[演劇] シェイクスピア『リチャード二世』

[演劇] シェイクスピア『リチャード二世』 新国 10月14日

(写真↓は、左からボリングブルック(=ヘンリー四世)浦井健治、リチャード二世(岡本健一)、その妃イサベラ(中嶋朋子)、その下は舞台、リチャード二世は左端後ろに隠れている)

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鵜山仁演出の史劇シリーズが、これで完結。12年前の『ヘンリー六世』三部作は、ヘンリー六世が草食系男子に造形されており、それがとても面白かったのだが、本作でもリチャード二世とヘンリー四世がそれぞれ繊細に人物造形されている。鵜山演出は実に適切にそこに焦点を当てている。『ヘンリー五世』も、思索的でメランコリックな側面と、竹を割ったような体育会系男子的な側面との、両面がある非常に魅力的な王だった。人物の個性という点からみると、リチャード二世は、非常に興味深い人物だ。史実的には、詩人チョーサーを重用した文化人(ヘタレ人文系インテリ)であり、また側近を重用・寵愛したことで非難された(10歳で即位だから仕方がないとも思うのだが)。本作でのリチャード二世は、性格が弱く、感情が不安定で、臆病なのに強がってみせ、臆病と高慢がつねに交錯して、人格が安定しない。要するに、統治者としての資質を欠いた「ダメな王様」なのだが、自分のどこがダメであるのかをよく自覚しており、それを実に適切に言語化する自己省察が素晴らしい。その自己省察が、きわめて美しい詩的な言葉で語られ、ホメロスオデュッセイア』の語りのように、詩人の言葉で自分を語るリチャードは、おそらく自身が詩人なのだろう。史実はともかく、シェイクスピアの人物造形の核心はそこ、つまり「ボクはホントだめな王さまなんだ」と歌うリチャードの魅力にある。たとえば第5幕第5場、牢獄に一人いるリチャードの独白は素晴らしい。「まず、俺の魂を父親とし、おれの頭脳をその妻とする。この二つから、たえまなく思想という子孫が生れては育っていく。その思想がこの小世界の住民となるわけだ。彼らは外なる世界の住民と同じように気まぐれだ。・・・こうして俺は、一人で大勢の人間を演じても、どの役にも満足できない。・・・いや誰でも、ただの人間である限りは、なにものにも満足しないのだ。おのれ自身がなにものでもなくなって安心するまでは。・・・アッ、音楽だな? フム、調子が狂っておるぞ。・・・音楽が狂人を正気に戻した例もあるというが、俺には正気のものを気ちがいにするとしか思えぬ」(小田島訳) 。この自己省察の素晴らしさは、ほとんどハムレットに匹敵する。そして、そのような自己省察的な詩人であることが、リチャードを統治者として不適格にしているのだ。(写真↓は、側近や王妃たち、リチャードはいつも彼らの中で「浮いている」感じだ、その下はボリングブルック、彼はいつも遠慮がちに後方にいる)

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『リチャード二世』は科白の細部がとても面白い。たとえば、庭師が「俺たちの民主国家であんまり偉そうにのざばってやがるな」と、こっそりリチャード二世を非難する(第三幕第4場)。おそらくこの科白は、シェイクスピアの同時代を意識しているのだろうが、議会と王との対立があるから庶民が「俺たちの民主国家」などと言う(でも本当に庶民が言うかな?)。もっとも興味深かったのは、冒頭ではボリングブルックに対して「お前thou」と呼んだリチャードが、第三幕第3場のボリングブルックに降伏するシーンでは「あんたyou」と呼んでいる。「あんた」は変だなと感じたので帰って調べたら、坪内逍遥がここを「あんた」と訳しているので、小田島訳はそれを踏襲した。なぜ「あなた」ではなく「あんた」なのか? 王だったのに突然実質的に臣下の立場になって、気が動転し、言葉が乱れたのだろうか。そうだとすると、坪内訳は凄い! 『リチャード二世』は、リチャード退位の場面が、エリザベス女王死後に戯曲に加えられたことから分かるように、きわめてデリケートな政治的含意をもつ作品である。もう晩年となり、寵臣の重用を「リチャード二世みたい」と批判されていたエリザベス女王は、このシェイクスピア『リチャード二世』を実際に見て、「私はリチャード二世ね」と公文書記録係の役人に言ったという史実がある。おそらく、シェイクスピアは、当時批判されていたリチャード二世を肯定的に造形することによって、エリザベス女王を傷つけないように配慮したのではないだろうか。ボリングブルック(ヘンリー四世)を、暴力的にリチャードから王位を奪った反逆者としてではなく、低姿勢を装うことで巧みに棚からボタ餅を得るように王冠が転がり込んできたように描いている。これもまたヘンリー四世を肯定的に描くことによって、ランカスター王朝からチューダー王朝への移行を連続的に捉え、チューダー朝正当史観と齟齬をきたさないように慎重に配慮しているとも解釈できる。この舞台では、リチャードとボリングブルックの人物造形が、鵜山演出と、演じた岡本健一浦井健治によって、見事になされたことを讃えたい。(写真↓は、ヨーク公爵夫人を演じた那須佐代子、彼女を滑稽キャラにして、ヨーク一家の家族喧嘩を面白おかしくしたのはとてもよかった)

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 42秒の動画が。

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