが、春が夏に変る頃に、またそれを感じるのが面白い) 23

 

朧々(おぼろおぼろ)踏めば水なりまよひ道 (一茶1795「西国紀行」、33歳の一茶は旧友を尋ねて香川県まで行ったが、旧友はすでに亡くなっていた、ふらふらと貧乏旅が続く一茶) 24

 

春泥や遺物のごとき戦車ゆく (高垣わこ「朝日俳壇」4月24日、高山れおな選、ロシア軍の戦車が「ぬかるみ」に足を取られながら走行しているのだろう、戦車を「遺物のごとき」と捉え、「春泥」と取り合せた) 25

 

よどみなき介護の手順朝燕 (奈良雅子「東京新聞俳壇」4月24日、石田郷子選、「声を掛けながら朝一番の介護をする。手順は身についている。きびきびと朝の空を飛びまわる燕の姿と重なる情景」と選者評) 26

 

向日葵と小麦の大地に春近し銃を持つ手に種は蒔けない (加藤宙「朝日歌壇」4月24日、永田和宏/馬場あき子選、「上句は、ウクライナの平和だった頃への思い。下句に銃を持たない手への祈念がある」と馬場評、今回、永田選歌は10首すべてがウクライナ戦争) 27

 

拒否して否定して自分になる丸めたままで脱ぎ捨てる靴下 (河野左岸「東京新聞歌壇」4月24日、東直子選、作者名では分らないが、もし「靴下」がストッキングならば、女性の歌か、彼氏とケンカしたか、あるいは職場で理不尽なことをされたか、自室に帰ってやっと「自分になる」) 28

 

しつけ糸切って解放してやればスカートもひとすじの糸も自由だ (飯田有子『女性とジェンダーと短歌』2022、「しつけ」とは本縫いの品質を高めるために行う仮縫いで、その糸が「しつけ糸」、「しつけ」糸を切るとスカートは「解放される」、そして作者自身も解放された気分に) 29

 

男女混合名簿いまだ来ず男子すべて呼ばれたるのちの女子の呼名は (大口玲子『女性とジェンダーと短歌』2022、作者は「心の花」会員で宮崎市在住、この歌には「宮崎の中学校」と前書が、調べてみたら、宮崎県の公立中学は混合名簿率40.5%で[平成30年]全国水準より低い) 30