[演劇] シェイクスピア『ヘンリー八世』 吉田鋼太郎演出 さいたま芸術劇場 9月21日
(写真↓は終幕、右側の新王妃アン・ブリン[山谷花純]が抱いている赤ん坊が後のエリザベス一世、中央がヘンリー八世[阿部寛])
シェイクスピア最後の作品で(1613年初演)、戯曲の過半は弟子のフレッチャー執筆。エリザベス一世死去後10年で、ヘンリー八世はエリザベスの父だから、ヘンリー八世を傷つけないように細心の注意を払って作られた作品だ。ヨーク家/ランカスター家の対立を克服して、テューダー朝を開いたヘンリー七世、その子ヘンリー八世、その娘エリザベス一世とテューダー朝が安定し、カトリック/プロテスタントの厳しい対立をも呑み込んで「大いなる和解」を演出したのが劇『ヘンリー八世』なのだ。そのためか、シェイクスピアの他の史劇と違って、ヘンリー八世その人の個性は前景化されず、彼はむしろ調停者的な存在だ。原文の科白は、ヘンリー八世が461行で一番多いが、しかしウルジー枢機卿が436行、キャサリン王妃が376行で、劇ではウルジーとキャサリンがやたら目立つ。ヘンリー八世の主体的な決断や行動で事態が大きく動くことはない。それだけに上演されることの少ない作品なのだが、今回の吉田演出版は、当時の政治的事情がよく分らない日本人にも大いに楽しめる舞台になっている(写真↓は、ウルジー[吉田鋼太郎]、キャサリン[宮本裕子]、ヘンリー八世[阿部寛]、三人とも素晴らしい名演で、阿部はそこに存在するだけで「王」に見えるのは凄い)
キャサリンはスペイン王女だった人で、スペインはカトリックであるのに対して、アン・ブリンはフランス系のプロテスタント、そしてウルジー枢機卿はもちろんカトリックだが、異様に権力欲が強い人。そしてヘンリー八世の死後(1547)は、息子のエドワード六世(1547~53)、キャサリンの唯一の娘メアリー一世(1553~58)、そしてやっとアン・ブリンの娘エリザベス一世(1558~1603)となる。メアリー一世はカトリックでプロテスタント大弾圧をし、ジェイン・グレイを処刑、異母妹のエリザベスを投獄。アン・ブリンはプロテスタントで、しかもエリザベスを産んだ2年後には不倫の疑いでヘンリー八世に処刑されている。つまり、エリザベス一世の即位も偶然の幸運のように見えるから、劇『ヘンリー八世』がアン・ブリンのエリザベス出産の「めでたし、めでたし」で終わっているのも、現実のエリザベス一世統治を正当化するためなのだろう。この作品が『ヘンリー八世』と呼ばれるのは後世のことで、最初は『All is trueすべて真実』というタイトルだった。つまり、初演当時の観客は、メアリー一世やアン・ブリンやウルジーのことをよく知っていたわけで、観客たちを「これが真実なのだよ!」と宥めるために、劇全体が「歴史修正主義」の産物なのだろう。つまり、ウルジーも含めて、誰もが本当の「悪者」にはなっていない。それだけに、細かい事情が分からない現代日本人には、劇中の人物の対立や科白の細かい意味はよく分らない。それを乗り越えて、「大いなる和解」が主題だと分る舞台にしたのはたいしたものだ。